見出し画像

幼稚園の頃の思い出

 幼稚園の送迎バスの発車地点が僕の団地の近くだったので、いつも僕が一番乗りだった。僕1人だったということは、同じ団地の人は誰もその幼稚園へいっていないということだ。なぜ僕だけその幼稚園になったのだろうか。今思えば不思議だ。あるいはいたのかもしれない。忘れているだけかもしれない。団地は福岡市南区大橋にあり、幼稚園は塩原にあった。
 最初に乗り込むので、お気に入りの席は行きは必ず僕が取った。運転手さんの横の席である。
 幼稚園は3年保育であった。ほとんどの園児が2年保育だったので、年度が改まった時、僕だけ新入生と一緒のクラスになっていたので、落第したのかと思った。なんとなくそのへんの気分はわかってくれるでしょうか。
 そういうことを感じるませたガキだった。
 幼稚園の思い出はそんなにない。覚えている方が不思議だが、結構園庭に置いていた遊具とか覚えている。
 近くで火事があって避難したことがあった。安全な近くの広場で火事の現場を見た。生まれて初めて。火事を見るとおねしょをするというが、おねしょはしなかった。
 僕はだいたいおねしょはした記憶がない。親も保証してくれている。聡明な園児だった。というより神経質な園児であったといったほうがいいかもしれない。
 赤ん坊の頃から、寝ていてもちょっとした音がするとすぐ泣き出したそうである。ゴルゴ13のような赤ん坊であった。というより臆病だったのかもしれない。
 話は急に飛ぶが、僕が33年間働いたホームセンターに、入社試験を受けに行った時の話である。当時の会社の本社は福岡市南区の塩原にあった。今は中洲に移転している。
 その塩原に入社試験を受けにいったのであるが、その本社の隣に幼稚園があった。道も建物も何もかも変わってしまったけれど、まぎれもない僕が卒園した幼稚園であった。
 不思議な縁だな、と驚いた。何かの導きなのだろうか。結局その会社で33年働くことになるわけである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?