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『どこでもない場所』を読み直して救われる

読んだときのあったかい気持ちにまた出会いたくなって、浅生鴨さんのエッセイ集『どこでもない場所』を読み直してみた。

「また深夜にこの繁華街で」の最後の部分を読んだら、また胸がじんわりあたたかくなった。

これはかつて、汚水処理のバイト中に成人式帰りの楽しそうな人々を眺めていた青年の話だ。

最後の連のはじめの文章で、私はなぜだか救われた。

なりたかった自分になれないまま生きていく。それが生きていくということではないのだろうか。

なりたかった自分なんてあっただろうか。あったとしてもそれは現実の世界とはほど遠く、ドラマや小説のキャラクターのように、連続的な生の描かれないものだったろう。

誰もが、なりたかった自分にはなれない。

いま私は、なりたかった自分よりはよほど丁寧に現実の生を生きている。

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