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人が成長し続けるために大切なこと

「無知の知」という言葉をご存知でしょうか。ソクラテスが残した言葉です。
学生の頃、授業で耳にしたことがあると思いますがその言葉の意味を理解していて説明できる人は少ないのではないでしょうか。
僕自信「無知の知」という言葉の意味について知ったのはつい最近で山口周さんの「武器になる哲学」という本を読んだのがきっかけでした。

今回は無知の知の意味を知ったことで思った人が成長し続けるために大切なことをnoteにまとめたいと思います。

無知の知の意味

まずは「無知の知」という言葉の意味について説明します。
無知の知とは簡単にいうと「自分が無知であることを知れ」ということです。
これだけでは何が成長し続けるために大切なのかわからないと思います。
「武器になる哲学」には無知の知という言葉についてこうありました。

これを達人=マスタリーへの道として整理すると、次のようになります。
①知らないことを知らない
②知らないことを知っている
③知っていることを知っている
④知っていることを知らない

少しわかりやすくなったかと思います。
僕はこれを読んで無知の知の意味ついて次のように考えました。

前段階の①

①は成長する前段階です。仕事でも勉強でも自分が知らないこと、わからないことをそのままにしていてはいつまでたっても成長はできません。
仕事で壁にぶつかったり、勉強でわからないことが出てきたらまず自分が①の状態にあると自覚して自分が何を知らないのか、わからないのかを把握することが大切だと思います。
これを怠ると沼にハマります。知らないことを知らない状態で次のステップに行くにはただひたすら量をこなすしかなくなるからです。
いわゆる「習うより慣れろ」です。これは最悪です。時間の浪費が激しい上に結果が中々出ません。

「習うより慣れろ」は何一つ結果をもたらさなかった

高校受験の時の僕はこのやり方で勉強していました。毎日夜中まで問題を解き、答え合わせをして、間違えた問題も振り返らずにまた問題を解くというのを繰り返していたのです。結果、僕の偏差値は50台前半です。
偏差値は50が平均値なので、人の何倍も問題を解いていたはずなのに僕の成績はほとんど平均でした。努力は報われるという言葉は全く当てにならないと悟ったのはこの時です。
また、安宅和人さんの「イシューからはじめよ」という本にはこのひたすら量をこなすアプローチについて「犬の道」と呼んでいて絶対に踏み込んではならないと書いています。
このことからもひたすら量をこなすやり方がいかに非効率かわかると思います。

スタートラインの②

②は成長のスタートラインです。自分が無知であることを自覚したらそれついて知ればいいのです。
ここで問題になるのは無知であることは自覚したけど何を知ればいいのかわからない状態の時です。
これがよく起こるのは「結果はわかるけど過程がわからない」状態のものです。
どうすればわかるようになるか主に方法は2つです。

A. わかる人に聞く
B. ひたすら仮説を立てて実験する。違ったらまた仮説を立てて実験するというのを繰り返す

時間がないときはAでもいいかもしれません。しかし成長したいのであればBをお勧めします。
Aは答えがすぐにわかる反面答えしかわかりません。Bは仮説を立てて実験を繰り返す過程で得られる情報量がAとは桁違いです。それに自分で手を動かしたり苦労して得た結果というのはそれが失敗でも成功でも記憶に残りやすいはずです。どんなに効率よく勉強をしても忘れたら意味がありません。多少苦労してでも記憶にも残りやすBの方法を選ぶべきだと僕は思います。

調べて理解できたら③

無知であることを自覚しそれについて調べて理解できたのなら自分がそれについて知っていることをわかっている状態になります。これが③です。
この状態になって始めて数をこなすことに意味をなします。「習うより慣れろ」ではなく「習ってから慣れろ」です。
そして数をこなしているうちにどんどん知識は洗練されていきます。「こうしたらもっと良くなるんじゃないか」「こうしたらどうなるんだろう」といったアイデアが生まれてくるようになっていきます。④に突入です。

わかる人にしかわからない④

アイデアが生まれてくる状態までいくと他人がそのことについてわかなければ「どうしてわからないんだろう」ってなったりします。わかる人には伝わるけどわからない人には伝わらない言い回しが出てきたりするのもこの段階じゃないでしょうか?
例えば僕は仕事でコーディングをしてい流のですが、後輩にやり方を聞かれた時に
「これは配列をfor文で回せばできると思うよ」と答えたのですが
後輩はあまり理解できておらず
「for文を回すってどういうことですか?」
と質問されました。
for文というのは同じ処理を繰り返し行う構文のことなのですが後輩はまだフォr文を使いこなせていなかったようで「for文を回す」という表現がいまいちピンと来なかったようです。

「こうしたらもっと良くなるんじゃないか」「こうしたらどうなるんだろう」といったアイデアを実際にやってみるとわかっていたつもりが実は詳しく知らないことや知っていることから派生して別の知らないことが生まれたりします。
こうしてまた①に戻っていきます。

無知の知はCとAに重点を置いたPDCAなのではないか

僕はこのサイクルをPDCAサイクルに似ているなと思いました。
わからないこと、知らないことが出たらまず何がわからないのか見直すこれはPDCAでいうCです。
わからないことを把握したらそれについて調べます。これはAに当たると思います。

仕事でも勉強でもわからないことにぶつかる前には何かしらのプランがあったはずでそのプランを実行したからこそわからないことが出てきたのではないでしょうか?

名前は忘れてしまいましたが昔読んだ本に「PDCAはPDCAのなかでさらに細かくPDCAを回して行う」といった内容のものがありました。
「無知の知」はその中でも成長のためにはCとAが大切だと教えてくれたように思えました。
僕はPDCAの中でもCとA特に意識しながらを回し続けることが成長し続けるためには大切なのではないかと思います。

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