2年ぶりに『すずめの戸締まり』を見たメモ
思い付いたことのメモです。細切れであんまり整理できてないかも。
ねらいとしては『君の名は。』『天気の子』辺りと比較して浮かび上がる現状とかを考えたかったです。
「東京と地方の二軸」から「全国」へと広がる境界
『君の名は。』はわかりやすく東京と地方の二軸の比較がなされた。物語の構造してはキラキラでなんでもある東京様が何も無いド田舎を救いみんながハッピーエンドになる話だったのでその部分は批判もあった。
新海誠は逆張り精神を発揮し『天気の子』は東京を破壊する話になった。キミとボク以外は不幸になる。
それで今作はというと、ローカルな土地(東京を含む)にフォーカスするというより日本全土が舞台になっている。後述するが災害のトラウマの受容をテーマにするためにはこうする必要があった。
前景としての災害から主題としての災害へ
言うまでもなく『君の名は。』は東日本大震災を描いている。上手に記号化している(彗星ではなく津波でも地震でも噴火でもストーリーは成り立ち代替できる)ので、そうと気付かない人にはSFスペクタクルとして楽しめる設計だ。
庵野秀明の『シン・ゴジラ』も原発事故を怪獣に置換する点では似ているがアプローチは真逆に思える。
彗星は東京からも地方からも見えるから空間・時間の交差の起点としてわかりやすいし、彩度の高いキラキラした作品との相性もよい。とても上手い。
一方で今作は何かに置換したりせずに正面から描いている。『すずめの戸締まり』における地震は地震でしか描けないし、神戸は神戸だし、東北は東北でないと成立しない。
2016年時点では東日本のトラウマは真正面から描くにはあまりにも大きい。当時必要だったのは傷を抉ることではなく、安全に脱色してエンタメに昇華することだったのだろう。キラキラと書いたのは決して悪い意味ではない。当時必要だったのは傷口の治療ではなく癒やしだったのだから。10年経ったからこそ『すずめ』では、ぼかすことなく取り組めたのだと思う。
彩度とRADWIMPSの挿入頻度
『君』、『天気』ではRADWIMPSの曲がこれでもかと挿入され(天気はちょっとやりすぎだと思う)美麗な映像も相まって挿入歌部分はPVのような仕上がりになっている。(『君』で「東京を美化しすぎ」と批判された反動で『天気』では歌舞伎町の汚さをリアルにしている部分はあるが)大枠前2作は作品の彩度やコントラストがかなり高く美しいビジュアルに仕上げている。
一方で今作は常世の描写は過去作のようにきれいなものの、現実の風景を必要以上に美しく見せようとしていないように思える。彩度は抑えめ。
(寂れた福島の町並みに芹澤が「きれい」と言いすずめがドン引きしている一幕があったが、あれは震災の当事者との心情的なギャップを表したものだ)
災害というテーマを扱う上で映画をPVや青春ラブコメの添え物として見られたくなかったのではないか。
ミミズのモチーフ:『かえるくん、東京を救う』との比較
草太のセリフに「大事な仕事は見えない方がいい」というものがあった。閉じ師の仕事は表には見えないし見えない方がいい。保守・点検の仕事が目立つのって異常事態だし。
ミミズが起こす地震を食い止めるというモチーフは村上春樹の短編『かえるくん、東京を救う』と共通している。
時期的には阪神淡路がテーマなのかな?主人公が「地味で目立たない仕事を黙々とこなしてきた」点も似ている。災害というのは起こること自体は防げない。
また、『すずめ』のサブテーマには衰退する日本へのノスタルジーがあると思うのだが(廃墟となった温泉街、学校、テーマパーク、津波の被災地など)そこに対する処方箋を示す映画ではなかった。これは現実の日本が抱える問題への対応策を誰もわからないので仕方ない。だから映画の着地点は現実の問題の解決ではなく、トラウマの受容という心情的なものに落ち着いている。穏当だね。
正面から国民的テーマに向き合った新海誠と私小説に落ち着く他の監督
とにかく今作は真面目に作ったんんだろうなと感じる。真面目すぎるが故に誤解を恐れてる。映画館で同人誌(企画時の設定集)を配っていたのがその現れだろう。
作品の裏テーマとか、何を表現したかったのかは見た人が考えればいいのにコンセプトを全部フルオープンにした。災害を真正面から描く責任を重く受け止めたからこそ、とにかく誤解されないように「これはこういうことを伝えたいんです」と作る側がベラベラ説明してしまっている。
一方で、かつて国民的なテーマを扱っていたアニメ監督たちはそこに向き合うのではなく、私小説のような作品を撮るようになった。
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』や庵野秀明の『シン・エヴァンゲリオン』は露骨にそうだし、細田守の『未来のミライ』(『竜とそばかすの姫』も多少)も私小説っぽい。
(村上春樹は最近の作品を読んでないからよくわからないや)
「みんなのトラウマ」が曖昧になっていけば、全体ではなく私を描くようになるのは必然の流れなのかもしれない。
新海誠の今作に対する態度は真摯なのだと思う。だからエンタメに昇華しにくいし、「行ってきます」「おかえり」を言うシンプルな構成になっている。
そしてその真摯な態度で作った映画が面白いかと言われると残念ながら僕には全然刺さらなかった。シーン単位で言えば、すずめが覚悟を決めてシャワーで汚れを落とし制服に着替えて草太のブーツを履くシーンとか、冷え冷えの車内を取り持とうと芹澤が音楽を選んでるシーンとか、4歳のすずめが母親を探して泣き崩れるシーンはかなり好きだけど、作品全体としてはマイルドすぎると思う。もっとエロに素直になってくれ新海。
【参考】読んで面白かった他の人の感想
・要石になったのは “おれたちの新海” だった(映画『すずめの戸締まり』感想文)
・<辛口>『すずめの戸締まり』ネタバレ感想&評価 細かい流れが雑に見えちゃうなぁ
おまけ:最初はクソ猫だと思ってたダイジンがだんだん好きになってきた
ダイジンは封印のアイテムだから人の心とかはわからない。
「それもう草太じゃないよ?」「石だよ?使わないの?」「地震が起きるよ?人が死ぬよ?」などのセリフはすずめ視点だと煽りカスだったが、全部事実を教えてくれただけだったんだね…
お前、封印を解いてくれた人間に好意を寄せてただけだったんだな…
好きな人のためにもう一度人柱になる覚悟を決めるのえらいよ… もしかしてこいつ新海誠自信のメタファーか?
環とすずめは親子としての関係を修復できた一方で、ダイジンはすずめの子になれず人柱になってしまった。すずめは草太のためには泣くけど、ダイジンのためには泣かないし石として使う。悲しいね。
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