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きっかけは一つの「美味い」から

狭い街で飲食業界に長くいると必ずぶつかる壁。

『独立』という二文字

この二文字の呪縛に10数年苦しんだ経験を書きます。そしてなぜコンサルタントという道を選んだのかも。


飲食店で真面目に働き出したのは高校2年生の頃。友人のバイト先に欠員が出たということがきっかけでした。その店でのことはかなり話せるんですが今日は割愛して次にいきます。

ある程度仕事も覚えた頃、その店(焼き鳥居酒屋)では花形である「焼き台」という、焼き鳥専属のポジションについたことが後の人生に大きな影響を与えました。

初めて自分の調理した焼き鳥を気難しい常連のおじさんが「美味いな」と言ってくれたことで、世界を奪ったかのような有頂天な気持ちになったことを覚えています。

月日は流れてなんとなくマンネリを覚えて求人誌を見ていたら、何やら「cafe」という言葉に出くわします。

これからが今の僕の主軸となる飲食人としての真のキャリアスタートと言えます。

そのcafeで様々な経験を得て、先輩方も退職したことで初めて「店長」という肩書きを21歳頃でいただきました。

そうしてまた違う店や業態や、県内外での仕事を思うがまま流れていると、周りからは自然と「独立しないの?」という言葉が投げかけられるようになりました。

もうその頃には20代も後半に差し掛かり、自分よりキャリアの短い友人も独立開業してオーナー業をしている。そんな環境でした。

確かに自身もcafeという業態に惚れ、自分の店を持つことが当たり前のゴールであり、正解だと思っていました。

飲食業に長く携わっているんなら独立してなんぼ。自分でもそう思っていたし、次々独立していく友人たちを見ながら、じわじわ劣等感を覚えるようになりました。

「いつかするよ。いつか。」こう言ってその場を逃れることにも正直慣れていました。

サラリーマンとしていくつか店舗のマネージャーや、新規立ち上げを経験しては「そのスキルもったいない」と言ってくれる友人たち。

「独立してなんぼ」

今の環境にいても手柄はオーナーのものだし、給与に反映されるわけでもなく、それでも独立して自分の店を持ちたいという気持ちは日々薄れていき、むしろ自分の中では考えないように仕事に没頭していきました。

自分の好みよりもお金を出すオーナーへのプレゼン、自分のセンスよりもオーナーのセンスを尊重する。そうしていくうちにあることに気づきました。

自分のわがままも、独自の感性も、これじゃなきゃ嫌だという気持ちも、どんどん薄らいで行ったことに


こうなると独立どころか、どんどん仕事に対するモチベーションが乱高下するようになりました。

幸い、周りの環境には恵まれていたので、良いスタッフと良い上司に恵まれ、飲食以外の経験値もたくさん積んでいけました。

ただ、「俺ならこうするのに」も「これだけは譲れない」も無い日々は時間の経過だけ加速していきます。

そうして迎えた30代後半。もう周りの友人たちは独立から何年も過ぎ、店舗展開したり従業員を雇ったり、地元では人気店のオーナーばかり。

もう劣等感も感じないほどになった自身に降りてきた問い。

自分が一番得意としていて、やりがいを持てることは何だ

店舗のオーナーじゃなく、飲食業界で生きていく仕事は何だ

自分が自信を持って言えるるものは何だ

その答えはしばらくして出ました。

コンサルタントになり、最強のサポート役に徹する

これが答えでした。

10何年誰かの2番手で仕事をしてきたこと、店舗立ち上げを複数経験してきたこと、冷や汗かく失敗を何度も経験してきたこと、多くのスタッフと出会いリーダーとしてマネージメントしてきたこと、会社の資金の行く先を託され事業の安定と拡大をになってきたこと。

この経験を反映していく仕事はコンサルタントとなり、これから出会う起業家や飲食業界に憧れを持つ人へのサポートだと腑に落ちました。

ここからの決心はゆるぐことがなく、辞表を出し、9年勤めた会社を退職することになりました。

「やりたいなら動けよ」

いつかこう言われたことがあり、何クソと思っていましたがようやく俺にしかできないだろと胸を張れる生き方に出会うことが出来ました。

「心に寄り添い、共に理想を実現する」


この経営理念はこれまでの自分であり、今後の決意となりました。

S・・start up
H・・help
U・・usaability
N・・networking


必要とされるなら、全力でサポートする。これが僕の使命と感じています。



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