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被害者じゃない氷河期世代だから、、

今の40代は就職氷河期世代なんて呼ばれる。1997年の消費税増税、緊縮財政、アジア通貨危機などによる戦後類を見ない景気後退により、企業は軒並み採用を絞ったのである。当時の、レールの敷かれていない生き方を良しとする風潮、非正規雇用に関する規制緩和が、就職難に拍車をかけた。

この世代にはdecent salaryを得られないために家族をもてないものがたくさんいる。2000年代は彼らをいかに救済するかという議論(救済するとはいってない)がSNSではそれなりの位置を占めていた。

ところが今や彼らも40代で、家族をもてるように、という意味での救済は困難になってしまった。

安倍政権の終焉はそういうことを強く感じさせたのだった。もちろん安倍晋三氏が悪いのではない。誰が総理大臣でも同じことだったろう。

しかしよく考えてみると、40代以下でも未婚率は高止まりしており、就職氷河期世代が特に被害者とはいえないのかもしれない。先陣を切ったのは間違いないが、たんに若者にとって悪い時代が始まっただけのようにも思われる。

そして先日またしても白饅頭さんがいけないnoteを書いていた。

有料記事なので詳しいことは書かないが、要は、就職氷河期世代はいつまで被害者ヅラしてるんだ?と思っている若い世代も多いよ、ということだ。

さらに、40代なんだから、いつまでも被害者をやってないで、大人の振る舞いをするべきではないかとの指摘もあった。

氷河期世代を攻撃する意図はまったくないが、いまパンデミックのなかで苦しんでいる若者の視点で見れば「いつまでも大人になり、責任を負うことを拒否して『被害者である若者』をやり続けようとしている」と見えてもたしかに無理はないのかもしれない。氷河期世代が社会に対して「失われた成人期」の清算を求めているうちに、下の世代がもう「若者」の席に詰まってきてしまったのだ。

そして、それは簡単ではないとも。。。

就職氷河期世代は、時代の不幸なめぐり合わせによってこれらを得る機会を奪われてしまったのだ。「大人」のレールを走るための両輪を失ってしまった(というより最初から両輪とも与えられなかった)人びとは、年齢だけを重ねて内実では幼いままの「おとなこども」にならざるを得なかった。

そう、40過ぎてしまったら、少なくとも家族を築くという意味での大人のあり方は難しかろうと思うのであった。

さりとて、疫病騒ぎで大変なことになっている若い人たちのことを思うと、いつまでも被害者を演じているのは、、、そう、たんに就職難の先陣を切ったに過ぎないのならば。

考えないといけないのは、なぜ40代以下は貧乏くじを引かされ続けるのか?ということである。そこを断ち切らないと、毎世代毎世代、「被害者」が大量に発生し続けることになるだけだ。

新自由主義が悪い、で思考停止してはいけない。たしかに新自由主義には悪いところがたくさんある。しかし問題はそこじゃない。なぜ新自由主義が必要とされたかだ。


幸いにも私は「被害者」ではなかった。そういう者には、それなりの責任があると思っている。

「大人」になれなかった人々は長生きするのは難しい。家族の支えのない人が病気になったときいかに脆いか、医療従事者なら誰でも知っている。

だから、「被害者」になることなく「大人」になれた者には、下の世代だけでなく同世代に対しても責任がある。

とりあえず身体や頭が機能するうちは思考を続けること、葉隠的矜持を堅持しつつ思考すること、それが本当の大人への道だと今のところは考えている。

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