見出し画像

【沖縄戦:1945年5月8日】ナチス・ドイツ降伏 「無益に生命を捨てるな! 米軍の方へ来給へ!」─ドイツ降伏と米軍の心理戦

8日の戦況

 第二防衛線右翼、運玉森方面では米軍の攻勢は活発ではなかった。
 幸地地区では、昨日に続き強力な米軍の攻撃をうけたが、陣地を保持した。同地を守備する歩兵第22連隊の連隊長は、この日夜、第一線の第一大隊(小城大隊)と第三大隊(田川大隊)を交代した。
 前田高地の洞窟では賀谷大隊、志村大隊が米軍に包囲され猛攻をうけながら頑強に抵抗をつづけていた。7日夜、独立歩兵第13大隊(原宗辰大隊長)から約一個小隊の煙幕構成隊が前田洞窟に派遣されたため、賀谷大隊は発煙を利用する夜間攻撃を実施したが、米軍を撃退することはできなかった。
 前田集落南側地区では、歩兵第32連隊第3大隊本部、独立臼砲第1連隊本部、独立歩兵第11大隊本部が米軍に包囲されていた。これら各隊を救出するためにこの日夜、歩兵第32連隊および第62師団輜重隊は夜間攻撃を実施し米軍を撃退した。
 安波茶、沢岻北側地区でも接戦が展開されたが、前田集落方面に米軍が進出したことにより守備隊は苦戦をつづけた。
 沢岻北西の50メートル閉鎖曲線高地(浦添市大平周辺、米側呼称:ナン高地)では米軍の攻撃に対し善戦し陣地を保持した。

画像5

ぬかるんだ道を進むトラックと海兵隊員 45年5月8日:沖縄県公文書館【写真番号90-28-4】

沖縄北部の戦況

 遊撃戦再興を目指す第3遊撃隊(第1護郷隊)の村上隊長は大浦北西の拠点から撤退し、各中隊を掌握しつつ、この日隊本部を「はぶ山」(タニヨ岳北東2キロ付近か)に設定し、次のような遊撃計画を作成した。

各隊の基地及び任務
 隊本部 はぶ山
 第1中隊 名護岳周辺に基地を設定し、名護町付近及び本部町方面の遊撃戦
 第2中隊 タニヨ岳東側地区に基地を設定し、羽地村及び今帰仁村(本部半島)方面の遊撃戦
 第3中隊 一岳南側地区に基地を設定し、久志村(大浦以北)の遊撃戦
 第4中隊 久志岳現基地により久志村(大浦以南)及び金武村の遊撃戦
各隊は挺進攻撃班(機動遊撃戦)、警備班(基地警備、秘密遊撃戦)、糧秣補給班(食糧の収集補給)、其の他(情報班、民衆指導新聞班)に区分する。

(戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』)

 「其の他」の情報班、民衆指導新聞班という任務が気になるところだが、いずれにせよこのように見ると何かきちんとした部隊が編成されているように思えるが、第3遊撃隊の人員はこれまでの七割程度となっており、食糧の欠乏もはなはだしく、厳しい状態であったといわれる。
 第一次恩納岳の戦闘を終えた岩波隊長率いる第4遊撃隊(第2護郷隊)はこのころ、5月3日に久志方面へ小隊を派遣したり、4日から12日にかけて恩納、安冨祖方面の米軍を襲撃するなどした。
 首里司令部から北部への連絡のため派遣された浦田挺進隊は、4月27日に久志岳の第1護郷隊第4中隊に合流したが、無線がどうしても通じないため、やむをえず国頭方面の状況報告のため首里司令部まで伝令の決死隊を派遣することを決めた。決死隊は岡軍曹以下陸路行の隊と前田見習士官以下海路行の隊にわかれ、陸路隊はこの日久志岳を出撃した。
 陸路隊はその後恩納岳に向かい、恩納岳で第4遊撃隊岩波隊長と会い、岩波隊長の委託報告書を受領して石川北東4キロの屋嘉に出た。そこからクリ船に乗って浜比嘉島に渡り、同島で11日、9日に辺野古崎をクリ船で出撃した海路隊と合流した。そして12日、前田見習士官、岡軍曹、木村伍長の3名がクリ船に乗って浜比嘉島を出撃し、与那原に向かった。途中、津堅島北東で米掃海艇に遭遇し、木村伍長が戦死したが、前田見習士官と岡軍曹は10キロ余りを泳いで与那原に到着、14日には軍司令部に状況報告した。
 浦田少尉が軍司令部にあてた報告内容は次の通りであった。

 五月八日 於久志岳 託伝令隊
 桜隊ハ四月二十六日大浦湾「スギンダ」浜達着、上陸直後敵ト交戦、渡邊伍長戦死、前田見習士官不肖、爾後連日通信ニ力ムルモ通セス茲ニ伝令ヲ派ス
一 敵情
 四月下旬東西両海岸道路ノ要地ニハ相当数ノ兵力駐屯(名護連隊本部、大浦三千、金武三千、辺戸、奥、本部半島)シアリシモ五月初メヨリ続々南下シ現在極ク僅カノ警備兵力ヲ存ス 故ニ南下セル敵ヲ撃滅セハ敵ハ再ヒ立ツ能ハサルモノト判断ス
 砲兵陣地地図記入、艦船名護湾B一、C一、T一、其ノ他艦艇数隻、敵機本日ハ活発ナラサルモ連日北上編隊音ヲ聞ク
二 友軍状況
 宇土部隊 川田、塩田以北線ニ於テ遊撃戦展開
 第一護郷隊(五〇〇)主力名護岳、一部(竹中隊)久志岳、海軍白石部隊(二〇〇)
 恩納岳 第二護郷隊(五〇〇)、大鹿隊(一五〇)、海軍(一五〇)
 其ノ他防召兵多数山中ヲ徘徊シアルモ戦意全然ナシ
  [略]

(上掲戦史叢書)

画像4

日本兵の遺体にDDTを噴霧する米兵 45年5月8日撮影:沖縄県公文書館【写真番号73-02-1】

ドイツ降伏と米軍の心理戦

 日本政府はナチス・ドイツの降伏後の対応について、すでに4月30日の最高戦争指導会議で措置要綱を決定していたが、5月1日にはヒトラーの自殺とムッソリーニの処刑が、3日にはベルリン制圧・在伊ドイツ軍の降伏が軍中央に伝わり、ドイツ降伏は時間の問題となっていた。
 そしてこの日ついにドイツは無条件降伏した。日本政府は翌9日、「ドイツ降伏は遺憾だが、日本の戦争目的に変化はなく、米英の非望に抵抗し東亜の安定を確保する」旨の声明を発表した。
 またドイツ降伏による日本政府の最大の懸念はソ連の対日参戦であり、ソ連の対日参戦を防ぐため様々な施策がとられた。
 ドイツ降伏について、第32軍八原高級参謀は当時を次のように当時を振り返っている。

 わが軍の運命が、ほぼ決定的になった五月中旬、ドイツの崩壊降伏が首里洞窟内にも伝わった。かかる世界情勢と、太平洋戦争の現段階において、依然戦闘を継続するのは、まったく無意味であると思った。個人の場合ならば、自らの意地や面子に身を滅ぼしてもそれまでであるが、国家民族の場合は、そうはゆかぬ。特に指導的地位にある人々の、個人的な意地や面子のために、国家民族が犠牲に供せられるようなことがあってはならぬ。
 大東亜戦争は美しい口実で開始されたが、畢竟支那事変の処理に困却し果てたわが指導グループがその地位、名誉、権力等を保持延長するための、本能的意欲から勃発したものとも考えられる。今この絶望的な戦闘段階において、もしこれらのグループの保身延命のために、わが将兵が日々幾百千となく、珊瑚礁上に殪れつつあるとせば、義憤を禁じ得ないであろう。

(八原博通『沖縄決戦 高級参謀の手記』中公文庫)

 一方で米軍は当時の日本の盟邦であったドイツの降伏を材料として、沖縄で心理戦を展開し、兵士や住民に投降をうながした。
 米軍が「琉球週報」と呼ばれる新聞形式のビラ(いわゆる「伝単」)を発行し、沖縄で配布し続けたことはすでに触れたが、ドイツ降伏をうけて「琉球週報」は号外を発行し、米軍砲兵部隊が砲弾に号外を詰めて沖縄各地の日本軍陣地に発射し、大々的に宣伝した。

画像4

ナチス・ドイツの降伏を伝える「琉球週報」第4号:保坂廣志、林博史、比嘉要「沖縄戦における日米の情報戦─暗号・心理作戦の研究─」(平成15年度~17年度科学研究費補助金(基盤研究(B))海外学術調査研究成果報告書、琉球大学学術リポジトリ公開)

 当然のことながら米軍はドイツ降伏について沖縄以外の日本各地でも宣伝をおこなった。米トルーマン大統領はドイツ降伏をうけて対日声明文を発表したが、これについてもビラが作成され、日本各地に撒布された。

画像6

トルーマンの日本国民に対する声明を記し撒布されたビラ:国立国会図書館所蔵【憲政資料室収集文書1313】

 そもそも米軍は沖縄島上陸以前から地上戦初期にかけて、日本軍と住民の戦意を減退させるための宣伝ビラ500万枚をばら撒いた。その後、ハワイの心理作戦課から語学兵・通訳兵などのチームが沖縄に派遣され、ビラはじめ「琉球週報」などの新聞、音声放送での呼びかけなどが実施された。沖縄島中北部で収容所が整備されてくると、収容所に入るよう促すビラが撒かれ、一度に1500人が投降するケースもあった。

画像2

投降を呼びかける米軍の宣伝ビラ 「無益に生命を捨てるな! 米軍の方へ来給へ!」とストレートに投降を呼びかけている:那覇市歴史資料室収集写真【資料コード02006113】【ファイル番号009-03】

 こうした宣伝のすべての基礎となるのが「琉球週報」であった。「琉球週報」が真実を報道しているとの理解が日本側でなされれば、米軍の音声放送や各種宣伝ビラの信憑性も高まり、宣伝の効果があがる。そのため「琉球週報」は日本側の攻勢なども一つか二つ意識的に織り交ぜ、客観性や公平性を印象づけたそうだ。実際に「琉球週報」は日本兵や住民のあいだでよく読まれ、ある部隊では上官が兵士に「琉球週報」の回覧をすすめたり、「琉球週報」を読んで投降を決めた兵士などもいた。
 硫黄島の戦いでは日本軍約2万2000人のうち捕虜になったのは200人程度であったが、沖縄戦では地上戦以降わずか3か月余りで1万7000人が捕虜となっている。また地上戦中盤までは「負傷しやむなく捕虜となった」などと投降を正当化する言動も日本兵のなかに見られたが、戦闘の終盤では自発的な意志で投降したことを述べる兵士が多くあらわれている。こうしたところからも米軍による心理戦の効果はあったというべきであろう。

画像3

ヨーロッパでの戦争が終わったとのニュースを沖縄で聞く第443通信建設大隊の兵士たち 45年5月8日:沖縄県公文書館【写真番号16-16-3】

参考文献等

・戦史叢書『沖縄方面陸軍作戦』
・戦史叢書『大本営陸軍部』〈10〉
・『沖縄県史』各論編6 沖縄戦

トップ画像

ナチス・ドイツの降伏を伝える「琉球週報」号外:保坂廣志、林博史、比嘉要「沖縄戦における日米の情報戦─暗号・心理作戦の研究─」(平成15年度~17年度科学研究費補助金(基盤研究(B))海外学術調査研究成果報告書、琉球大学学術リポジトリ公開)