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霊魂について考える

私たちは霊魂を存在するものとしてきました。死後の世界があり、そこに御先祖様の霊魂がある。その御先祖様の霊魂をお盆に御迎えしたり送ったり、存在を感じ繋がりを感じてきました。

皆さんは霊や魂の存在をどう感じておられるでしょうか。

私は霊魂の存在は信じていないつもりです。浄土真宗の盛んな石川の地で育ったからだと思います。浄土真宗では霊魂という言葉は使いません。私を導いてくれる存在を仏さまとしていただくので、御先祖は私たちにとって仏様と考えます。

しかし、霊魂の存在を信じている方を否定するわけではありません。
先日、門徒さんの家でお参りの後にお話ししていると、

「この前、母がその台所に来てしばらくいた」
「押入れの中から音がした」

そう言っておられました。幽霊とも感じられる言い方ですが、その方は怖いという意味では言っていませんでした。「母が来た」と、喜んでおられるようでした。

また私は経験していませんが、お寺の誰もいないはずの本堂で人の気配がする。行ってみると誰かが座っているんだけど近づいていくと姿が見えなくなった。そのあと檀家さんから電話があって、おじいちゃんが亡くなったと言われて、そのお話をしたらお知らせに行ったんだろうというお話も聞いたことがあります。

もちろん良い面だけではありません。成仏できない霊魂は生きている私たちに悪い影響を及ぼす、祟ると言われてきました。

あるとしても、供養の気持ちをもつ人がこの世界にいることを知れたら、自分に向かって手を合わせてくれている人がいることを知れたら成仏してくれると思いますが。

そして私も今、信じていないと言いましたが、妻や子どもがもし亡くなって、その存在をすぐに仏さまとして感じられるかどうか。もう一度、幽霊でもいいからこちらの世界へきてほしいと願うかもしれません。

お香典では、一般的に四十九日までは御霊前、四十九日以降は成仏して仏さまになったから御仏前と書くとされますが(浄土真宗では御霊前は使いません)、四十九日の期間は私たちの心に悲しみを受け入れていく大切な期間だとあらためて思います。儀式には心に区切りをつけていく役割があります。

今は霊という概念が無いという方もたたくさんおられます。亡くなった後は「無」になる。それが儀式が必要とされなくなってきた大きな理由の一つだと思います。

亡くなった方が霊や仏になったことに思いを致す、その機会が昔に比べて減ったので、死後のことに関心が薄れてきています。

それでもいつか人は死んでいくので、どこかで関心をもつ可能性は高いと思っているのですが。


私たちは亡くなって仏さまになる。

浄土真宗では仏さまになるまでに霊魂という期間はありませんが、仏壇やお墓、儀式を大切にすることは同じです。

霊魂と呼ぶか、仏と呼ぶか、その存在を大切にするという意味に変わりはありません。

仏壇に「魂入れ」という儀式がありますが、浄土真宗でも魂という言葉を使わず、「御移徒」(ごいし)という名前で仏さまが仏壇に移動するという法要があります。

魂がこちらに返ってくるという表現はしませんが、「回向」(えこう)というこちらの世界へのはたらきを表す言葉も浄土真宗でよく使います。

こんなことを言えば怒られるのかもしれませんが、私たちが心に感じる存在の呼び名が違うだけだけだと思うこともあります。


本当にあるのかと問われると死後のことなので分からないことが多いことですが、そう思うことで救われてきた面は大きいです。大切な方と繋がっていられると思えることは死を必ず経験する私たちにとっては心強いことです。

でも多くの人々が仏教に親しんできたのは事実で、仏さまに悪い印象をもつ人はいない。その領域で仕事をする私のような僧侶への印象は良くも悪くもあるかもしれませんが。

仏教は、人々が苦しみから解放されるための手段として伝わっているし、その苦しみの最たるものである死へは深く仏さまが関わっているのは自然なことであると思う。

お墓に私も入るということは亡くなった方と再会するという気持ちになれる。精神的な再会は霊魂という言葉を使わない私たちでも大切なことだと思っています。

日本には至る所にあるコンビニよりも多くの寺院がありますし、昔に比べて行く機会は減ったと思いますが、仏さまと聞くと親しみを感じる人はたくさんいると思います。

亡くなっても、その親しみのまま仏さまとして亡き人を感じていたいという思いはあると思います。

仏教では昔、亡くなるときには仏さまが迎えに来ると言われていました。
そのために、亡くなる直前まで「周りで南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と申して浄土へ往生させるという」ことをしたり、亡くなる方の五本の指に糸をつけて仏像の指と繋げて亡くなっていくという儀式があったりもしたと聞いたことがあります。

今よりも死後私たちはどうなるのかを気にしていた、そこに仏様の救いは不可欠だったのだと思います。

存在を証明できなくても、仏教徒の中で仏様は間違いなく存在してきました。霊魂も同じで、信じる人の中には間違いなく存在してきたものですし、有る無いを論じることが出来ないものなのだとあらためて思いました。


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