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ラテン語さん『世界はラテン語でできている』読んだ

先日またぞろ古文漢文不要論が盛り上がってましたね。奢り奢られ論争なみに息が長い。

私は全員が古文漢文を学ぶ必要はないと思う。しかしそれを言い出したら高校以上の数学を学ぶ必要があるのは何割くらいだろうかと思ったりもする。もちろん一番無駄なのは、中学受験の和算である。中学受験をしないだけでこの最大の無駄を避けられる。

古文漢文は必修だという人々の言うことも理解はできる。私たちの使う日本語の成立過程であるとか、抜き難い中国の影響だとか、そういったことを知るのは、自らの思考の成り立ちを診断するという意味で、とても意義のあることだ。もちろん日本語をさらに上手く操れるようになるのも良い。

ちなみに私は、古文漢文をまともに読めないことについて、多大なるコンプレックスをもっている。

というわけで古文漢文を必修にすべきかどうかはわからないけど、やっといたほうがいいと思う。

そして、どうせ古文漢文をやるなら、ラテン語もやっといたほうがいい。

ラテン語を勉強し始めて驚いたのは、現代の日本には漢籍に負けないくらいラテン語が浸透しているのである。英語経由で流入しているものだけでなく、ラテン語そのものが身近に多くあるのだ。


そのことを確認するために、ついこないだ出たこの本を読みましょう。

ラテン語インフルエンサーの第一人者であるラテン語さんの単著である。最後にヤマザキマリさんとの対談もついてるよ。

ラテン語を学習する動機としては、古代ローマのことを知りたいとか、中世哲学を学びたいとか、カトリックの教義をもっと知りたいとか、そうしたことが多数派と思われる。

しかし著者は、ディズニーオタクであったために、ディズニーランドに溢れるラテン語を解読したいと思ったことがきっかけだったらしい。一昔前までは小さな漁村だった浦安にまで浸透するとはラテン語恐るべしだ。

まあそんな感じで、カタカナ語になったラテン語とか、AMPMみたいにそのまま使われているラテン語とか、ブランド名とか、大学とか商品の紋章に書いてあるラテン語とか、自然科学の用語など、たくさん紹介されている。

一番びっくりしたのは、高校野球の優勝旗にまでラテン語で勝者に栄光あれとか書いてあることだ。Victoribus palmaeだそうです。

ラテン語というとキリスト教や中世哲学のイメージが強かったが、現代人には科学がもっとも影響あるのかもしれない。とりあえず微生物とか動植物の学名はラテン語だし、単位とかもそう。西洋がその他の世界を大きく引き離したのは、近世に自然科学が飛躍したからだが、そのときの共通言語がラテン語だったから、当然そうなるのである。

だから現代日本人の脳はすでにラテン語に侵されているのである。これはどうしようもないことだ。だからせめてそのことに自覚的であるためにラテン語を学ぶ必要がある。古文漢文くらいはマストである。

私が力説してもしょうがないので、ぜひラテン語さんの本を読んで、ことの重大性を知ってほしい。まあそういうことを抜きにしても面白い本です。


それから著者が強調しているのは、ラテン語は死語ではないってことである。ラテン語で情報発信をしている人々はたくさんいるし、中世のごとくラテン語で会話するコスモポリタンな皆さんもいるらしい。また各国文学のラテン語訳は、むしろ誤訳が少なくて重宝される例もあるとのこと。

だから日本語の固有名詞をラテン語にする方法なんかも紹介されている。とりあえず加藤さんはカトー(Cato)でよいみたいだ。


もちろんラテン語の学習ガイドもある。私が使っている文法書2冊がおすすめされていて嬉しかった。俺のチョイスは間違ってなかった。

ただし本書では、ラテン語の格変化、活用のめんどくささにはあまり触れられていない、、、これを乗り越えたら印欧語ならなんでもマスターできると思えるくらい面倒くさい。

このハードルいかにして突破したかも書いてくれたらよかったのになあと思うのであった。


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