見出し画像

事件

事件は非日常ではなく、日常の中で起きる。先週起きた事件も、何の前触れもなくいつもの仕事中に起きた。

僕はスーパーで青果担当のバイトをしている。8時出勤の16時上がり。昼すぎに社員のひとりが休憩に入る間、1時間だけレジに立つ。

青果と違って、レジは重いものを持つこともなく楽だけど、暇だとつまらないし、混むと焦るから苦手だ。

午後2時に社員が戻ってきて、僕が青果の作業の続きをやっていたら、レジが混んできたのか店内放送で応援を頼まれた。

急いでレジに駆けつけると、太った女性社員が客の男と揉めている。

「カードの残高がないなら買えないから、どれか減らしてもらうしかないんですよ」

「うるせぇな、金持ってねんだからしょうがねーつってんだろ」

男はビール6缶パックとツナの缶詰を買ってICカードで払おうとしたが、残高が足りなかったらしい。社員が買う商品を減らすよう説明したが、気に食わずごねているのだ。

このパターンなら、店長を呼ぶまでもなくそのうち向こうが折れるだろうと思い、とりあえず僕はもうひとつのレジで後に並んでいたお客さんのレジ打ちをやることにした。

“ピッ 鶏もも肉 384円、 ピッ 卵 198円、ピッ ほうれん草 148円……”

「あ~ ちょっと! 刺されたわよ! 刺された!警察呼んで!」

お客さんの声が聞こえて、さっきの男を見ると手に血のついたナイフを持っている。

胸かおなかを刺されたらしい女性社員は、レジの台に手をついてうつむいている。

電話は、女性社員の後ろにあった。僕が内線10番を押せば、店長につながる。電話の横には近くの警察署の番号も書いてある。この場合、どっちにかければいい?

「おい、警察なんか呼ぶなよ。呼んだらお前も刺すぞ」

男は怒っているが興奮した様子もなくそう言った。

こいつなら、勝てるかもしれない。

一か八か、僕は反対側のレジに回って内線10番で店長を呼んだ。

“店長、神保さんが刺されました。警察呼んでください!”

「おいガキ、ふざけんな!」

今度は男は興奮してこぶしに力を入れ、僕にナイフを向けてきた。

刺される前に、僕は、男の鼻を思いっきり殴った。相手が死んでもいい、そうじゃなきゃ殺されると思って何回も殴った。

途中で店長が来て、警察が何人も来て止められて、その前に僕も刺されたのかもしれない。

初めて救急車に乗った。刺された社員の神保さんは、ぐったりしていた。救急隊の人に何か聞かれたけどよく覚えてなくて、なぜか体が震えて僕はずっと自分で自分の肩を抱いていた。

病院に着くと、神保さんは看護師に付き添われて診察室に入って行った。自分で歩いていたから、そんなにひどいケガはしていないのだろう。

僕も、別の診察室に案内され、ケガはないか訊かれて簡単な診察を受けた。

男を殴っているときにナイフに手が当たったのか、手の甲に切り傷ができていた。消毒して包帯を巻いてもらうとやっと緊張が解けてきて、とにかく早く家に帰りたいと思った。

まだ夕方の4時なのに、すごく時間が経った気がする。いつもならタイムカードを押して、廃棄のお惣菜を持って帰る頃なのに。

処置室を出て帰れるのかなと思ったら、警察の人が来て、少しお話を伺ってもいいですかと言う。絶対少しじゃ終わらないやつ。

車で警察署まで移動して、スーパーで何があったか話すことになった。

「相手の男は、お金を持ってなかったんですか? お金が払えなくてレジの人を刺したってこと?」

「はい、そうみたいです。お客さんからレジにいた神保さんが刺されたって言われて、それで内線で店長呼びました」

「電話してからあなたが男を殴った?」

「はい、殺されるっていうか、刺されたら嫌だなと思って」

「殺されると思って殴ったのね。怖くなかったのかな」

「それは、怖いっていうより倒した方が早いかなって、倒せるんじゃないかと思いました」

気が動転してむちゃくちゃ殴ったから、もしかして僕も傷害罪に問われるのかなと、このとき少しヒヤッとした。

連絡先書いて署名もしたけど、悪いことはしてないから流石に大丈夫だろう。

なんだかんだ、取り調べみたいなのが終わったら警察車両で送ってもらって、すぐ帰ることができた。

神保さんはどうなったのかな。それより明日からバイトどうなるんだろう。冷静になってスマホを見ると、店長から着信がきていた。

とりあえずかけ直して、明日どうするか確認しないと

「もしもし店長、フルタです。明日って、営業しないですよね。いつから出勤すればいいかわかりますか」

「ああフルタくん、大丈夫だった? いやぁほんとびっくりしたよ! 神保さんもフルタくんも殺されちゃうかと思って。

いつから営業できるか、俺もはっきりわからなくて、明日はやらないけど、いやむしろ来週から店開けたところで、神保さんとフルタくん出勤できるかって話。PTSDとかあるんじゃない?」

「いや~僕はPTSDとかなさそうだけど、神保さんはどうなんですかね…。じゃあいつから営業するか決まったら、また連絡ください」

なんだか、すごい事件があった割にスーパーは5日後から普通に営業することになり、さらに1週間後、神保さんは何事もなかったようにレジに立っていた。

「おなかに脂肪がついてるせいかな~ 痛いと思ったけど、意外と傷深くなかったんだよね。まだ重いものは持てないから、店長にやってもらうけど」

事件はニュースにもならなくて、僕からLINEで友達に伝えたら「やべーじゃん!」くらいは言われたけど、手の甲に傷ができた以外は何も変わらなかった。

傷が治ったら、本当にこれまでと何も変わらない。

もしかしたら、僕たちはいつもちょっとした事件の中に生きているのかもしれないと思った。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?