見出し画像

ジェンダー平等の欺瞞を論破するー①


 日本のジェンダー平等指数は、世界146国中、125位である。これをもってフェミニストたちは、日本は遅れた女性差別の国なのだという。本当だろうか?検証してみようではないか。

 
 筆者に言わせれば、このジェンダー平等ランキングとは、女がどれだけ「労働力商品化」されているかを示す指数に過ぎない。資本主義とは、金儲け至上主義のシステムである。資本家たちは、女も労働力として搾り取りたい。そして国家もまた、女たちを労働力として利用しようとしている。


 日本は2060年には、老人人口が39.1%近くになるという、空前の超少子高齢化社会を迎える。この時、現役世代の人間1.2人で、老人世代の人間1人を支えなければならなくなる。このままいったら、財政破綻は必至だ。だから、女たちも一人残らず労働力として駆り出し、税金と社会保障費を納めさせなければ国家がもたない。資本家と国家は、女を労働力として利用したいという点で、利害が一致しているわけだ。


 その、女たちを労働力商品化するための洗脳思想として、フェミニズムがある。そしてその社会にどれだけフェミニズムが浸透したかを示す基準として、ジェンダー平等指数があるわけだ。


 ではジェンダー平等指数とは、どういうものか。



 つまりこれは、女の社会進出がどれだけ進み、女たちがどれだけの金、地位、権力を得ることができたのか。そしてそのための準備がどれだけ整っているか、またその結果として老後、健康の状態がどうなっているかを示す指数である。これは、どこまでいっても女の社会進出がどれだけ進んでいるかを示す指数でしかなく、女たちの権利や自由がどれだけ保証され、公平に扱われているかを示す指数ではまったくない。


 なぜなら、このジェンダー平等指数は、女性たちが自由であればあるほど低くなってしまうという矛盾を抱えているからだ。


 なぜ日本でジェンダー平等指数が低いのか、なぜ女性たちが全体として得ている金、地位、権力の割合が少ないのか。答えは簡単だ。ただ、日本の女性の専業、パート主婦の割合が他国に比べて高いからだ。日本の専業、パート主婦の割合は、女性の労働人口の約50%である。


 日本の女性たちは、何も男たちに殴りつけられて無理やり専業主婦をやらされているわけではない。統計では若い女性の80%が専業主婦を望んでいるとあるとおり、自分たちの意志でやっていることだ。もともと大昔から、働かなくていい階層の人々というのは、特権階級なのだ。


 しかしこれだけの多くの女性たちが働いていない、または働いている時間を制限していたら、女性たちの全体として得る金、地位、権力の割合は低下していくに決まっている。


 つまり、女性たちが自由意思によって専業、パート主婦を選択すればするほど、ジェンダー平等指数は低下していく。日本のジェンダー平等指数が低いのは、日本の女性たちが自由であるゆえんなのだ。


 「立法家にしろ革命家にしろ、自由と平等を同時に約束するものは、空想家でなければ山師である」
                        ~ゲーテ~


 その通りだろう。その社会は自由であればあるほど、平等ではなくなっていく。自由と平等は、相反する概念なのだ。日本のジェンダー平等指数が低いのは、日本の女たちが自由だから。これ以外の理由は一つもない。


 しかも専業、パート主婦の女性たちは、夫を通して金は得ている。夫婦の収入は、とうぜん世帯で見なければならないのに、ここでは個人で見てしまっている。意図的にやっていたら詐欺だが、とうぜん意図的にやっているのだろう。


 女性たちの自由がきちんと尊重されている日本では、ジェンダー平等指数が低くなった。日本の女性たちは結果の平等より、選択の自由を尊重している。ただ、それだけのことだ。日本のジェンダー平等指数が低いのは、日本の文明度が高いからである。自由と権利がきちんと保証されている国は、文明国と言っても差し支えないだろう。


 対して、男たちはどうだろう。男の専業主夫の数は17万人。対して労働人口は3789万人だから、0.4%ほどしかいない。パート主夫の統計はみつからなかったのだが、専業主婦とパート主婦の割合はさほど変わらないことから、同数程度だと推測しても、0.5%程度。男の専業、パート主夫の割合は全体の1%程度。


 女の専業・パート主婦は労働人口の50%

 男の専業・パート主婦は労働人口の1%


 なんというひどいジェンダー不平等だろうか!信じられない。そしてこのジェンダー不平等を追求しないフェミニストたちの、何と不誠実なことだろうか。


 男には、専業・パート主婦になる自由がほぼ無い。1%など、ほとんど誤差だ。男には、働くしか選択肢はない。そしてそれを強制しているのは、男を養いたがらない女たちだ。日本の女性たちは、「男は稼いでナンボ」という、フェミニストの言う時代遅れの昭和の価値観をまったく克服していないし、またする気もない。ゆえに、女たちに働くことを強制された男たちが女たちより、金、地位、権力を全体として多くえるのは、当然のことでしかない。


 日本のジェンダー平等指数が低いのは、日本の女性たちが自由であり、かつ「男は稼いでナンボ」というジェンダーバイアスを克服していないからだ。責任の大半は、女性たちの側にある。まあ、何から何まで女性たちのせいだという気はないのだが、フェミニストたちが、何から何まで男と社会のせいにしているのは、確かである。


 ジェンダー平等指数などは、どこまでいっても女性の社会進出がどこまで進んでいるか、女性がどれだけ労働力商品化されているかを示す指数でしかない。こんな極端なバイアスのかかった基準を絶対視して、あたかもその社会が女性にとってどれだけ公平であるかを判断するなどというのは、見当違いもいいところである。女性たちの自由意志を除外した指数では、女性たちの権利や公平さがどれだけ保証されているかということは、判断ができないのだ。


 ゆえに、「ジェンダー平等ランキング」とは、正確な言葉の使い方ではない。この指数に、平等という言葉を使うことは許されない。これはどこまでいっても「女の社会進出ランキング」、または「女の労働力商品化ランキング」でしかない。女がどれだけ自由を手にしているかで、このランキングはどのようにでも変わってしまうのだ。

 
 雑なようでいて、そのじつ意図的に言葉のトリックを用い、人々を洗脳し、国家をある方向に誘導していく。卑怯だが、まるで昨今の磨き抜かれた特殊詐欺のような、鮮やかな手並みではある。


 
 ②に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?