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時計

 新入社員の入社日は4月1日とだいたい決まっている。給料の締め日もだいたいその月の20日と、これも決まっている。要するに待望の初任給というものは、月の2/3程度しかもらえないことになる。
 そうなると親元から通っているならいいが、そうでない限りにおいては、その月はギリギリの生活を強いられることになる。
 もっとも学生時代にアルバイトなどをして貯めていれば、その限りではない。
 俺の場合は、独り暮らしではあるが、幾らか蓄えはあったので、これまでお世話になった両親へ、初任給でプレゼントをしようと思い立った。
 初任給でプレゼントをするというのが、タイムリーでいいのである。これが1か月ずれると、ちょっとしらけてしまうものだ。
 ペアウオッチを買おうと思ったが、あまり高額なものは買えない。時計というものはなんと売価ゾーンが広いものなのだろうか。当時100円均一はなかったものの、最低金額で1000円未満で売っているものもあるかと思えば、自動車よりも高いものまである。
 そこは身分相応にペアで1万円程度に抑えた。選んだ時計を気に入ってくれるかどうかは、このさい関係ない。相手の趣味なぞわからないのであるから、贈ったかどうかが重要なのだ。
 デパートの時計売り場で、商品の配達受付をすませ、俺はアパートへ帰ることにした。明日はまた仕事である。新入社員は覚えることがいっぱいあって、大変なのだ。
 翌々日、時計が届いたとお礼の電話があった。喜んでいた。とりあえずよかったかな、と思う。
 
 あれから約35年以上経つ。時計をプレゼントしたことも忘れていたが、親は大事そうに今も使っているのにはびっくりした。そんな高価なものでもないのに、結構丈夫だったのだな、と感心した。親父の方は死んでしまっていたけれど、時計は今も音を立てて生きていた。電池をまめに替えていたようだ。
 正直言って、贈るべきかどうか、少し悩んだのだけれど、贈ってよかったと思った。

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