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夜空の月、それはサマルカンドのナンのようで

昇りたてのオレンジ色の月を見て、その不思議を思う。

この同じ月を、世界中の人が見るんだ。

月を見るこの瞬間、地球のほかの場所では別の時間が流れている不思議。

地球のどこかの生活の営みを想像するいまも、時間は確実に、そして平等に流れている。ここでも地球の裏側でも、時は平等に刻まれている不思議。

いまわたしが見ている月は、地球のどこかで誰かが見た月。その誰かは、なにを思ってこの月を眺めたんだろう。

その誰かがなにかを思って眺めた月を、その誰かを思って、いま、わたしが見る。

月をとおして繋がっている。遠く離れた、会ったことのない誰かとも。我が家に滞在し、自国に戻った留学生たちとも。

月が繋げてくれる。いまは会えなくても、月がこうして繋げてくれる。

まだ低い位置にあるオレンジ色の月を見て、その不思議を思う。

オレンジ色の月は、サマルカンドのナンみたいだ。

あれは5年前の4月。

ウズベキスタンのタシケント国際空港。数年ぶりに会うクムシュが、わたしたち家族を出迎えてくれた。

クムシュは今から10年以上前に、留学生として我が家に滞在していた。夏休みのほんの2週間だったが、初めての日本を気に入り、彼はすっかり我が家の一員となった。

ウズベキスタンに帰国して数年後、彼は結婚し父親になった。自分の家族を紹介したい、ウズベキスタンに来てほしいと熱烈なラブコールを受け、クムシュ一家に会いに行った。それが5年前の4月。

タシケントでみんな一緒に数日間過ごしたあと、2家族でサマルカンドを訪れた。タシケントからサマルカンドまでは、特急列車でおよそ2時間。

サマルカンドは、“青の都”、“東方の真珠”、“イスラム世界の宝石”などの異名をもつシルクロードの中継地点。

豊かな歴史をもち、息をのむほどに美しい建築物で知られる、エキゾチックな古都だ。

サマルカンドのシンボルといえば、旧市街の中心にある『レギスタン広場』。広場は3つのメドレセ(神学学校)に囲まれていて、建物との調和は中央アジアで屈指の美しさ。

広場の真ん中でその壮大さに圧倒された。ジリジリと焦げ付くような日差しを忘れ、ただそこに立ちつくした。

鮮やかなブルーのタイルに目を奪われ、強い日差しにもかかわらず、思わずサングラスをはずした。幾何学模様のブルーに金箔をほどこした見事な装飾に、そっと手を触れる。

灼けつくような日差しの下、広場を散策していると

「サマルカンドには、ウズベキスタン人に欠かせないもう1つのシンボルがあるんだ」

クムシュが茶目っ気のある笑顔をうかべ、ウインクした。

「もう1つのシンボル、見せてあげるよ」

クムシュが連れて行ってくれたのは、シヨブ・バザール。

観光客はほとんどいないローカル市場だ。現地の生活の匂いが漂っていて、市場好きのわたしにはたまらない。

手招きするクムシュの奥さんのあとをみんなでついていく。衣料品、スパイス、ドライフルーツ、生鮮食品、スイーツ。どれもこれもが山のように盛られていて、そのビビッドな色に思わず足を止める。

あたりをぐるりと見回すと、“ドッピ”と呼ばれるムスリム帽の男性や、ふわっとしたスカーフ“ルモール”を被る女性でにぎわい、市場は活気づいている。

「これこれ!これがサマルカンドのもう1つのシンボル」

クムシュの声がするほうにみんなで近づく。

手作り『ナン』の山だ。

「サマルカンドのナンは有名で、ぼくらウズベキスタン人も、サマルカンドに来たら必ず買うんだよ」

サマルカンドのナンは、インドのナンとは全くちがう。共通点があるとすれば、“かまどで焼くパン”ということだけ。

お月様のように丸くて、平たくて、中心にくぼみがあるサマルカンドのナン。顔よりも大きい直径20~25cmくらいの大きさだ。

その表面はつややかに光り、中心のくぼみには、”chekich”と呼ばれるフォークのようなもので装飾がされている。ナンのくぼみを飾るのは、ゴマ、文字、美しい幾何学模様。

ずらりと並ぶ手作りナンのお店では、店独自のデザインを客にアピールしている。なかには、店主の携帯番号がかかれているナンもあり、見るのも楽しい。

「サマルカンドのナン、すごいでしょ。ウズベキスタンで1番美味しいんだ。」

誇らしげに言うクムシュのそばで、クムシュの奥さんがどれを買おうか物色している。

ナンの山を見てまわる外国人のわたしたちに、店主の1人が説明してくれた。

ティムールの時代から、ナンといえばサマルカンドさ。ウズベキスタンの他の土地で、全く同じ材料で全く同じ作り方をしても、サマルカンドのナンと同じナンは絶対に作れない。
水、気温、湿気、そういったものがナン作りには大事だから、ここのナンは、サマルカンドでしか作れないんだ。ウズベキスタンで1番美味しいんだよ、サマルカンドのナンは。

ウズベキスタンの英雄ティムールが在位していた1300年代から現在まで、700年ものあいだずっとトップに君臨するサマルカンドのナン。ここまできて買わない手はない。

どれを買おうか迷っていると、クムシュの奥さんが近づいてきた。彼女はすでに10枚以上のナンを両腕いっぱいに抱きかかえている。1枚あたり1.3㎏のボリュームたっぷりのナンを、10枚以上買うみたいだ。

「こんなにたくさん買うの?」

子供が目を丸くして聞くと

「ウズベキスタンは乾燥してるから、ナンは保存食なの。2~3ヶ月は大丈夫よ」

と彼女は笑う。

わたしも数枚のナンを買い、そのズシリとした重さに驚いた。

焼きたてが1番美味しいからと、クムシュが焼きたてのナンを1枚買い、みんなでベンチに座る。直径20cmを超える大きなナンは、2家族8人がおやつで食べるのにはちょうどいい。

クムシュは、つややかに光るお月様のようなナンを、そのままわたしの旦那さんに手渡した。

ウズベキスタンでナンをシェアするときは、最もスぺシャルな客人がナンを最初にちぎる、という習わしがある。

スぺシャルな客人に認定された旦那さんは、ぼってりと厚みのあるナンに親指をグッと入れてちぎった。

ひときれをちぎった、つややかに光る月が、わたしの手元にまわってきた。まだ熱を帯びたナンをちぎり、次の人にまわす。

つややかに光る月を順番にちぎり、月のかけらが全員の手元にわたった。

「普段の朝食でもフォーマルなパーティでも、ナンは手でちぎって食べるものなんだ。ナイフは使わない。それがウズベキスタン流」

もちもちした焼きたてのナンを頬張りながら、クムシュが言う。

「どうしてナイフ使わないの?固くて手でちぎれないこともあるでしょ」

「ウズベキスタン人は、ナンをリスペクトしてるからだよ。ナンには絶対に刃物は入れないんだ」

もちもちして密度のあるナンは、あったかくて、そのままでも格別な味がした。

ギラギラ照りつける太陽の下で、つややかに光る月をみんなで食す光景を、わたしはずっと忘れないと思いながら、ほんのり甘いナンをかみしめた。

オレンジ色の月は、サマルカンドのナンみたいだ。

まだ低い位置にあるオレンジ色の月を見て、そう思う。

この同じ月を、世界中の人が見るんだ。

この月が繋げてくれる。いまは会えなくても、月がきっと繋げてくれる。

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