小説版『絶望サーカス』 -元ブラック企業勤めの社畜と不思議なサーカスの物語-
自分の「配役」は、自分で変えられる。
そう、望むなら。
絶望サーカス
俺の名前は「スペードの4」
職業はサーカスの団員。
担当している役は、ブラック企業の社員。
以前はいわゆるブラック企業に勤めていて、サービス残業・休日出勤は当たり前。
生きるために働いているのか、働くために生きているのかわからない毎日だった。
毎晩寝る前には「明日が来なければいいのに」と願い、毎朝目を覚ましては絶望する。
こんな毎日がこれからも続いていくのかと考えたある日、俺はその生活から逃げることにした。
もう耐えきれなかった。生きている意味がわからない人生を歩んでいくのが苦痛だったのだ。
退職することを上司に相談したら、こう言われた。
「お前はそうやってずっと逃げ続ける人生になるぞ」
確かにそうかもしれないと思ったが、今の生活を変えられるならどうでもよかった。
そうして、俺は次の仕事を決める前に長年尽くしたブラック企業を退職。
貯金があるわけではなかったから、次の仕事は早めに決める必要があった。
正直やりたいことも将来の夢もない。
「人生、詰んでるな」とも思ったが、生きるためには金を稼がなければならない。
そんな中、求人サイトをぼぉーっと眺めている時に”とある団体”のメッセージに心を奪われた。
「あなたの心の隙間を埋めます」
「そして、今度はあなたが誰かの心の隙間を埋める番です」
その団体の名前は「絶望サーカス」
とてもじゃないがまともなところだとは思えなかった。
しかし、長年ブラック企業に勤めていて”心の中にある何か”がごっそりと無くなっている感覚を持っていた俺にとって、その団体のメッセージはとても衝撃だったのだ。
「未経験者歓迎 - 今までの人生を活かせる職場です」
その言葉に背中を押され、絶望サーカスの求人に応募。
1回の面接を経て、見事内定。俺は絶望サーカスの一員となった。
絶望サーカスに入団してちょうど1年。
せっかくの機会なので、俺が絶望サーカスに入ってからの生活を振り返ってみようと思う。
*
絶望サーカスの初出勤日。
俺は今までにないくらい心の高揚を感じていた。
「ここで何かが変わるかもしれない」
ただ、それだけで嬉しかった。
絶望サーカスは名前のとおりショーを行うサーカスなのだが、世間一般で言われるような凄まじいパフォーマンスなどを行うものではない。
絶望サーカスには、1人のジョーカーと呼ばれる代表と52人の団員がいて、団員には一人一人役割が与えられている。
俺の役割は「ブラック企業の社員」
皮肉にも以前の俺とまったく同じ。
最初、この役割を聞いたときは酷すぎる笑えないジョークだと思ったもんだ。
他にも色々な役割が団員に与えられていた。
・女子高生役の熟女
・売れないお笑い芸人役の元IT企業社長
面白いもので言うと「猫」という役割もあった。
猫役の人いわく、仕事自体は楽だが四つん這いの体制でずっといるのがキツいそうだ。笑
そう、この絶望サーカスはただのショーを行うサーカスではない。
「社会」というものを観客に見せる、という趣旨でショーを行なっている。
最初は「こんなん誰が見にくるんだ」と思ったもんだが、意外にも客は入る。
昼休憩の1時間以外、9時から18時までひたすらショーを行うのだが、常に観客はほぼ満員。
代表のジョーカーいわく、
「絶望の中を生きている人間は、自分よりも下の存在を見ると安心する」
「だから、絶望サーカスを見にくるのだ」
と。
ブラック企業に長年勤めていた俺にとって、それは不思議と納得する内容だった。
俺の仕事内容はいたってシンプル。
「ブラック企業の社員」を演じるだけ。
もちろんブラック企業の社員なんて役だから、ショーの最中は理不尽に怒られたり無茶な作業を振られたりする。
けれど、それはブラック企業の上司役の人が演じているだけだから、精神的にはどうってことなかった。
むしろ、ブラック企業の上司役の人とは仕事(ショー)が終われば一緒に飲みにいくし、仲が良い。
「この人、今日も張り切って演じてるな」くらいに思うだけで、それ以上でもそれ以下でもなかった。
絶望サーカスのいいところは、その役を演じるのはショーの間だけということ。
1日のショーが終わったあとは、団員たちと談笑し、予定が合えば遊びに行ったりもする。
ショーが終わった後の俺たちには何の役割もなく、ただ「俺」という生活をするだけ。
ブラック企業に勤めていた頃は、深夜に仕事が終わって、あとは飯を食って寝るだけ。
起きたら仕事して…の繰り返し。
人生を占める時間のすべてが仕事だった。
今思えば、永遠に終わることのない「ブラック企業の社員」という役をひたすら演じていたのかと思うと恐ろしい。
絶望サーカスのいいところはもう1つある。
本人が希望すればいつだって「役」を変更することができるのだ。
すでにある役を演じてもいいし、自分のやりたい役を新しく作って演じてもいい。
団員みんなそれを受け入れているし、自由にやりたい役を演じる。
その空気感はとても居心地がよかった。
この仕事をはじめて、しばらくしてから俺はこう思った。
「お客さんは、心の隙間を埋めに俺たちを見にくるけど、むしろこっち側に来ればいいのに」と。
絶望サーカスは「あなたの心の隙間を埋める」をモットーに活動しているが、実際に一番心の隙間が埋まっているのは俺たち団員だ。
やりたい役を演じ、新しい役をやってみたくなったら変更し、ショーが終わればあとは自由。
拘束時間は1日8時間だし、給料もそれなりにある。ストレスはほぼ感じない。
お客さんは、ショーを見て心の隙間を埋めても、帰るときには何かの役にまた戻っているのだろう?
今の俺からしたら考えられない生活だ。
けれど、考えてみたらこの絶望サーカスに入った俺も俺だなと思う。
こんな職業があると思わなかったし、こんな怪しい団体に就職する奴なんていないだろうと。笑
けれど、いざ足を踏み入れてみたら、そこには俺が望んでいる毎日があった。
「生きてれば何かある」とはよく言ったもんだ。
もう休日に上司やクライアントからの連絡を恐れる必要もない。
日々無茶なノルマに追われて飯の味がしなくなることもない。
俺は「俺」という役を生きる。ただ、それだけ。
その”それだけ”で俺の生活は一変したのだ。
絶望サーカスは、土日を除く月曜~金曜の9時から18時までショーを行なっている。
心の隙間を埋めたいと思ったら、ぜひ足を運んで欲しい。
そして、ただショーを見て帰るのではなく、絶望サーカスの一員になることも考えてみて欲しい。
今の「配役」に満足しているのなら、それでいい。
けれど、自分の役はいつだって変えることができるのだ。
自分自身で変わりたいと、そう望むなら。
おっと、そろそろショーがはじまる。
では、俺の振り返りはこのくらいにしておこう。
またどこかで会う日まで。
-fin.-
【MV】絶望サーカス / Bot0-ん feat.flower
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