日本の大学と教育体制は終わっていると私が思う理由
こんにちは。親との縁を切ってまでイタリアの大学の正規留学をしようとしているhonokaです。
ここでは、日本の大学とその教育体制はオワコンだな、と私が思う理由をひたすら列挙します。
1. 受験勉強は多感な高校時代を無駄にする
高校生というのは、人生でもっとも可能性に満ちている時期です。その時期の多く、場合によっては全てを受験勉強に費やすのは、とてももったいないです。
私がもう一度高校1年生になれるなら、間違いなく海外(イタリア)の高校に行きます。それが無理なら、国際バカロレアを受けます。それが無理なら、トビタテなどを使い、なんとしてでも留学します。
そうしなくても、部活や言語習得や学会参加など、やるべきことはたくさんあります。分野は違いましたが、親に頼み込んで高1のときにはじめて学会に行きました。そこで会った先生方や研究の内容に、とても刺激を受けました。(一応言っておきますが、とある宗教法人ではないです)
2. 大学受験のための予備校となりつつある高校
とくに(自称)進学校にありがちなことですが、高校を卒業したら大学進学しかないような教育がされています。私は4つの高校にいましたが、進学校(偏差値68)とまぁまぁの進学校(偏差値62)はどちらも「大学進学」に向けたカリキュラムと講座と授業しかありませんでした。
3. ドロップアウトしたら再起が難しい教育体制
日本は、「中学校→高校→大学」というこのレールがあまりにも強固であるがゆえに、それ以外の道を行くことが難しいです。
例えば「中学校→高校→働いて資金を貯める→大学」とか、「中学校→高校(バイトしながら)→海外を暮らすように旅→大学」とか、その他たくさんの進路があってもよいのです。
いよいよ大学の話をします。
4. 就職予備校となりつつある大学
これは言わずもがなですが、Fランになればなるほど、学業を放置して就職に力を入れます。
5. 遊び放題の大学生
一部であるのは承知の上ですが、一度入学すると勉強以外のことに力を入れだす人がいます。
6. 中高であれだけ英語を習ったのに、大学でも英語を学ぶのか?
私は英語アンチではありません。ですが、せめて高校時代に第2外国語を学びたかったと強く思っている人です。その理由は将来の可能性がまるっきり違ってくるから。
英語C2のみを持っている人と、英語はB2でも中国語(かスペイン語かフランス語)がB1話せる人だったら、後者のほうがはるかに魅力的です。
私がたまたま見た大学では、「国際英語学部」というものがありました。目的は英語を学ぶこと。その労力を中国語に回したほうがその人の将来が輝くのは何よりも明らかなのに。
7. 日本から出られないカリキュラム
日本の高校を出た人には、日本の大学。日本の大学を出た人には、日本の就職。これはまあ当たり前なのでしょうが、外国に出るという選択肢がまるで欠けているのです。
私にとってイタリアの大学に行くことは「私、東大に行きたい!」と言う学生と同じ感覚なのに、なぜか私は国際的ですごいと言われます。
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