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愛子さま、日本赤十字社へ就職へ

天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが大学を卒業後、4月1日から日本赤十字社に就職されるというニュースが飛び込んでまいりました。
嘱託職員として勤務されることが内定したということです。

愛子さまは福祉活動にご関心を持たれているという記事も見かけました。
以前にも皇室の方が日赤にて勤務されていたと聞いたことがあります。

日赤と皇室?どのような関係性なのでしょうか。

赤十字と皇室の関係について気になって調べてみたところ、以下のことがわかりました。
日赤と皇室のゆかりは深く、現在の日赤の名誉総裁は皇后さまが務められておるということ、天皇陛下も皇太子時代に名誉副総裁を務められていたということです。

・以下に抜粋しておりますが、日赤の前身の「博愛社」の設立の許可を出したのは有栖川熾仁親王となっています。
ここから皇室との関係がはじまったとされています。

日本赤十字社 創立者(初代社長)佐野常民

佐野は大阪の「適塾」の緒方洪庵から医術を学び、「医は仁術なり」(身分に関係なく患者は平等に診るのだ)と教えられました。その後、1867(慶応3)年、佐賀藩士としてパリ万博の派遣団に加わり、現地で赤十字の展示を見た佐野は「敵味方の区別なく、救う」という赤十字精神に感動しました。人道精神が世界共通であることを実感した瞬間です。

1877(明治10)年2月に西南戦争が起こりました。明治政府軍と薩摩軍の激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに多数の死傷者を出しました。この悲惨な状況に対し、佐野と大給恒の両元老院議官は、救護団体による戦争、紛争時の傷病兵の救護の必要性を痛感し、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体を作ろうと思い立ち、奔走します。

しかし、実現には時間が掛かることがわかると、佐野は戦場で負傷する人々を一刻も早く救護したいと考えました。ついに征討総督・有栖川熾仁親王に直接、博愛社設立の趣意書を差し出すことに意を決し、同年5月、熊本の司令部に願い出ると、有栖川宮熾仁親王は英断を以て博愛社の活動を許可されました。博愛社の救護員は、直ちに現地に急行し、官薩両軍の傷病者の救護に当たりました。

1886(明治19)年に日本政府がジュネーブ条約に加入すると、博愛社は翌1887(明治20)年に日本赤十字社と改称し、現在に至ります。

日本赤十字社HP(https://www.jrc.or.jp/about/history/)より抜粋


大学卒業後の進路が気になっておられた方も多いのではないでしょうか。

個人的にはとても嬉しいニュースでした。

心から祝福いたします。


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