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摂食障害の始まりから終わりまで (第三話:対人関係療法による治療)


拒食から過食になり、非嘔吐の過食症だった私は、
みるみるうちに体重が増え、

毎日鏡を見るたび、自分のお腹をつねったり叩いたり、
マフラーで首を絞めたり、横断歩道に飛び出したり、
足の感覚がなくなるまで走り続けたり・・・。

どうしてあんなにダイエットがうまくいっていたのに、
こんなことになったんだろう。
こんなデブで醜い自分は、どうしても受け入れられない。

そんな毎日でした。

でも、このデブな自分を治すためには、心の問題に向き合う必要があると決心した私は、対人関係療法という方法で治療していくことを決めました。

対人関係療法とは・・・(省略)「重要な他者」との「現在の」関係に焦点を当てて治療するものです。・・・(省略)対人関係の問題を扱っていると、ついつい「本人の性格の問題だ」「性格を改めなければ問題は解決しない」といった話になりがちです。しかし、対人関係療法では、本人のパーソナリティがどんなもので、対人関係にどのような影響を及ぼしているかを認識しようとはしますが、パーソナリティを変えることを治療目標とはせずに、パーソナリティを理解したうえで本人の対人関係のあり方を考えていこうとします。

http://www.hirokom.org/ipt/whatisipt.htm

摂食障害になった根っこの原因は、「痩せていなければ評価されない」という
「自尊心」の低さ。

そしてこの自尊心は多くの場合、友達や会社の人からの何気ない一言や、
家族など大切な人からの言葉、そして自分が相手に対して発する言葉によって、
つまり、他人との関係性の中で、作られたり、失われたりするもの。

だから、この自分にとって大切な人(対人関係療法では「重要な他者」と呼びます)との関係性を言葉を通じて見直すことで、
自尊心を自分で芽生えさせていく、結果として自虐的な状態から抜け出すことができる。

この対人関係療法の考え方に、私はとても納得したし、
コミュニケーションは自分にとってとても苦手な領域でもあったから、

水島先生が講演でおっしゃっていた、

「病気から治るということは、摂食障害の「前」に戻ることではないのです。
コミュニケーションを通じて対人関係を見直していく治療を通じて、
病気の前よりも、もっと生きるのが楽になっていくのですよ。


という言葉を信じて、私はこの療法を選択したのでした。

コミュニケーションノートを書き綴る日々

早速、水島広子先生の病院に電話をしたのですが、予約がいっぱいで、
半年先でないとカウンセリングを受けられないということで、

同じ対人関係療法の治療を施してくださる病院を都内で見つけ、
通院することに決めました。くしくも、通っていた大学のすぐ近くの病院でした。


2週間に一度通院するのですが、
何か薬や治療などの処方をしてもらうわけではなく、

その2週間の間に起きた出来事の中で、
過食につながってしまったようなストレスを感じたコミュニケーションを先生にお話しして、

そのコミュニケーションで、何が起きていたのかを客観的な視点から先生に解説してもらいつつ、

「本当はどうして欲しかったのですか?」

という先生からの問いに、答えていきます。

この質問に答えることが、当時の私にとっては、本当に本当に難しかった。
それくらい、自分の「本心」をどこかに置き去りにして生きてきたということですよね。


休職してからは、一日何もすることがなく、
過食を紛らわせるために、ipadのアプリで塗り絵のアプリをダウンロードしたのですが、

こんな色でこんなふうに塗ったら、センスがないと思われるかな。とか
いろんなことを考えて、好きに色塗りをすることすらできませんでした。


だから、本当はこうして欲しかった、という気持ちを話すことにはとても勇気が必要だったし、なぜかその話をするだけで、
毎回涙が止まりませんでした。

なんというか、小さい子供が転んで痛かったのを我慢していて、
お母さんの顔を見た瞬間に泣いてしまう、みたいな感情に近いかなと思います。

グッと堪えてきていたものが、こぼれ落ちるような、
止まらない涙でした。

「私は」を主語にする

そして、自分の本心に向き合えたあとは、

では、その気持ちを、
「私は」を主語にして、相手にどう伝えるか考えてみましょう。

と、コミュニケーションの練習をしていきます。


常に相手を主語にしたコミュニケーションをしていると、
「あなたがこう言ってくれなかったから、私には価値がない」
「あなたがこう思うといけないから、私はこうできない」

と、いつも自分の存在が後回しになってしまい、

自分を自分でコントロールしていく感覚がどんどん失われていく。

だから、「自分」を主語にして、

「私はこう思うから、こうして欲しいんだ」
「あなたからこう言われて、「私は」悲しかった」

と、自分を主語にするコミュニケーションを練習する必要があるのだそうです。


そして、重要な他者との間でのコミュニケーションは、
「コミュニケーションノート」に書き出し、

その場でうまくできなかったコミュニケーションは、
「本当はどうして欲しかったのか」を、「私は」を主語にして書き出して、
相手と共有していく練習をしていきます。


気持ちを「堪える」ことが減っていく

カウンセリングに通ってもなお、過食は続いていましたが、
このコミュニケーションを振り返る癖がついてからは、

「後でまたノートに書こう」と思うと、
その場のなんとも言えない堪える気持ちが少し和らいだり、

先生に後で聞いてもらえるという安心感から、すぐに過食に走らなくなったり、

治療の後半では、後でノートに書こうと思っている内容が、
その場で出てくるようになり、

その場で「私は」を主語にしたコミュニケーションが取れるようになっていきました。


そして、相手に自分の気持ちを伝えられた、という効力感や、
その場の状況を自分のコミュニケーションによってうまくやりくりできた、という効力感が、


少しずつ少しずつ、

私から「自分なんて」という気持ちを減らしていってくれたのです。


こんな私だけど、
こんなデブで醜い私だけど、

私の気持ちを伝えれば、話を聞いてもらえるんだな。


そう感じたからか、症状が少しずつ良くなり始めました。


続きは、第四話で。

読んでいただきありがとうございました。


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