見出し画像

スティーヴン・ミズン『心の先史時代』

画像1

 Common Ancestor 共通祖先。およそ600万年前、ヒト、ゴリラ、チンパンジーを含めた霊長類は、そこから枝分かれをはじめたはずである。この共通祖先は、一応の推測に過ぎず、存在したという確たる証拠はない。発掘された類人猿で最も古いとされるものは、450万年前の「南の類人猿」アウストラロピテクス・ラミドゥスで、この頃にはすでにチンパンジーやゴリラとは形態的には異なっていた。遺伝子的には98-99%の一致を示すヒト、チンパンジー、ゴリラ、これらが枝分かれしたのは450万年前より昔に遡ることは、一応明らかなわけである。こうした不明瞭なヒト科の分岐が起こったであろうこの時期のことをミッシング・リンクという。長い間、この期間は明らかにされていなかったが、近年ではいくつかの化石が見つかって、その間を埋めている。2000年にはアウストラロピテクス属よりもずっと古く(約580~600万年前)、かつ現生のヒト科に近い骨格系を示す化石も見つかっており、古人類学の見直しが図られているという。

 スティーヴン・ミズン氏の『心の先史時代』は1996年に著されている(日本版は98年)から、データとしては上述したものよりは少し古い。けれども約600万年前に系統的に他の霊長類から袂を分かったヒト科が、どのように進化し、〈心〉という奇妙なものを獲得したのか。そして、人類史や脊椎動物の進化の歴史から考えて、明らかに短すぎる期間にヒトがこれほど変化し、文化を獲得し、言語を獲得し、文明を作り出したのは何故なのか、といったような疑問に向かって真正面から考察している本として、貴重であろう。

 著者は実証重視の考古学者でありながら、人類の〈心〉の進化という抽象的な問題に対して認知考古学や進化心理学といった分野からアプローチする。

 考古学の発掘、およびそれに基づいた比較形態学や文化人類学といった方面からの推測では、ホモ・サピエンス・サピエンスの少し前に闊歩していたネアンデルタール人は、石器を作る技術的な知能や、ある程度の集団生活を営むための社会的知能を持ちながら、しかし文化的なるものを持つことはなかった。脳の容量は、ネアンデルタール人は現生人類のそれと比較して、ほとんど同じか、少し多かったとされる。構造的には、ネアンデルタール人も文化や文明を獲得する能力があったと考えるのはおかしくないだろう。しかしそうではなかった。事実としては、現生人類が約5000年このかた発展させてきた技術的文明は生まれなかったし、1万年以上前の洞窟壁画のようなものさえ、生まれることはなかった。それは何故か。

画像2

 現生人類、ホモ・サピエンス・サピエンスに起こった意識の変化、あるいは進化とよぶべきものが、ネアンデルタール人との決定的な違いを生んだと、著者はいう。それがラスコーやアルタミナに代表されるような洞窟壁画や、ひいては言語や文明を生み出す。それは初期人類の大半が獲得していた社会的知能や技術知、博物知といったものが、個々に独立していた意識の状態から、その隔たりが溶け、複合的で高度な情報を扱う意識へと変化した結果であるという。

 その結論に至るプロセスはぜひ読んで確かめていただいて、というほかない。正直にいって難しくて、全然理解したとは思っていない。ただ、個々の章立ては短くまとまっていて読みやすい。図版も多いので、大まかな理解はできるであろう。僕みたいな知的刺激がたまにほしい人にはおススメの本である。

Amazon販売ページ

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?