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住宅は”資産”になって当たり前!?アメリカが実践する住宅地開発の歴史を辿る

みなさんこんにちは!
ボウクスnote担当の佐竹です。

前回は、ボウクスの自己紹介とともに、ボウクスの夢である豊かな住環境への想いをお伝えしました。


突然ですが皆さんは、どんなお家に住みたいですか?
例えば、暖炉のあるリビングで本棚のとある本を押したら隠し通路が現れる!なんて海外のようなお家に憧れますよね。(スパイ映画の見過ぎ。)「夢のマイホーム」だなんて言葉があります。
しかし、そんな夢のマイホームを買ったら最後、売却を検討してみたら全然お金にならない!なんてことを耳にしたことはありませんか?そういえば、私が実家に暮らしていた頃「一軒家は、買っても売る時には土地代にしかならないからね〜」とよく母が言っていたのを思い出しました。
それもそのはず、日本の建物の価値は減少していくもの=減価償却資産”という法律的な考え方が日本では通説となっているからなのです。

住み手がおらず空き家となった住宅

建物には、国が「これくらいの期間が経ったら資産価値がなくなるよ」と定めた耐用年数というものがあり、建物の構造によってその価値の減少幅は異なりますが、木造建築に至っては新築からわずか22年でその建物の価値はゼロになってしまいます。建物が完成したまさにその瞬間から劣化が始まると考えられているのです。
日本の金融機関は、価値は耐用年数の経過によって減少するものという判断のもと不動産評価を行なっています。

しかし、この考えは欧米からしてみればあり得ない考え方だということもまた事実です。アメリカでも同じように減価償却や耐用年数というのは法律上存在しますが、不動産評価においてはこれらと切り離した評価を行います。

実は、先進国の中で「住宅は経年と共に価値がなくなっていく」という考えを持っているのは日本だけなのです。
信じがたい話ではありますがアメリカでは住宅の価値が上昇していく仕組みが存在し、住宅を売却した際に利益が出るということは常識として存在しているのです。

その仕組みのベースとなっているのが、”TND”という考え方です。

TNDってなに?

TNDとはアメリカにおける住宅地開発の在り方を解いたTraditional Neighborhood Development=伝統的近隣住区開発という理論のことを言います。

1975-1980年代にかけて、当時アメリカでは人々が郊外での生活を求め、都会と郊外をハイウェイが結ぶ住宅地開発が盛んになりました。しかし、郊外の大きな敷地で住宅同士の距離が空いてしまったことから犯罪が増加し、その対策としてIT技術を駆使したスマートハウスが実施されました。しかし、依然として犯罪は減らず、今度は住宅地全体を塀やフェンスで囲いエントランスで規制をかけるという「ゲーティッドコミュニティ」が誕生しましたが結果は振るいませんでした。そこから「安全性の高い住宅地」を研究した結果、「1930年以前につくられた徒歩圏で生活ができる優れた住宅地は犯罪の少ない安全な町」であることを結論づけました。その古くから伝わる伝統的なまちづくりの考え方を尊重し名付けられたのがTNDなのです。

アメリカでは、この考えをもとに計画がなされ住宅地開発が行われており、実際にその町に住む住民は購入した住宅で資産形成に成功しています。TNDは、そこに暮らす生活者の視点から、徒歩圏で全ての生活が成立する利便性を備えたヒューマンスケールで設計された非常に合理的な開発理論であると同時に、長きに渡りアメリカで実践され、その成功証明がなされているのです。

TNDの歴史

では、その大まかな歴史を見ていきたいと思います。
TNDを主導しているのは、DPZと呼ばれるマイアミ在住の都市計画家・建築家の夫妻であり、DPZとは彼らの名前の頭文字(Andres Duany and Elizabeth Plater-Zyberk)に由来します。
TNDは、1979年フロリダ州のメキシコ湾に面した海岸沿いのリゾート地シーサイドという町での開発で初めての試みとして計画されました。古き良き伝統的な町を現代に新しくつくる」という考えのもと開発され、当時のTime誌では「この10年で最高のデザイン」と称賛され、TND理論が全米における住宅地開発のスタンダードとなるほどの大きな影響を与える結果となりました。

ヤシの木が海を想起させるシーサイドの街並み

一方で、シーサイドの町には学校もありコミュニティも形成されているものの「リゾート地」としてのイメージが強く、TNDはリゾート開発だけではなく、一般の住宅地開発にも援用されるべきだというポジティブな評価も受けました。

1988年 、DPZの次なる試みとしてアメリカ、ワシントンD.C.から北西方面へ車で40分ほどハイウェイを走ったあたりにあるメリーランド州モンゴメリー郡のゲイザーズバーグでケントランズが計画されました。ケントランズはシーサイドでの開発の結果から、通年の”町”としての顔を持った開発を目指しました。
もともとケントランズ周辺には、ハイテク関連の企業が集まり、ナショナル・ジオグラフィックス誌の本社や自然保護区が側にあるという立地の中、当時のケントランズにはそれら開発に乗り遅れたかのように農家と豊かな自然が残されていました。DPZはその豊かな自然環境を生かした、アメリカの伝統的な町に倣った古くて新しい町を計画し、帰属意識の持てるデザイン、材料、工法によって世界的な仕事をする人々が暮らす犯罪の少ない、住宅の資産価値が上昇する町を創り上げました。

緑と調和するケントランズの美しい住宅街

最後に紹介するのは、誰もが一度は行ったことがある、あのテーマパーク”ディズニー”に関係する町の開発です。もうディズニーと聞いただけでワクワクします。まさか、ディズニーも住宅地開発を行なっていたとは。。。場所は、フロリダ州ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾート近郊に位置するセレブレイションという町開発を計画したのは建築家のロバート・スターンとジャックリン・ロバートソン。彼らは計画に際して、地理的に異なる町を10ヶ所以上回り、この土地に、伝統的な古き良き時代のアメリカの町を再現する(TNDに倣った)ことを結論づけ、ウォルト・ディズニー社が掲げるドリームシティ構想の一端として究極の町セレブレイションの体現に着手しました。ディズニーはセレブレイションの実現に対して、これまでに誰も行ったことのない何かを要求し、デベロッパーたちは、「町が持つべきものは全て備えるべきだ」とし、住宅や活気に満ちたダウンタウン、オフィス街、ゴルフコースやテニスコート、公園に池や広場。自然を楽しめる散歩道に自転車道、研修・教育施設や学校、幼稚園、そして医療施設など自然派性していく街のアメニティを最初から享受できるように配置したのです。ディズニーが夢の町と唱えたように、セレブレイションはまさに住む人、来訪する人が心の豊かさを存分に感じることのできる町となっていきました。

究極の町”セレブレイション”

いかがでしたでしょうか。

50年近くも前から、アメリカではこのような住宅地開発が進められてきました。TNDの考えを体現した3つの町をお話ししましたが、想像しただけでも住んでみたいと思えるほどの魅力が伝わったかと思います。

ボウクスは、このTNDという考えに倣い、日本でも豊かな住環境を創っていきます。

TNDは日本にとって必要な考え方なのです。
「建てては壊す」を繰り返す日本ですが、もしも、長きに渡り人々から愛される町ができたら私たちの暮らしはどのように変わっていくと思いますか?
近年、日本の住宅産業の衰退は著しく、国内の市場に見切りをつけた大手ハウスメーカーは海外への進出に注力しています。日本は半ば見捨てられていると言っても過言ではありません。

人々がそこに住みたいと思える需要を生み出すことは価値なのです。その価値が資産となり、私たちは暮らしをより豊かにすることができます。そのような住環境をボウクスは日本に住む皆さんにお届けしていきたいと強く想っています。


次回は、日本の住宅産業のイマを考えていきたいと思います。国内にも伝統的な建築物はありますが、いつからか、おかしな建物がたくさん建てられるようになってしまいました。どのようにして現在の日本の住宅産業が出来上がっていったのか、そのワケに迫りたいと思います。

本日もお読みいただきありがとうございました。
ボウクスは次世代へつなぐ住環境をつくることを夢に進んでまいります。
弊社のこれからの取り組みにもご注目ください。
それでは、次回の投稿をお楽しみに!


BOWCS, INC.
https://www.bowcs.co.jp

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