見出し画像

[訪れる]オホーツク海/小さな列車の日常/2015.1月

Dear friends.

お元気ですか? 変化と危機に世界中が見舞われた、怒涛の2020年が去りました。そして、皆が一様に何かを信じる2021年がやってきましたね。日本列島は厳しい寒波と共に迎えた年始でしたが、いかがお過ごしでしたか?

私はこの年末年始、1年前の同じ日に旅していた道東の写真を見て、あの頃を振り返っていました。たった1年前とは思えない、ずいぶん遠くに行ってしまったような、旅。2020年の始まりの、旅。拙いメモを繰りながら、ディスプレイに向き合って写真をセレクトします。
これまで4回訪れた、冬の道東で過ごした日々、当時の記憶がふつふつと蘇ってきます。

画像1

そういえば、道東に初めて行ったのは、もう6年も前。それも冬でした。私が住んでいる四国から、道東・知床半島の入り口・知床斜里に行くまでは、随分と時間がかかります。最初は、高松から羽田、そして札幌と飛行機を乗り継ぎます。まずそこで1日が潰れます。そして宿をチェックアウトし、札幌を朝10時発の特急列車で出発し、網走経由の、知床斜里駅に着いた時は、既に真っ暗でした。

画像5

覚えています。車窓から見た、網走から知床斜里へ向かう、夕暮れのオホーツク海。人生で初めて見るオホーツク海。どこまでも広がっている海は、荒れた波で岸へとぶつかってきます。流氷のかけらが、薄闇に染まって暗闇に移っていく海に、ちらほらと浮かんでいて。四国の人間から見たら、あの波は「荒れている」というように感じるんですよ。
薄闇もじわりじわりと迫ってきて、何かがすうっと閉じていくような時間と、「まだ3時なのに」と、時計の針が指す数字との違和感。私はふわふわとワクワクに包まれていました。

画像6

四国に住んでいると、この「オホーツク海」という響き自体が、何かしら特別な存在感を放ってくれています。学生時代に学んだ、地理や歴史の教科書上の名称としての馴染みの方が深いかも。「まさか自分がそこに立つとは思わなかった」と言っても言い過ぎではないような気がするほどです。
しかし、私が座っている席の反対側には、高校生らしい女の子が体を席にググッと埋めて、参考書を開いています。長い長い乗車時間は、彼女にとっては毎日の自習室なのでしょう。
ここは、日常なんだ。
あの時の衝撃と感動は、今もなお私の中に残っています。

画像2

私は大きい荷物に防寒対策ばっちりの、いかにも”旅人”という出立ちです。特に私は寒がりですから。ふと車内を見渡すと、やはり同じような格好をしている人がいて、ああ、みんな旅をしているんだと再認識します。
と同時に、私から見ると「寒くないんだろうか」と思わんばかりの、服装が急に目立ち始めます。この寒さに慣れきっているからこそできる姿です。私は、地元らしい方々と、旅人との区別がつくようになってきました。地元の方々、そして旅人。両極端な格好をしている人たちは、同じ一両列車に乗って、同じ方向を目指しています。

誰かの旅は、誰かの日常とも繋がっている。
誰かが降り立つ駅は、その先に、日々の生活がある。
白い雪に包まれ、青い闇に沈むオホーツク海のそばで、私は確かに旅をしました。
長い長い乗車時間は、旅人にとって、大切な「日常」を共有させてもらう場所でもありました。

画像3

旅から戻ると、私もまた旅人から「地元の人」に戻ります。いつもの景色、いつもの時間、いつもの人たち。その「いつもの」は、オホーツクでも四国でも、同じものが流れている。そして私はオホーツクの「いつもの」に触れさせてもらったことで、四国にいながらもオホーツクを自分の心に甦らせることができるようになりました。
旅人でよかった。
今、世界が小さく小さく閉じ込められるような感覚に陥っていても、私は自分が見た確かな感覚を思い出し、繋がっていると信じられる。

画像6

私たちが何かを信じる2021年。
あの小さな列車が、毎日毎日、網走と知床斜里の間を、オホーツクの海と共に走っていることを、私は四国の地から、写真と共に想いを馳せています。

早く、また、皆が安心して旅に出られるような日々になって欲しいですね。
あなたもまた日々、健やかにお過ごしください。それではまた。

2021年1月4日

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?