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思えば遠くに来たと感じる

2021年3月11日、JRの改札を出て私鉄に向かうと、東日本大震災の写真が展示されていた。

10年前の3月にはまだ東日本大震災の呼称はなく、生まれてこの方経験したことのないほど大きな地震で大事故、大事件だった。

被害の全体像はなかなかわからなかったが、地元の大型スーパーで駐車場のスロープが崩れたり、都心でも古い建物の天井が崩落し死傷者の出る痛ましい事故が起きた。

地震当日からどのテレビ局でも地震による被害や交通状況、被災地の映像を写していて、たまたま仕事を辞めしばらくやることのない期間を過ごしていた私は、家で途方にくれた。

仕事で都心に行く家族はずっとピリピリして、帰宅しても喋らない。SNSの勝手なデマのせいで家人の職場も振り回されたかもしれないけれど、恐くて口に出せなかった。

何か新しい情報はないか、自分にできることはないか考え、新聞に目を通すようにしていると、地震から2日後くらいだったか、福島第一原子力発電所の水素爆発に関する報道で頭が真っ白になる。

安全とも安全でないとも書いていなかったと思うけれど、とにかく大変なことが起きているのはわかった。

本棚を漁ったりインターネットで調べたりして、安全でないなら外に出ないほうがいいかもしれない、外に出るときは濡れたマスクでもした方がいいんじゃないかと不安になっているのに、

私以外のたいていの大人は、マスクもせず、電車の本数が減ったこと以外何も変わらないように出勤していた。

福島の友人に、「(東京電力は)福島の電気じゃないからね」、と言われ、それまで東京の電力を担う原子力発電所が福島にあることすら知らなかったことに愕然とした。

あの頃の報道は、私には直視できない事実だった。私は何もできない現実を直視できずにいた。

10年経っても、東京や首都圏にいる人の多くは現実を見たくないのだと思う。

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