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ボルボラ日記 vol.03~メンタルの自己モニタリングを徹底する。外部ストレス、ソフトウェアの問題、そしてハードウェアの問題~

 どうもです。ゴリラです。違うわ。ボルボラです。

 昨日は、ほぼ一日中にわたって機嫌悪かったです。すなわち何事につけ意欲がなく、イライラしやすく、不安を感じやすい状態でした。といっても、会社で具体的に何かイヤな出来事があった訳ではありません。おそらく単なる寝不足です。この前日、私は2つの理由があって処方されている睡眠薬を服用しませんでした。1つは、比較的昼寝を多くしていたこと、そしてもう1つは、睡眠薬を飲むと6時間は作用してしまうので、時間的に飲んでしまうと起床に困るであろうと考えたことです。

 あくまでもイメージの世界の話ですが、私は頭の中に「ボルボラを精神状態を観察および分析するセカンド・ボルボラ」を作っています。いわゆる自己モニタリング用人格です。(『いわゆる』っていうほど一般的かは知らんが……)

 セカンド・ボルボラは、ファースト・ボルボラよりもだいたいにおいて冷静です。たとえばこんな感じです。何かあってイライラしてしまったとします。ファースト・ボルボラはただイライラして目の前の出来事を何とかしたいと考えますが、セカンド・ボルボラはもう一歩引いて冷静に考えます。「お前はいまAという出来事でイライラしているが、過去の類似事例を参照すると、Aではイライラしないことの方が多い。よって通常時と異なる易怒性に陥っているものと思われる。原因としては、寝不足が第一に考えられる。対策は、今日は退社次第、はやめに寝ることである。この対策に効果がなければ、改めて分析するゆえ、ひとまず対策の実施と結果の報告を求む」みたいな感じで状態観察・原因分析・対策立案をトータルにこなしてくれるのです。

 当然ながら、人格分裂に陥っているとかではなく、イメージで意識的に用意した仕組みです。メイン・システムがダウンしている時、それをメンテナンスし回復させるサブ・システムとでも言えましょうか。

 こういうサブ・システムを用意するようになったのは、「自分の意志」なるものが、脳内の神経伝達物質やニューロンネットワークといった物理化学的な要素によって大きく影響さえれることを実体験として把握したからです。

 私にはかつて向精神薬を服用していた時期があります。その時、なかば必然的に理解しました。その錠剤を飲めば活動意欲が復活し、飲まなければ意欲は減退して落ち込みやすくなりました。私のように処方されていた薬が強力なものなら、この作用は驚くほどはっきり出ます。また、これはさすがにやったことがありませんが、どれほど落ち込んでいる時でも、覚醒剤をブチ込んだら元気になるであろうと予想されます。
 かくも精神状態が、外部ストレスのような環境的側面や性格や考え方といったソフトウェア的な側面からだけではなく、脳という内部ハードウェア的な側面からも強力な影響を受けるのあれば、後者の分析も重要なのは言うまでもないでしょう。

 「精神状態は脳の状態による」なんてのは当たり前も当たり前、自明ですが、ふつうに過ごしていると実感しにくいものです。私も最初の頃はメイン・システムしかなかったので、たとえば落ち込んでいる時には、「落ち込んでいる原因」を脳の物理化学的バランスではなく、もっとわかりやすい直近の出来事――人に叱責されたとか、何か失敗をして周囲に迷惑をかけたとか――に帰していました。あるいは「自分はそういう性格、性分だから」とかですね。もちろん、こういう分析で正解という場合もあります。外部的なストレス(叱責、失敗)が原因であったり、性格や考え方というソフトウェアが悪いというパターンも実際多く、こちら方面で対処にあたらないといけないこともあります。
 しかし、問題は正解でなかった場合です。適切な睡眠・食事・運動(または薬の服用)によってしか解決できないものであったなら、空振りを続けることになります。

 「一度きりの人生で何をするべきか?」という凡庸な問いが世にはありますが、その答えのひとつは「機嫌のいい時間を可能なかぎり多くとる」だと思われます。落ち込んでいる状態、意欲がない状態、イライラしている状態、不安で押しつぶされそうな状態では生産的なことがあまり出来ません。まあ、ザ・根性論の発動で無理やり活動出来なくもないのですが、こんなものは発動しないで済むに越したことはありません。

 この「機嫌のいい時間」を人生において最大化していくため、自己モニタリングを行うサブ・システムはあったほうがいいです。ただし、この記事の情報だけで漠然と「気をつけよう」としても、実践ベースに落とし込むにはまだ少しギャップがあって難しいでしょう。というのも、自己モニタリングを発動させるためは、まず「いま自分の機嫌がどうであるか」「その原因と対策としては何が考えられるか」を明晰に言語化する能力が必要になるからです。「言語化」というプロセスを噛ませることによって、初めて冷静な分析が可能になります。言葉になっていない「気分」だけを自覚しても、問題が言語化されていなければ、答えのほうも言語化できません。言語化できないものは実践できません。結局、解決できないということです。

 イライラや落ち込みについては、何か「考える=言語化するまでもないこと」と思われやすい傾向にあるようです。自分の感覚だから自分がいちばんよく分かっている、検討するところなどないと思ってしまうのでしょうか。案外、言語化して分析するとそうでもありません。事実、私はこの自己モニタリング人格を用意することによって、「自分の機嫌をとる」ことがうまくなりました。これが出来ない人に比べれば、人生の総合的な幸福度は上昇していると思います。

 また言語化を続けていると、感度もあがってきます。私はかなり早い段階で「あっ、いまイライラしやすくなってるな」と気づけます。気づくのが早いと効果的な対策も早く打てるので、解決までの時短が可能です。

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