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しあわせのカタチ

こんにちは。ボツイチ・ボッチしあわせ研究所の研究員Mと申します。
とある街にあるニッチな研究に取り組むちいさな研究所、
という設定でやらせていただいています。

・・・ってあいさつしておいてなんなんですけど、
私自分をボツイチだとか未亡人ってカテゴライズしたくないし、
されたくないんです。本当は。
だって言葉のインパクトがすごいじゃないですか。
とても悲しそうで、孤独そうで、わびしいイメージ。
かまってちょうだい、私さみしいの。とすがっているような。
だからリアルでは未亡人で独身であることの情報開示には慎重です。
相手に気を遣わせるし、ショッキングなネタなので瞬く間に広がるし。
勝手にかわいそうな人カテゴリーに押し込められるのが
窮屈で、居心地悪くて。だって私は私のままなのに。
ちょっとでもカジュアルかしら、と思ってボツイチを採用した次第です。

それに夫がいなくなってとても悲しいのは当然として
一瞬涙ぐむことくらいざらでも毎日泣き暮らしているわけではありません。
当然ながら楽しいこともたくさんあるし、大変な目にあったから
大抵のことは屁みたい(失礼)なものでどうでもいいし。
時間はたくさんあるし、なんていったって自由だし!
なんてことを日々おもっている私が最近思っていることを書いてみます。


世間さまとは違っても

ひと足お先に独身に戻っていた友人が先日言った。
「今子どもが手を離れたし、すごく楽なんだよね。
ひとりって・・・楽しいよね!」
多少申し訳なさそうに、若干小声で。
でもくすくすっと笑いながら。
独身だなんてかわいそう、みたいに思う人がいることはわかっている。
そんなことを思ってか、こそっと打ち明けたみたいな言い方だった。
それなのに「楽しい」って言っちゃう自分って。
と心でツッコミ入れながら、くすくすっと笑いながら。

独身のセンパイの彼女の子どもたちが巣立ったのは最近のこと。
「そうなんだよ、あなたもこの楽しい生活、知ってしまったのね。
家族に囲まれたしあわせもあるけど、こういうしあわせもあるのよ。
ひとりって意外と楽しいよね。」
と、ひとり暮らしのセンパイのわたしは言った。
土曜日の夜、私たちはカウンター席でワインを飲みながら
あっはっは、と笑った。

言霊はブーメラン

多くの既婚女性はバツイチにならなくてもいずれボツイチになる。
哀れんでる場合じゃない。

なんて言ったらちょっといじわるだろうか。
男性と結婚した場合(生涯ともにする相手は異性とは限らないしね)
寿命がより長い女性が遺されるケースが圧倒的に多いといわれている。
それが自らの寿命に近づいてからなのか、若いうちなのかそれだけのこと。
どっちがマシかっていうと、まあ・・・ひとそれぞれ。
体力、精神力、夫婦関係にもよるんじゃないかな。
人ひとり亡くなるとたくさんの手続きが必要だし、どれも初めてのこと
だと調べながらになるので、ネットリテラシーと行動力が必要だし。
それを悲しみと絶望のどん底で遂行できる体力と気力も必要だし。

それに「かわいそう」って言葉はそっくりそのまま自分に返ってくることを
お忘れなきよう。「かわいそう」って評価したものにいざ自分がなると
自分をその評価に合わせて生きてしまうんだから。

「30歳はおばさん」なんてことを言う女子はその言葉を守るように
30代でも見事におばさんになるべく生きてしまうし、
そういうことを言う男子はせっかく好きで一緒になった彼女や奥さんを
いちはやくおばさんに育てあげてしまうように。

30代は若さもあり、経験もあり自信や色気も備わってオンナとしては
一番脂がのっている時期だと思う。
あまり三十路とかアラサーとかの言葉をネガティブに使わないでほしい。

結局しあわせってなんだっけ

しあわせって華やかなものではないことは人間を30年ほどやってみれば
大体の人はわかってくるとおもう。
仕事があろうとなかろうと、配偶者がいようといまいと、子どもがいようといまいと。家や車やバッグが人に自慢できるものであろとなかろうと。
いつもと同じ毎日が同じように繰り返されること。
多少のスパイスが入ることもあれど、手元が狂ってドバっと入ることも
あれど、平凡な毎日とそれが繰り返されることがしあわせ。
平凡なんてつまんない、と言いながらそれすらとりあげられると、
初めてそのありがたさに気づき、指の間からすり抜けた平凡な毎日を
必死にかき集めたりする。そういうものだ。

そしてしあわせって人それぞれ、家族それぞれにあるもの。
しあわせそうに見える誰かの真似をしたところで、
同じものは手に入らないし、手に入ったところでそれが
自分のしあわせとも限らない。

そしてしあわせのカタチは時間とともに変化する。
そのアップデートのタイミングは自分で決められないこともあるし、
周りの人とタイミングは違うかもしれないけど。
ひとつ言えるのは、前の形にしがみつくほど、しあわせは遠ざかる。
状況を受け入れて、良い面をじっくりみつめて味わう。
今は気に入らないことも時間の経過とともにしっくりくることもある。

私たちはこれまでの人生で山あり、谷あり、別れあり・・・
それぞれ色々経験して新しいしあわせの形を見つけたのかもしれないなあ。
そうやってしあわせのカタチは日々変化していくんだな。
空にうかぶ雲みたいに。



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