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@rei さんの『生きてるだけで、疲労困憊』みてはいけないものを見てしまった感じ

発達障害あるあるツイートで大人気のreiさんがついに本を出されたので早速読んだ。

いつもTwitterでおもしろツイートを連発し、ナンパも嗜むというreiさんのことだし、それにタイトルや表紙も楽しい雰囲気を醸し出しているので、そういうものを期待していたのだが全く違った。暇な時間に寝転がってのんびり読むつもりが、引き込まれて一気に読んでしまった。

まず親とコミュニケーションも思い出もほとんどない、ネグレクトといって差し支えない幼少期でありながら、わだかまりも何もないという。筆致が全編通して淡々としているので、本当に恨みも辛みもないのだろう。

そのことに非常に驚いた。また健常者から酷い仕打ちを受けるのだが、それも淡々と描写されている。唯一感情をあらわにするのが、普通高校進学を決意する件であるが、それもそこまでの熱量は感じられない。

この情感の欠落がガチの発達障害なのかと唖然とした。

そんなかわいそうランキングが露骨に支配的な世界で様々な困難がありつつも、いくつかの幸運と本人のとんでもない努力によって今はなんとかやっているというわけである。

やりがい、意義、感謝、道徳。そういった「正しさ」は弱者を救うことはない。正しさで作られた世界の中で「救わなくてよい」と結論されたからこそ、弱者は弱者なのである。その意味で正しさは「現状維持」以上の役割を果たすことはない。

かわいそうランキングそのものだ。

著者は再現性はないと強調するが、いくつか参考になることはあったと思う。

例えば、高校に進学してから小学校6年間の内容を1年かけておさらいしたこととか。勉強の基本はわかるところまで戻るである。そして瞬時にできるようになってから次の段階に進むことである。

また運動そのものが苦手なのだと決めつけないこと、筋トレのような個人行動ならば続けられることがある。そして著者はベンチプレス110kg以上行けるようになったという。ガチムチやん、、、

あるいはファッション。外出する時はスーツしか着ない、それも店員に勧められたものを買うだけ。判断するコストを極限まで抑えつつ、しかもそれなりに見栄えがするという最強のソリューションである。

これらは比較的ハードルが低いので、取り組みやすいと思われる。とはいえ何らかのセレンディピティがなくては、これらだけではなかなか厳しいだろう。それくらい前半の生い立ちの語りが凄惨だった。

また私の半生は極めて「稀な事象」がよく起こっており、これを他者への希望として記すのは無理があると思っている。「自分は例外的な幸運によって救われた」というストーリーは希望ではなく自慢だ。

そして希望とは、人生を多少なりともマシなものにできるかもしれないというものだと締め括られるのであった。

解説はとある精神科医が書いているが、本当に本文を読んだのか疑問に感じる内容だった。

ちなみにさきほど小山(狂)さんが迫力ある書評を書いておられた。無料部分だけでも面白いのでぜひ読んでみてほしい。


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