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当たりまえだけど、母は社会の一員だった


アルツハイマー型認知症の父についてのコラムです。
前回まではこちらから


今回は母のことを。

介護うつになった母が入院したことでやっさんの介護がはじまったのだけれど、母からは最初に釘を刺されていたことがあった。

「◯◯さんと◯◯さんには事情を説明していい。でも◯◯さんには言わないでほしい。あと入院しているのが精神病院ということも知られたくない」

言い分はわかる。
地方の人間関係については、まぁなんとなく理解できる。
母が戻ってきたときのことを考えると希望通りにしておくのが自然な流れなのだろう、とその時は思っていた。



母というひとを他者から知る

母が入院してから、わざわざ母の病状を聞くためにわが家を訪ねてくれた人たちがいた。

こういう状況にならなければ、母の交友関係など知ることもなかったはずだ。
不謹慎であることを承知の上で書くけれど、想像するに次に母の多面性に気づくことがあるならお葬式ではないかと思っている。
そのぐらい成人してからのわたしは両親に対して無頓着で無関心だった。

母親がどんなふうにこの地でやっさんの介護をしながら暮らしてきたのか。
「こちとら休職して来てるんだから知る権利はあるぞ!」とばかりに勝手にその畑を踏みしめていくことにした。


団地仲間のスズキさん

わが家は団地ではないのだけど…母がそう呼んでいたのでよいでしょう。
どうやら「一番世話になっていて一番仲がよい」らしい。

母が入院して1番最初にわが家へやってきたスズキさんは、やっさんと同い年ぐらいの顔も手もしわくちゃの、ちゃきちゃきしたおばあちゃんだった。

「これ、そこの販売機で100円だったからさぁ」とビニールに入れられたリンゴの塊を玄関のたたきにごろりと転がす。

「あんたムスメ? 帰ってきたの?」からはじまり、「寒いから中へどうぞ」とうながす間もなく靴を脱ぎながら超絶マシンガントークはスタートした。

リビングにいたやっさんはスズキさんの顔を見るなり退席。おい、逃げるのか。

こういうとき、人の話を聞くのが苦ではない自分の能力には感謝する。
むしろ自分の行動範囲内では巡り会えないような人物の話は特別だ(と思い込みながら聞くのが大人)。

「孫が買ってくるケンタッキーチキンがおいしい」という話と「お嫁さんに食器がちゃんと洗えてないって怒られるんだヨォ」などとひとしきりしゃべり倒したあと、スズキさんが母の病状とやっさんの状況を聞いてきたので隠さずに話した。

「母はいつ戻ってこられるかはわかりません。本人も戻る気がないので」

「なんだって、おかあさん、かわいそうだこと…」

スズキさんの口ぶりから、母はやっさんのことをずいぶん前から相談していたに違いなかった。
おそらくやっさんへの不満や愚痴もたくさん聞いてくれていたのだろう。
わたしの知らない直近の母をいちばん知っている人。

1時間ほどで話をつけると「じゃぁ町内会の会長さんには、わたしから話しておくから!」といって玄関から出ていき、振りむきざまに

「あんたも姉ちゃんも早く結婚しないと!  …いい人いないの?」

笹でつくった舟をさらさらと小川に流すような爽やかさで、見本のようなシングルハラスメント発言をブッこんで、スズキのばあちゃんは帰っていった。

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そのあと買いに行ったら200円だったよ


和裁教室の生徒アイダさん

次にわが家へ訪れたのは、母が週に1度行っている和裁教室の生徒さんであるアイダさん。母より少し若いぐらいの小綺麗な女性だった。

「ずっと◯◯さん(母の名)と連絡がとれないからみんなで心配していたんですよ」と、わざわざ教室がないのに訪ねて来てくれたようだった。

正直、母がこの家に人を招いて教室を開いていること自体が初耳で、わたしは少々動揺した。

話を聞くと生徒さんは4,5人らしいが、母が自ら宣伝をして生徒さんを集めたらしい。ちょっ、娘よりコミュ力高くない…?

アイダさんとの話題も、やっさんの様子や母の病状についてがメインではあったのだが、やたら「おとうさんを施設に入れなさい!いれるべきよ!おかあさん、参っちゃってるのよ」と熱弁をふるうので、若干、気持ちと一緒に座っていたイスを引いた。

が、詳しく話を聞いてみると、思考・発言ともにそうならざるををえない事情がアイダさんにはあった。

障害を抱えて寝たきりの娘さんがいるという。
それによって長年姑との確執があり、生きた心地がしないといっていた。

「市役所に行って相談すればいいの! 地域包括センターには? 相談してるの?」
「行政はこちらから動かないと何もしてくれないんだから!!!」
「とにかくね、一刻もはやく施設にいれなさい!」
(ふたつ先の部屋にいるやっさんに聞かせたくないのでボリューム下げて…お願いぃ)

アイダさんの言葉には実感も怨念もこもっていて、だからこそ刺さった。
世の中にはいろんな理不尽なことから戦っている人がいるのだと気づかされた瞬間であった。

そして単純に、やっさんの未来を、家族の未来を、わたしがなんとかしなければならないのか…?というプレッシャーが頭の先から爪先まで全身を痺れさせた。ビリビリビリ。


地方で、高齢者だけで、生活するということ

途中から気づいたのだが、母のためというよりやっさんのためのコミュニティが多く存在した。

週に一度届けてくれていた手作りの牛乳屋さん。
届けたはずの牛乳が玄関外の専用BOXにそのまま入っていたことから、呼び鈴を鳴らしてくれて発覚。
「母が戻ったら再開します」と事情を伝えて配達は止めてもらった。
遅れて母からは「やっさんに飲ませるように」とメールが届いていた。

2週間に一度、家の前まで来てくれるパンの移動販売。
「マジか、高くない?」と思いつつも、母の作ったコミュニティを死守しなければらならないという使命があるので、来るたびにわたしもパンを買った。
間違いなく、やっさんの食欲を満たすためのものであったと思う。


冬になると雪深く、生活必需品を買い求めるのも不便なこの土地で、庭の手入れをして花を咲かせ、やっさんと暮らしてきた母は間違いなく社会の一員だった。

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母様の趣味の園芸。春はバラ、夏は紫陽花、冬はシンビジュームなどなど。
台風の際に庭の鉢を家の中にいれるので腰を壊しました、わたしが。


社会と言っても地方の場合はムラ社会である。
地域コミュニティを重視しすぎると個が消されやすくなるのが心配ではあるけれど、知らんところで母は、十分すぎるほどの存在感を自らつくり守っていた。その土壌を荒らすべきではない。

母のくらしを守りつつ、やっさんの介護をどう支えるのか。
今でもまだその悩みは抱えたままだ。


もれなくやっさんのあんぱん代となるでしょう。あとだいすきなオロナミンCも買ってあげたいと思います。