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僕の叔父さん

  僕の母親には3人の弟がいる。まだ3人とも健在である。なかでも末っ子の弟、つまり僕の叔父さんは、僕が生まれた時、まだ高校生だった。
 まだ実家に住んでいたので、祖父母に預けられた時は、よく遊んでくれたし、当時住んでいた団地にも遊びに来てくれた。
 母親が留守で、家で僕の子守を仰せつかった叔父さんは、ベビースターラーメンを買ってきて、鍋で煮ようとしていた。「それはそのまま食べるんだよ」と幼稚園児だった僕は教えてあげて、2人で食べた思い出がある。叔父さんは当時大学生だった。
 漫画が好きで、自分でもよく漫画を描いていた叔父さん。当初左利きだったらしいのが、矯正されて右利きになったらしい。矯正されなければ、僕と一緒だったのに。僕も漫画が好きでよく書いていたし、左利きだった。遺伝的に一番近いのかもしれない。
 叔父さんは大学を卒業すると楽器店に就職をした。その時、僕は高校生で、ちょっといいギターが欲しくて、叔父さんの店から買ったことがあった。10万円と奮発して買った。S・YAIRIだった。本当はK・YAIRIかあるいは他のメーカーがよかったのだが、あまりギターそのものには詳しくないので、お任せにしたのが、よかったのか悪かったのか。おそらく10万円という金額では当時、一番よかったのだろうと思う。今でもたまに弾いている。
 叔父さんは結婚する。仕事も楽器店の経営がやばくなってきたので、奥さんの父親の斡旋でNHKの集金のほうの仕事をすることになり、定年まで働いた。
 叔父さんといえば、外せないのが、酒である。無類の日本酒好きであった。何度か一緒に飲んだが、ある日、叔父さんの家で一緒に酒を飲んでいたら、酒が足りなくなって、車で僕に買って来いという。驚くべき人だ。そういえば高校生の僕と待ち合わせするのもパチンコ屋でとかいって、僕を困らせたことがある。
 酔っぱらって側溝に足を取られて骨折したこともあるし、酒での失敗は枚挙に暇がない。
 そんな叔父さんであるが、年取った僕の母親、つまり叔父さんにとっては、お姉さんへのケアは忘れない。度々電話してくれてるようだし、この前は近くに用事があったからと、福岡から広島まで立ち寄ってくれたらしい。母親のいうことには、叔父さんは頭がツルツルになっていたとのこと。
 僕も叔父さんの息子の結婚式以来会っていないので、そんな状態になっているとはしらなかった。そもそも祖父がツルツル禿げだったので、その遺伝であろう。
 そうするとやがては僕も・・・恐ろしい。
 


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