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島澤諭『シルバー民主主義の政治経済学 世代間対立克服への戦略』読んだ

世代間格差についての本を読んだので、その著者がより最近に出版したものも読んでみたのだ。



シルバー民主主義とタイトルにあるが、まえがきでいきなり日本にシルバー民主主義は存在しないと言い切っている。シルバー優遇、シルバーファースト現象はあるが、シルバー民主主義ではないとのことである。これらを厳密に区別する意味はあんまりなさそうなのだが、著者はたびたびこのことに言及している。

しかし著者は、いかに高齢者に予算が割かれているか、どれほどそれが増大してきたか、また選挙における高齢者の影響力が大きくなっているかも詳述しており、それこそシルバーデモクラシーなのでは、、、というお気持ちになるのであった。

もちろん著者は子育て支援などの現役世代優遇もなされていることを指摘しており、まあシルバーデモクラシーじゃないってのはそういうことなのかもしれない。

全体としては、「政治経済学」の経済学の部分については不同意、政治学については非常に勉強になったという感じ。


財政規律

そして著者は財政再建、財政規律を非常に重視している。なぜならそれは将来世代へツケを回していることにほかならないから、らしい。将来世代の厚生も重視するべきという論点は大いに賛同するのだけど、財政規律は関係ないだろっていう。

国債の残高とかあんまり関係ないってことが、日銀がこれだけ国債を買いまくっても金利も物価もびくともしなかったこの数年を経てもわからないらしい。また著者は財政破綻の例としてギリシャを持ち出しているので、信用創造とか貨幣の仕組みについて、根本的なところを理解できていないのだと思われる。

政府支出と収入は帳簿上一致していないといけないので、税などの収入で足りないぶんを国債を発行しているだけである。市中からマネーを吸収しているという意味では、税も国債も大差ない。

また国債は国民からみれば資産であり、これは将来世代においても変わらない。国債の償還を受けるのは将来世代の国民である。その原資が税なのか公債によるのかはその時の情況によるだろう。

そもそも現在の政府支出は将来世代の何かを原資にしているのではない。現在の実物リソースが財源なのだ。真の意味での徴税は政府が実物を徴発した時点で実行される。これは租庸調の時代からなにも変わらない。

政府であれ、民間であれ、現在生産された実物しか消費できない。紙幣や電子データを消費するのではない。これは未来においても同じである。未来において生産された実物を消費するのだ。その時点でどれだけ政府債務が残っているかは関係ない。

政府が実物リソースを徴用するのに税も国債も必要なくて、小切手とか赤紙を振り出せばいいだけだ。

小切手を受け取った業者はそれを貨幣に変えるから、そのまま放置していれば貨幣供給量が爆増してインフレを招くかもしれないから、税なり国債なりで吸収しているのである。

とはいえ著者にとっては財政赤字が毎年出ていることは、高齢者と現役世代が結託して未来にツケを先送りにしているということらしい。しかし現在の労働者が、主に社会保険料によって多大なる搾取をされている現状を鑑みれば、かなりの需要引き締めを強いられているのは明白であろう。

そしてこのような強烈な需要引き締めをしている限りはいくらでも国債を市中で消化できてしまう。日銀が既発国債の大量買い入れをやめたところで情況はほぼ変わるまい。

さらには政府が福祉に大量に支出しているからマネーがあふれており、国債を順調に消化できているという側面もある。
これは戦中の軍事支出によって国債が滞りなく発行できていたのと相似である。なお戦後にハイパーインフレを招来した原因の一つは、戦時国債が発行されなくなってマネーを吸収できなくなっことである。

もちろん現状が未来の悪影響を及ぼしているのは確実である。一つは少子化である。少子化だけでなく、現在の需要引き締め=消費低迷が設備投資の減少を引き起こしており、これは確実に禍根を残す。ショボい資産しか未来に引き継げないのである。

という感じで私は現役世代の負担ということに関してかなり批判的に読んだのだが、本書は2017年出版ということに留意しなくてはならない。本書ではたびたび世代間戦争を避けるために、と書かれている。しかしその後になにか意見修正でもされたのだろうか。

この2年半で私を始めとして意見を先鋭化させた者が多くいるし、著者がその一人であったとしても驚かない。


シルバーデモクラシーに対抗するために政治学

政治学についての記載は、私が不案内なせいもあり、とても勉強になった。中位投票者モデルであるとか、一票の格差の積極的追求などといった論点があるのを知らなかった。

特に、世代別選挙区とか、平均余命で一票に重み付けするなどの対抗手段を、土居丈朗氏や小黒一正氏のような、一部界隈で蛇蝎のごとく嫌われているネオリベ経済学者が提唱していることに驚いた。

というか最近、維新の会が左寄り界隈からも支持を集めているように、ネオリベラリズムのほうが労働者に優しいんだよね。私もネオリベは今でも好きではないが、反ネオリベよりも余程ましだと思うようになってしまっている。


まとめ

本書の出版社は日本経済新聞社であるためか、著者の最近のツイートに比べるとかなり穏当な内容である。もしかしたら先に述べたように、最近になって変わったのかもしれない。

最後に、123頁にとても大事なことが書かれている箇所があったのでやや長いが引用する。

つまり、社会保障制度は、もともとは個人に属するリスクを社会全体で管理する仕組みとして理解できる。
そうであれば、政府が提供する社会保障制度の充実は、個人が抱えるリスクを社会化してくれるため、非婚化や少子化、さらには社会との関係性の希薄化をもたらす。社会からの隔離は世代間交流を失わせることで、多世代に対するシンパシーを喪失させ過大な要求を生みやすい
また、子供を持たない場合、自分の子供よりは愛着がわかないので、やはり固いな給付を要求しやすくなるだろう。
要するに、社会保障制度は一旦導入されると、少子化を進行させ、政治過程を介した課題給付をもたらすため、支えての生活を危うくし、将来の支え手を減少させることで、自らの存立基盤を破壊していくという何とも厄介な性質を持っている
こうした社会保障制度の自己破壊性を説明するために、一人当たり社会保障給付費(社会保障の充実度)(B)、一人当たり所得(W)、婚姻率を(M)を説明変数として、合計特殊出生率(Y)との関係を実証分析したところ、先仮説は棄却されず、社会保障の充実と出生率の間には前ページの式のような有意な分相関関係を見出した

(太字は引用者)

MMTの創始者とも言われるハイマン・ミンスキは福祉を非常に嫌っていたらしいが、それはここに書かれたような理由もあっただろう。医療や福祉は政府が支出すれば解決すると思っている、エセMMT論者は、社会を支えているのは生産する人間であり、非婚化や少子化は生産する人間を減らすことで社会を破壊するということがわかっていないのである。


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