河合雅司『未来のドリル』読んだ
かなりのスピードで読んだ。
著者は『未来の年表』など少子化の行方を描く著作で有名。
本書のさわりはこちらのPresident onlineの記事で取り上げられている。
日本では130万人くらい毎年亡くなっているが、出生数は近年100万人を切った、高齢者は3000-4000万人でどんどん増えている、という基本的数字を知っている人にとって、驚くようなことは書いていない。
新型コロナウイルスによる騒擾によって、婚姻数が激減しており、少子化もこれに伴って加速していくであろうこともわかっている人にとっては常識であろう。
本書ではその少子化の加速っぷりを強調している。それが帯の「少子化は18年早まった」の中身である。つまり、この1年半いかにやばいことをしてきたか明らかにしているのである。
要するにこういうことである。
「社会の老化」の中で、とりわけ看過できないのが、若い世代に手枷足枷を嵌めたことである。政府や地方自治体は、「高齢者の命を守るために、若い方は外出を控えるように」と繰り返し呼びかけた。
だが、政府のこうした考え方は全く見当違いだ。守るべきは、社会の苦境を転じ得る若者のほうである。若い世代の動きが止まったらますます、社会の勢いはなくなってしまう。自らの国家を滅ぼそうとしているようなものだ。
まあもうどうしようもないけどね。
この他、都市部の人口動態、雇用の流動化、定年延長などこれから社会に影響を事象を紹介している。ただこれらは興味深いものの、反する因子が多く、現時点では将来像を描くのは難しい。ただ、少子化はずっと前からおこっていたことであり、それへの対処をコロナ禍は加速しただけという面もあることには留意すべきだ。
そういえば、地方は感染者が少なかったのに、その閉鎖性ゆえに自分から需要を投げ捨ててしまったとか、いけないことも書いてあったな。都市部への一極集中は緩和されるかもしれないが、かといって地方が復活するわけではない。
少子化に警鐘を鳴らすという内容でありながら、著者は核心から逃げているように思える。
子供の数が減ることじたいはさほど問題ではない。労働人口の割合が減ることが問題なのである。働かない人を少ない数で支えていかないといけないのだ。モノの生産に関してはまだ生産性向上の余地があるが、対人サービスは難しい。
あるいはキツイ労働もそうである。本書でとりあげられる例は終電がやたらと早くなったことである。コロナによる需要減もあるが、夜中に線路の保守をする人が確保できないからである。夜遅くまで電車が動いているという便利さを手放していくことに、クレーマー気質の日本人が耐えられるだろうか。
機械化できない対人サービスやキツイ労働に動員をかけるには、税や社会保険料で需要を減らすしかない。言い換えると、「文化的」だったり「不要不急」の産業の需要を削るということである。
そのへんのことはこちらの記事に書いた。
反緊縮派と呼ばれる人たちの一部はどうも勘違いしているところがある。MMTの理論によらずとも、主権通貨をもつ政府はほぼ無限に通貨を発行できることは自明である。
だが、貨幣そのものになにか使用価値があるわけではない。もちろん1万円札で尻を拭くといったような特殊な情況は別にしてである。なお、福沢諭吉とかジョージ・ワシントンなどの偉人の肖像が印刷された長方形の紙片という形態で存在している貨幣はごく一部であり、ほとんどは電子データである。
その電子データたる貨幣を発行したからといってリアルなリソースが生まれるわけではない。もちろん発行された貨幣の使い方によっては供給能力にポジティブな影響を与えることができるが、それにしても労働力人口という天井が存在する。
本書はそこまでやばいことは書いていないので(著者はそこまで考えてはいるかもしれないが)、誰でも安心して読める。ここに書いてあるようなことが多くの人に共有されつつあり、これを踏まえた上で個人としていかに振る舞うか、というフェーズに移りつつあると感じる今日このごろである。