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明治「チェルシー」に思いを馳せる

このニュースがネットをざわつかせたのは、多くの人の知るところだろう。私も少なからず動揺した。


いまは亡き母が「チェルシー」好きだったため、幼少のころから幾度となく家で見かけたチェルシー。今回初めて知ったのだが、チェルシーは1971年生まれらしい。私と同級生だ。なるほど、納得。それで幼いころの記憶にもチェルシーが刻まれているのか。

そっか、1971年生まれなんだね。チェルシーも、チェルシーの道を53年間、歩いてきたんだね。私が歩いてきた53年と同じように。この53年間、チェルシーの道と私の道は何回交わっただろう。あなたと何回出会ったのだろう。

チェルシーは、そのデザインで他のキャンディーとは一線を画していたように思う。

手のひらサイズの真っ黒な箱に、鮮やかなピンク(バタースカッチ)とグリーン(ヨーグルト)の花模様。箱の表面の小窓からは銀色の包み紙がチラリと見える。その鮮やかな花模様は包み紙にも。

全体的に、高貴な雰囲気の漂うパッケージ。

子どもが気軽にぽいぽい食べるキャンディーではなく、大人がじっくり味わうキャンディー。そんな「本格的な」印象をずっともっていた。

母が時おり「食べてみる?」と渡してくれたバタースカッチ味は、当時4,5才の私には素直に「おいしい」とは思えない味で、妙にバターの濃い味がして、これは大人のキャンディーだ、と思った記憶がある。

チェルシーの佇まいからは異国情緒があふれていたし、当時流れていたテレビCMでも金髪の少女が起用されていた。英国への憧れをかきたてるような美しい情景のCM。

「あなたにも、チェルシー、あげたい」

このフレーズはいまでも記憶に残っている。


ド田舎で暮らしていた子どもにとって、気品のあるチェルシーはなんとなく近寄りがたいような、それでいて気になって仕方がない、だけどいつか絶対に仲良くなりたい、そんな存在のキャンディーだった。

小学校高学年になると、バタースカッチ推しだった母が、ヨーグルトスカッチやコーヒースカッチを買ってくるようになった。「この味だと食べやすいよ。食べてみる?」とすすめてくれたのがヨーグルトスカッチ。

ヨーグルト好きの私にはスッとなじむ味で、美味しかった。それ以来、チェルシーを自分からすすんで食べるようになった。

当時はヨーグルトスカッチが1番好きで、普段使いではなく、遠足や運動会など特別なイベントで食べるもの、という位置づけにしていた。気品のあるキャンディーという印象をもっていたので、スペシャルなときに食べたかったのだ。

食べたあとチェルシーの包み紙は捨てずに、定規でこすって真っすぐに広げ、きれいな形にして、大切なものを入れる箱に取っていた時期もある。マットな質感の銀色の紙にプリントされたピンクとグリーン、金色の紙の黄土色の花模様は、子どもにとっては十分に「宝物」と呼べるものだった。

バタースカッチの良さが分かったのは、高校生になったころ。母がずっとバタースカッチばかり食べていた理由、それは、口の中いっぱいに広がる濃いバターの香り、これなんだなと思った。自分はチェルシーをちゃんと味わえる年齢になったんだ。ちょっと誇らしい気もちになった。

憧れだった存在にやっと肩を並べられた。もう、憧れじゃなくて友達だね。そんな充足感。

1人暮らしをするようになってからも、母が亡くなったあとも、折に触れてチェルシーを買った。箱入りではなく、袋入りのアソート版になってからも、売り場であのデザインを目にすると自然に手が伸びた。もう、よそ行きのお菓子ではなく、私にとって普段使いのお菓子になっていた。それくらい、チェルシーと私との距離は縮んだのだ。

疲れたときに食べたくなるキャンディー、それがチェルシーだった。亡くなった母を思い出したいときに食べたくなるお菓子、それがチェルシーだった。

あの濃いバターの味となめらかな舌触りに、これまで幾度となく助けられてきたように思う。

販売終了の知らせは、控えめに言っても、とても残念です。

でも、これまでずっと楽しませてくれてありがとう。私の人生に何度も登場してくれてありがとう。

チェルシーを開発してくれた方たち、チェルシーを世に送り出してくれた方たち。そういう人たちがいたからこそ、チェルシーはたくさんのシーンを私に見せてくれた。それは、多くの人たちにとっても同じなんだろうと思う。

ありがとう、チェルシー。

あなたと出会ったこと、あなたと仲良しになれたこと、ずっと忘れません。










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