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自虐"ZIGYAKU"氏インタビュー Part.1


「何故ハードコアパンク・ギタリストの自虐 “ZIGYAKU”(*以下、自虐氏)に、BorisのTakeshiがインタビュー??」と大半の読者は思うだろう。
自分は中学生の時パンク/ハードコアの洗礼を受け、以降どっぷりとその音楽探求に嵌っていった。当時日本のバンドで特に好きだったのが、80~90年代広島ハードコアシーンで活躍していたGUDON ”愚鈍”だった(*以下、GUDON)。ギタリストの自虐氏は、後にBASTARD、JUDGEMENTという世界的に影響を及ぼした伝説のハードコアバンドも率いるのだが、彼が数々の楽曲で編んだリフや音像は当時に於いても異端で、自分の音楽経験の上で不可欠な要素の一つとなっている。
一聴豪放なリフ回しも実は緻密に構築されており、繊細でインテリジェンスな表情もうかがえるプレイは独創的である。
自分は、昔からパンク/ハードコア関連のインタビューや記事を読みながら、その特異な音楽的側面、楽曲や音像がどのように生まれるのか、といった過程やその方法論についての情報(=秘密)をもっと知りたいと感じていた。
音楽ライターや批評家の視点ではなく、同じアーティストとして掘り下げられる話もある筈だと思い立ち、今回のインタビューに至った次第。
そして、実際に ”音楽の歴史の一部になっている”と自分が感じていた人物の話を聞く事は、多様化する世界での生き方としてシェアして良い事なのだと改めて認識した。

今回のインタビューにあたり、こちらからの突然のオファーを快諾し、コンタクトを取ってくださったGUY氏と、長丁場にもかかわらず真摯に回答してくださった自虐氏のお二人に、この場も借りて深く感謝します。
なお、文中の人名表記等は、自虐氏の回答表記のままとさせていただいた。

Takeshi


ー まずは、1992年、2004年に続き、先日(2020年11月11日)16年ぶりに再発されたGUDONのディスコグラフィーアルバムについて幾つかお聞かせください。
今回はDVDも追加され、2014年に逝去されたヴォーカルのHAPPY氏の追悼盤としてもリリースされます。
結成時のオリジナルメンバー/ギタリストとして特別な思いも去来していると思います。
今回の再発について何かコメントがあればお願いします。

自虐(ZIGYAKU、以下 Z) : GUDONに関しては全部シン(GUY氏。ex.GUDON、現ORIGIN OF M、BLOOD SUCKER RECORDS オーナー)に任せてあるので、いつも「再発するね」って言われて、「はいどうぞ」って感じなので、HAPPYさんの七回忌って事も後から聞いて 「ああそうか」と。
HAPPYさんとは、俺がGUDON辞めてからは、正直あまり仲も良くなかったし、ほとんど交流も無かったんだけど、一緒にやってた時の事や、
亡くなる数日前にお見舞いに行った時の事とか色々思い出しました。
で、思ったのは、やっぱりあの人がやってきた事は後世に残しておくべきだなと。
とにかく、ある意味胡散臭くて、生き様も無茶苦茶だったんだけど、パンクを体現してた人だと思うし、あの独特の声や歌から感じるものは沢山あると思う。
なので、知らない若い世代の人達にも、是非この機会に聴いてほしいですね。

ー 今回の再発盤には2009年に新宿ロフトで行われた唯一の再結成ライブを収めたDVDが追加されています。
再結成ライブには自虐さんは出演していませんが、残念ながらHAPPY氏の入院により実現できなかった1年限りの限定再活動に参加したりといった計画などはあったんですか?

Z : そういう計画はなかったですね。
新宿ロフトでの再結成の時も、シンから「ギター弾いてほしい」って言われたんだけど、秒で断りました(笑)。
そもそも、再結成LIVEみたいな事があまり好きではなくて。
他のバンドで再結成やった時も最初は基本断ってて、長く熱く説得されるうちに「よし、じゃあやろう」って気持ちになったからであって。
GUDONはあまり説得されなかったんですよ。
2回位断ったら「ほうか、わかったわー」みたいな(笑)。

ー なるほど。では、もう一押しあったら参加していた可能性もあったかもしれないですね。
BASTARD、JUDGEMENTでは復活ライブを演ったのに、GUDONではなぜ演らないのだろう、と不思議に思ってたので。
“再結成LIVEみたいな事があまり好きではない”というのは、自虐さん的には”今出している音”もしくは”これから鳴らす音”が重要だからですか?
シーンから長らく離れてますが、そういった信念みたいなものは今もありますか?

Z : 信念とまでは言わないけど、肌感覚的にあまりやりたいと思わないんですよ、昔の名前で昔の曲ばかりやるって事を。
どうせやるなら新曲やったり、新しいバンドだったりする方がワクワクするというか。
実際BASTARDの復活の時は、音源を出す話もあったんですけど、スケジュール的に間に合わず実現しませんでした。
でもまあ、やったらやったでやっぱりLIVEは楽しいんですけどね。

ー GUDONの思い出深い曲があったら教えてください。またその曲にまつわるエピソードもあれば。

Z : 『鉛の愛』かなぁ。(1986年『卑下志望』7” EP収録曲)
これは、お経のリズムにポップなメロディを入れてみようと閃いて作った曲なんだけど…。
ある時HAPPYさんが話を持ってきた徳山でのLIVEに行ってみたら、宗教関係の集まりだったみたいで、演奏場所が畳の和室でね。
で、靴下姿で、正座して微動だにしない人達相手にハードコアパンクを演奏するという、カオスの極みだったんだけど、
『鉛の愛』を演ったら、皆立ち上がって狂ったように踊り始めて(笑)。
あれは面白かったなぁ。

ー その風景を想像しただけでシュールなんですが、『鉛の愛』の訴求力、半端ないですね(笑)
機材の手配はどうやったのかとか、靴下で演奏というのもなかなかないシチュエーションだし…とても興味深いんですが。

Z : 畳で靴下だと滑るんですよ。足開いてギター弾いてると、畳の目に沿ってどんどん開いていくんです。
それが分かっただけでもやって良かったです(笑)。

ー 音量はいつものライブと同じ感じで出したんですか?

Z : 機材の問題もあっていつも通りではなかったけど、充分デカかったです。スタジオ練習位の音ですかね。

ー GUDONは今聴いても革新的かつ異端なハードコアだと思いますが、
ご自身は当時のGUDONを改めて聴いて、どのように感じますか?

Z : 「独りよがりだなぁ」って感じます(笑)。
曲も歌詞も大部分書いてたから、もっと皆に任せれば良かったなって。
だから、HAPPYさんの書いた歌詞とかの方が今聴くと面白いですね。
あと、まとめて聴くとジャンルやスタイルにまとまりがないのが逆に個性になってたのかな?とも思いました。

ー なるほど。俯瞰してみると、一人(自虐氏)が独裁的に自身のイメージを徹底的に形にする方法論、そして各メンバーとのコラボレートでアイデアが変容して形(曲)になっていく方法論、どちらもGUDONのヴァラエティー豊かな楽曲に繋がっているんですね。

それではここから本編として、バイオグラフィー的な事など聞いていきたいと思います。 いつ頃から、どういったきっかけでPUNK/HARD COREを聴くようになったんですか?

Z : 多分、田舎に住んでた俺世代の人達は大体そうだったんじゃないかなと思うんだけど、中学の時にアナーキーを聞いて、そのあとモッズやルースターズとかロッカーズとか聴くようになって、それ目当てで『爆裂都市 BURST CITY』(1982年 石井聰亙監督)って映画観に行って、それに出てきたザ・スターリンにビックリして、ライブに行ってまたビックリして、インディーズって存在を知って、DOLLって雑誌を知って情報を得て、ハードコアパンクっていうもっと激しい音があるって知って、レコードを通販や輸入盤屋で買い漁ってっていうね。
当時、広島市にはDOLLなんて置いてるとこ1店しかなくて、数冊しか入荷されないから、発売日近くなると「入荷しましたか?」って、毎日電話かけて「入荷した」って聞いたらチャリンコ飛ばして買いに行くっていう。
まあ、そんな感じでした。

ー 世代は少し後なんですが、基本的に自分も全く同じ流れでした。当時は、現在よりも”普通であれ”という風潮が強かった時代だったし、TVの地上波放送やメジャーな音楽雑誌等による文化の統制や誘導は非常に強かったですね。隠れた別の世界への入り口として、まだ判型が小さいころの宝島やFOOLS MATE、DOLLが情報源でした。自分が中学生の時に最初に買ったDOLLはTHE EXPLOITEDが表紙の九州パンク特集でとても衝撃を受けました。
自虐さんがそういった雑誌を購読し始めた頃 ”これは!!” と衝撃を受けた記事や写真などは覚えていますか?

Z : 写真だと、パッと頭に浮かぶのは、THE COMESの紹介写真でギターのナオキさんが両手で顔を隠したドアップの写真が載ってたのが妙に印象的でした。
普通、メンバー全員のキメた写真とか載せがちじゃないですか。
一人なら、大体ヴォーカリストですよね。
それがギタリストの顔のアップで、しかも顔を隠してるって、なんかすごくカッコいいなって思ったのを覚えています。

ー 音以外のファッションなどにも影響を受けましたか?

Z : ファッションも、勿論影響を受けましたけど、髪の立て方分からないから砂糖水で髪立てたり、鋲も売ってないから洋品店で丸い金属買ってきて打ち付けたりしましたね。

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ー PUNK / HARD COREと出会う以前はどのような音楽を聴いていましたか?

Z : 歌謡曲や映画音楽とかです。
初めて買ったレコードは間寛平の『開けチューリップ』。
2枚目は『コンボイのテーマ』。
あとは、甲斐バンドが好きでしたね。

ー 『コンボイのテーマ』はあのサム・ペキンパーの映画(『コンボイ』1978年)を実際に観て興味を持ったのですか?
以後、自身の作曲・音楽的経験の上で、映画音楽の影響は大きかったですか?

Z : そうそう、映画を観た帰りに買いに行きました。
あの無線で喋ってる感じがカッコ良くて。
音楽をやるうえで、映画音楽の影響はあったと思います。
でも、具体的にどの曲からとかではなくて、BGMって、聴いた時に頭の中に映像や、映画から受けた感情が蘇るじゃないですか。
聴覚と、視覚や他の感覚との連動というか。
なので、曲を作る時にも、無意識にそういったものを連携させて情景や感覚を思い浮かべて作ってる部分はあったと思います。

ー 作曲の時に映像的なものを音と連携させていく方法論はBorisの場合も同じです。
1曲1曲が架空の短編映画のサウンドトラック、あるいはひとつのシーンに対するBGMで、それらが繋がり作用しあってアルバムという物語=音楽作品になっていく。
自虐さんのギターフレーズはドラマティックに感じるところが多々あって、やはりそういった映像的なものを音に変えてアウトプットする時の”印象”や”感覚”がそう聴こえさせるのだと思います。

Z : Borisは実際に『告白』(2010年 中島哲也監督)という映画の音楽を担当されてますよね。
あの映画好きなんです。
今回、観直してみましたが、とても映像に合ってると思いました。
特に、逆回しのシーンの『決別』とか。
あれは、先に映像を観てから作ったんですか?

ー あの曲(『決別』)は2005年にリリースした『PINK』というアルバム収録曲なので、映画『告白』よりも先に出来ていたんです。2009年のジム・ジャームッシュ監督の映画『LIMITS OF CONTROL』でもBorisの曲がいくつか使用されていて、ジャームッシュ好きな中島監督が「この音楽誰だ?」みたいなところからオファーが来たと記憶しています。
劇中どういう風に使われるのか、全然わからなかったんですけど、試写見たら例のラストシーンだったのでびっくりしました。
まあ、不穏なシーンは大体Borisの曲です(笑)。

Z : あ、そうだったんですね。
当時スクリーンで観た時も、とても不穏なシーンか多かったのを覚えています。
プールのシーンとか。
全部Borisだったんですね(笑)。

ー ところで、ハードロックやメタルなんかは通過しなかったんですか?

Z : ハードロックやメタルは、有名な曲は知ってましたけど、熱心には聴いてなかったですね。

ー 初めてギターを手にしたのはいつ頃、どんなきっかけでした?

Z : 中学の時に、同級生だったシンと一緒にフォークギターを始めたんです。
きっかけは、将棋覚えたり漫画描いてみたりするのと同じで、なんとなーく興味があったから。
エレキギターは、高校生になった時に、やはりシンと買いに行って。
チャリンコからバイクに乗り換えるみたいな感覚で。
エレキ高いから中学生には買えなかったし。

ー GUY(シン)さんとは、その頃から「一緒にPUNK/HARD COREバンドをやろう」と話していたのですか?

Z : いや、全く。
アイツはグレて高校中退してテキ屋やったりしてて、しばらく疎遠だったし(笑)。
再会した時に、お互い何故かパンクに興味持ってたんで、そっからですかね。

ー 自虐さんといえば”黒のレスポール”の印象が強いんですが、GUDON時代のライブ写真を見ると色々なギターを使用していますね。

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Z : 元々、ギターにこだわりが無かったので、安いギターなら何でもいいやって思って色々使ってたんです。
当時、音の違いもよくわかんなかったし。
ストラトは勿論、エクスプローラーとか、よくわからない形のギターとか10本位使ってたかな?テレキャス以外は大抵弾きました。
で、黒のレスポールに出会った時に「あ…これだわ」ってビビビって来て、”ブラックビューティー”って呼び名を知って更に好きになって今に至ります。
元々、黒が大好きだったので。
ハカイダーの影響ですけど。

ー なるほど、とにかくギターを弾くことが好きだったんですね。

Z : いえ、多分ギターを弾くことは、今も昔もそんなに好きじゃないんです。
デカイ音を出したり、ギターで表現する事が好きなだけで。
ギタリストって、家で一緒に遊んでても、ずっとギター弾いてる人が多くて、「あー、ギターが好きなんだなぁ」って、感心するんですけど、俺は曲作ってる時以外あんまり触らないですね。
だから、未だにドレミファソラシドも一発では弾けないです。
自分の曲しか弾けません。

ー 自分も全く同じで、絵を描いたり映像作品作ったりする感覚と一緒で、表現手段がギターに置き換わってるだけなんですよね。
表現に答えはないし、聴いた人の心に届いて共有できればいいと思ってます。

Z : そうなんです。
だから、”ギタリスト”と言うより、”ギターを弾きながら暴れて叫ぶ人”みたいなモンです俺は。

ー その当時 ”かっこいい、 こうなりたい、こういう風に弾きたい” など影響されたギタリストはいましたか?

Z : カッコいいと思うギタリストは沢山いますが、当時から国内なら、タムさん (THE STALIN, G-ZET)、ナオキさん(THE COMES, LIP CREAM)、ランディ内田さん(G.I.S.M.)、レミー山田さん(THE EXCUTE)、奇形児のヒロシさんが好きでした。
海外では、BONES(DISCHARGE)ですね。

ー ハカイダーの名前が出てきましたが、日本の特撮等も好きだったのですか?
それもダークヒーロー的なキャラクターが。

Z : 特撮黄金期に育ったので、昔も今も変わらず大好きです。
今も、”ハードコア怪獣倶楽部”って会をKOBA(ex. BASTARD, 現SYSTEMATIC DEATH, RYDEEN, ROCKY & THE SWEDEN etc...)を含めた数名で作っていて、集まって怪獣映画を観に行ったりしてますよ。
子供の頃から、ヒーローよりも怪獣や怪人に魅力を感じるんですよね。
特にハカイダーは、そのフォルムやバックボーンも含め、何もかもがカッコ良くて、ホントに大好きですね。
登場前から散々前振りで煽ってて、やっと誕生した瞬間に、仲間の戦闘員をハカイダーショットで皆殺しにするんですけど、首領のプロフェッサー・ギルが「それでいい!それでいいのだハカイダー!」って叫んでて、「おお!これでいいのか!!」って思いました。
良い訳ないんですけど(笑)。

ー  (笑)。自分も主人公のヒーローよりも怪獣・怪人の訳のわからないフォルムにとても惹かれますね。
子供が想う不安や恐怖の写し鏡みたいな造形なんですけど、歪(いびつ)で不完全であったりするところや、誕生の由来や設定が割と悲惨というか可哀想だったりするところにもドラマがあって好きですね。
機材の話に戻ります(笑)アンプはマーシャルを愛用していますが機種は何ですか?
マーシャルアンプのどういったところが好きですか?

Z : JCM-800ですね。
東京に来てすぐ、MAD CONFLUXの折笠(現PILE DRIVER、DEATH SIDE)と一緒に御茶ノ水の楽器屋に同じアンプを買いに行って、2セットをワゴンに積み込んで坂道登ってたら、バックドアが開いてヘッドがゴロゴロゴロって車道に転がり落ちてしまって。
「おい、折笠、お前のアンプが転がり落ちたぞ」って言ったのを覚えてます(笑)。
いまだに恨み言言われます。
マーシャルの好きなところは、真空管が暖まらないと鳴らないとか、アナログなとこかな。
暖まった真空管の出す暖まった音も好き。
特にJCM-800はツマミがシンプルでパワフルで、なんか武骨な感じがして好きなんです。
あとは、単純にマーシャルって響きがカッコいい。ロゴも好きです。

ー 坂道を転がり落ちるマーシャルのヘッド、凄い光景ですね(笑)
真空管アンプは良いですよね。手間はかかりますが、やはりその分豊かな音が出ますし。
JCM-800だとあまり歪むアンプという印象がないんですが、歪みのエフェクターとかをかましているのですか?
それとも直のフルテンで”あの音”を出しているんですか?

Z : BASTARDの後半からはずっと、BOSSのMETAL ZONEってエフェクターをかましてます。
今は、エフェクターはそれ1つだけですね。

ー 本格的なバンド活動はGUDONからだと思いますが、結成の経緯などを教えて下さい。

Z : 最初のボーカルのONE!とは、手に入れたパンク&ハードコアパンクのレコードを持ち寄ってよく一緒に聴いてて、そのうち俺らも曲作ってみようってなって。
で、曲を作り始めて。
1stカセットテープに入ってる『SELF HATE』って曲が生まれて初めて作った曲です。
それを缶ペンケースをドラムに見立てて、ギターとボーカルを自宅で録音してデモテープ作って遊んでました。
そしたらやっぱり「バンドでやりたいよね」ってなって。
で、知り合いだった共三党ってバンドのメンバーに、ヘルプを頼んでスタジオに入り始めたって感じですね。

ー 共三党といえば、最近NYのBITTER LAKE RECORDINGSから発掘音源がリリースされてましたね。
あの時代の”危険なハードパンク感”がやばかったです。
共三党のドラマーはAKITO氏で、その後GUDON、HALF YEARSでもドラムを叩いていました。
地方では特にありがちなんですが、やはりドラマーは少なかったんですか?

Z : とても少なかったですね。
自宅で出来ない楽器をやろうって思う人が、少なかったんじゃないですかね?わかんないですけど。

ー ステージネームを何故 ”自虐”としたのですか?
奇形児がとても好きだと伺ってますが、マスターベーション、ザ・スターリン、初期ソドム、初期あぶらだこ、といった日本のハードパンクや猟奇文学からの影響があるのでしょうか?

Z : 元々、ハードパンクの方が好きだったんですよ。
ハードコアパンクを聴かされた時も、なんだか速すぎてうるさ過ぎてよくわかんないなっていう印象でした。
質問で挙がってるバンドは、もれなく大好きでした。
なんというか、映画に例えるとジャパニーズホラー特有のおどろおどろしさや、土着的かつ粘着質な、肌にまとわり付くようなあの感じが。
歌詞も、内面をえぐるような、今思えば文学的というか、そういうものが多いですよね。
文学そのものについては、小説は好きでよく読んでたけど、音楽への影響は無いと思います。
小学生の時は図書室で江戸川乱歩ばかり借りて読んでたけど、子供用の少年探偵団メインのものばかりだったし、今も猟奇的な作品を読みたいとは思わないです。
よく「『鉛の愛』の歌詞は『ドグラ・マグラ』(夢野久作の小説)の影響ですか?」って聞かれたけど読んだことないんですよね。
”自虐”と名乗ったのは、間違いなく奇形児の影響ですね。
タイムマシンがあったら、「おい!やめとけ!誰にもその呼び名で呼んでもらえないぞ!」って、言いに行きます(笑)。

ー いえいえ、今や”世界の自虐(ZIGYAKU)”ですから!
自分も『鉛の愛』の歌詞が”夢オチだった”という解釈で、それは『ドグラ・マグラ』の”胎児が見ていた夢”というオチに通ずるところがあるのでは?と思ってたので、そのあたりの文学の影響があまりないというのは意外ですね。
同じく自分も小学生の時は江戸川乱歩の少年探偵団メインで読んでましたが、中学生の時にザ・スターリンやマスターベーションを聴いた影響で、
日本の猟奇系文学などに嵌っていった時期がありました。
音楽・文学以外、さっき特撮の話題も出てきましたが、映画や漫画(アニメ)、テレビドラマからの影響もあったんですか?

Z : あったと思います。
サブカルチャー全般好きだったので。
感情を揺さぶられた経験が、感情を揺さぶる為に必要なものを教えてくれていたと思いますね。
特に映画の影響は、大きかったと思います。
その頃、映画館でもバイトしてて、そうすると広島市内の映画館は全部無料で入れたんです。
で、夜はレンタルビデオ屋でバイトしてて、ビデオ借り放題だったので、とにかく毎日映画を観てましたから。

ー 音楽と映画漬けの日々ですね、羨ましい。
先ほど『コンボイのテーマ』など映画音楽の話も出てましたが、いままで印象深かった映画作品はなんでしたか?好きな映画監督は?

Z : 『ルパン三世~カリオストロの城』(1979年 宮崎駿監督)は何回観ても最高ですね!
もう少し新し目の作品だと『ミスト』(2007年 フランク・ダラボン監督)、『バタフライ・エフェクト』(2004年 エリック・ブレス / J・マッキー・グラバー)、『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000年 ダーレン・アロノフスキー監督)、『嫌われ松子の一生』(2006年 中島哲也監督)とか。
あ、全部バッド・エンド系ですねこれ(笑)。
監督はサム・ライミや石井聰亙が好きでした。

ー 宮崎駿作品からバッドエンド系まで、振り幅大きいですね(笑)。
サム・ライミ監督『死霊のはらわた』(1981年)と石井聰亙監督『爆裂都市 BURST CITY』(1982年)は、当時鬱屈を抱えた自分たちにとって通過儀礼みたいなものでしたね。
ここで敢えてお訊きします、『鉛の愛』が伝えたかったメッセージはなんだったんですか?

Z : 愛です!

ー いろいろな愛のかたちがあると思いますが…。

Z : まさにその通りで、色々な愛のかたちがあるという事も、テーマのひとつでした。
まあ、聴く人が自由に解釈してくれればそれでいいかな、と思います。

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ー GUDON(当時は愚鈍と表記)最初の作品は1984年の『腐臭』(カセットテープ)ですが、自ら加害妄想レコードを立ち上げ完全自主制作でリリースしています。どこかのレーベルに頼らず地元広島から自分たちで発信していくというのは、インターネットもなくミニコミや人づてしかない時代とても苦心したと思いますが、初めてのリリースで印象に残っているエピソードはありますか?

Z : 当時の地方のレーベルは、レーベルを立ち上げるっていう意識より、自分たちの音源を自分達で出したいって時に「んじゃレーベル名もついでに付けとこうか」ってノリだったと思います。
苦労は確かにあったけど、面白さの方が多かったかな。
自宅でダビングしたテープを持って、地元のレコード屋を一軒一軒回って置いてくれるように頼んで、やっと置いてくれるとこを見つけたり。
で、毎日「売れましたか?」って聞いて回るんだけど、一本売れてた時の嬉しさは今でも覚えてます。
今は発表の場が沢山あって、誰でもネットで世界中に発信できるけど、個人的には、敷居がある程度高い方がやり甲斐を感じますね。
篩(ふる)いの目はある程度大きい方が、やる側はふるい落とされまいと大きくなろうとするし、受け手側も砂利食う確率は減ると思うので。

ー “篩(ふる)いの目はある程度大きい方が、やる側はふるい落とされまいと大きくなろうとするし、受け手側も砂利食う確率は減る” 全く同感です。
表現者は皆、この矜持を見失ってはいけないですね。時代も変わり、情報の発信・受信手段、デバイスも格段に進歩しましたが、作り手が受け手に作品を届ける際に心がけるべき基幹の部分は変わってはならないと思います。
そういえば自分もあの当時は、雑誌見て片っ端からレコード屋に電話かけたり、レーベルに手紙書いて直接注文してましたね。
今でも音源を買うときはCDとアナログ盤なら、やはりアナログですか?

Z : 何年か前に、ステレオセットが全て壊れて処分してしまって、それからはサブスクで音楽を聴いてるんですよ。
なので今は、音源は買っていないです。
ある時、サブスクで「なんか聴いた事あるな?」って曲が流れて来て、BASTARDだと気づいた時は椅子から転げ落ちました。
誰があげてんだこれ?って。
心当たりがあったので、対処しましたけど。

ー 完全アナログ派だと思ってたんで意外です。今利用しているプラットフォームはApple music、Amazonプライム、Spotifyなどですか?

Z : スマートスピーカーで聴ける系です。スマートスピーカーを買ったので、サブスクを契約したんですよ。

ー Borisも以前からこういったサブスク上に音源をアップしていましたが、7月に『NO』というアルバムをデジタルで先行リリースして、自分たち自身が運営する形で初めてBandcampを使ったんです。
Bandcampは特にサポートアンダーグラウンドの姿勢が根付いていて、昨今はPUNK/HARDCOREのバンドもデジタルでのリリースやシェアを活発におこなってますね。

Z : Bandcampは、送り手側として興味ありますね。
作品を発表する手段として、凄く良さそうですよね。

ー 最初の作品『腐臭』についての話に戻りますが、ヴォーカルはONE!氏で、調べたところDISSECTING TABLEの方と知って驚きました。自虐さんは1996年にDISSECTING TABLEの『ULTIMATE PSYCHOLOGICAL DESCRIPTION』にもゲスト参加していますね。

Z : ONE!は、当時からノイズコアとか、OFFENDERSやHÜSKER DÜの1stみたいなグチャグチャしたものが好きで、勿論ノイバウテンとかPSYCHIC TVなんかも好きでしたね。
で、俺より先に上京してノイズをやり始めてて、初ライブをやるから、ギターを弾きに東京に来てくれって言われて弾きました。
そのライブは、吉田達也さん(RUINS、高円寺百景etc)がパーカッションで参加してて3人でやりました。

ー ”こういう音でこうやって弾いてほしい”という注文はあったのですか?
それとも自由に弾くかたちだったのですか?

Z : ”全部好きに弾いて”って感じでしたね。
あれは、ライブレコーディングなんですけど、練習もなしで当日数曲リハ演っただけでぶっつけ本番でしたし。
ONE!の家に泊まりに行ったら、狭い部屋に鉄骨とかドラム缶が幾つも置いてあって驚きました。
これ、ドラム缶風呂なん?って(笑)。

ー いわゆるメタル・パーカッション類ですね。
当時ノイズミュージックを聴いたり、その周辺のシーンとのつながりはあったんですか?

Z : 俺自身は、ノイズミュージックにはあまり興味ないです。
なんか都会の雑踏を聞いてる時みたいに、ただひたすら不安になってしまうんですよね。

ー そうなんですか。自分のイメージとしては、自虐さんのギタープレイの中に、ノイズミュージック的なテクスチャー、例えば曲中のちょっとしたフィードバック/ハウリングにも音楽的な表情を感じる部分が多々あったので。

Z : フィードバックや、ハウリング音は昔から好きでした。ビックスクラッチ音とかも。ノイズミュージックからの影響ではなかったですけど、もしかしたら本質にそういった共通の部分があるのかも知れないですね。

ー 1985年の『残忍聖者』(7” Flexi)はノイズコアの名盤だと思ってるんですが、アンプの歪みだけではこのギターサウンドは出ないと当時から思ってて。個人的興味もあるんですが、これもなにかエフェクターを使用してたんですか?それとも、スタジオでのミックス作業によってこの音像になってるんですか?

Z : あれは、練習スタジオでカセットレコーダーで録ったもので、確かエフェクターはディストーションを2つ繋げて、アンプのツマミは全てフルだったかと。デカくて歪んだ音を出したかったので、じゃあディストーション倍にしてツマミはフルにすりゃいいだろうって単純に思って。
それに負けじと全員が音量上げるから、ずーっとハウってて、どの音も歪んでるという。

ー なるほど、自分の予想どおりでした。ずっと研究してた甲斐がありました。例えば自分はDISORDERの『GI FAEN I NASJONALITENTEN DIN 』(1985年LP。ノルウェーでのライブをSONYウォークマンで一発録り)の音像が好きなんですが、こういった音は狙って録れるものではないですよね。明らかにいろいろな奇跡(=酷いこと)が起きていると思ってます。ちなみに『V.A. 消毒GIG』に収録されていたGUDONの『LITTELE DREAMER 』『NERVES HOG』の、めちゃくちゃノイジーでファストなのにメロディアスでドラマチックな感じも最高です。
『残忍聖者』は、ほぼ同時期に出現した九州のGAIやCONFUSEといったノイズコアバンドの音や動向とリンクしているようにも感じたのですが、彼らの存在は知っていましたか?

Z : 「奇跡(=酷いこと)」って、良い表現ですね。
GAIもCONFUSEも、勿論知ってたし、音源も全部持ってましたよ。
どっちも好きでした。

ー そして、2つ繋げたディストーションは何なのかも、非常に気になります。

Z : ディストーションは、名前も思い出せないようなメーカーのやつです。
古道具屋で見つけた訳のわからないヤツ使ってました。
で、ソノシート出すときにプレス屋に音源持っていったら、なんか潜水艦のソナーみたいな音域を見る機械に繋いで見せられて、「この波長はただの雑音の波長と同じですけど、ホントにこれでいいんですか?」って言われて、「これでいい」ってそのまま出しました。
そしたら勝手にノイズコアになっちゃった。
後から、ジーザス・アンド・メリー・チェインの1st LP(『PSYCHOCANDY』1985年)がやっぱりそんな感じで出来上がったって話を聞いて、少し親近感を持ちました。

ー “これでいい” ”勝手にノイズコア”って最高ですね。
ジーザス・アンド・メリー・チェインの名前が出てきましたが、この辺りの所謂 ”轟音ノイズギターロック”的な音も聴いてたんですか?
時期的には少し後になりますが、例えばマイ・ブラッディ・バレンタインとか。

Z : 当時、輸入盤屋で働いていたから、入荷したレコードには耳を通して、値札に紹介文を書かなきゃいけなかったんですよ。
だから、ひと通りは聴いたことありました。
で、その中から気に入ったバンドがあれば個人的に追っかける感じでしたね。
でも、そのジャンルで好んで聴いてたのは、ジーザス・アンド・メリー・チェインくらいかなぁ。

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ー 当時ライブはどのような場所で、どのくらいの頻度で行なっていましたか?

Z : あんまり覚えてないけど、ライブの回数はほんと少なかったです。
そもそも、出演させてくれるライブハウスがほとんどなかったし。
クエストっていう、ライブハウスがメインでしたね。
あとは、デパートの屋上とかでやったりしてました。

ー 80年代のバンドのインタビューなどで”デパートの屋上でライブを演った云々”というのを時々見かけます。
素朴な疑問なんですけど、ブッキングとかどうやってやってたんですか?
デパートにそういった担当者がいたんですか?

Z : いやいや(笑)。
俺らの場合は、”屋上にて、ふれあいイベント開催!ステージで演奏してくれる地元のバンド大募集!” みたいなのに応募してました。

ー 青空の下、デパート屋上で ”ふれあいノイズコア” ってすごいですね(笑)。
1986年の『卑下志望』(7” EP)もこれまた名盤です。
ギターのノイジーさは前作より抑えられ、『鉛の愛』ではそれまでと質感の違うリヴァービーなギターサウンドも聴かれます。
80年代初期の日本独自なハードパンクの影も蠢きながら、AMEBIXやUKアナーコパンク系の陰鬱なメロディも纏い、当時とても新鮮に感じました。
速さ一辺倒ではないところも、当時としては異色でしたが、これは意識してミッドテンポな作曲を行なったのですか?

Z : そうですね。元来、性格がひねくれ者なので、まわりと違った方向に舵を取りたがる癖があって。
丁度スラッシュって言葉が流行り始めてて、皆が速い曲やってるから、遅い曲作ろうと。
『卑下志望』に入ってる『STOIC VIOLENCE』って曲があるんですが、あれも、周りはみんな短い曲ばかりやってるから、とてつもなく長い曲をやろうと思って作りました。
でも今聴くと、いくらなんでもあまりにも長すぎて、最近シンに「何故止めてくれなかったんだ?!」って、文句言ったりしてます(笑)。

ー 『STOIC VIOLENCE』は当時聴いた時、長いとは思わなかったですよ。速くて、むしろドラマティックというか壮大な感じがしました。
ミッドテンポな『鉛の愛』との対比もあって、そういった意味でもこのシングルは”新しかった”と思います。
このA面B面での曲の対比は、後のJUDGEMENTの『PROCESS』(7” EP 1997年)のコンセプトにも通ずる部分があると思いました。
改めてなんですが、『卑下志望』の制作当時、AMEBIXなどの影響はありましたか?あのギターのリヴァーブ感は、UKのアナーコ系周辺バンドの質感に近いと思ったんです。

Z : AMEBIXは、当時知らなかったですね。アナーコ系という言葉は今初めて聞いた位なので、多分影響はなかったかと。
あのリヴァーブ感は、単純に『鉛の愛』のお経のリズムに合う音質を探して辿り着いた音ですね。
で、気持ち良くなって多用してたんだと思います。
リヴァーブかけると、なんか上手くなった気がして気持ちいいじゃないですか。

ー 多くの曲で作詞も行なっています。自身にとってギターリフと歌詞を紐づけることは、作曲の上で重要ですか?

Z : うーん…どうだろう?
過去、歌詞から先に作ったことはなくて、まず曲を作ってそこに歌詞を乗せるやり方なんですけど、GUDON以降は、HALF YEARSも、BASTARDもJUDGEMENTも、基本はボーカリストに歌詞を任せてて、書いてと言われたら歌詞を書く感じでしたね。
前述したように、自分の曲には自分以外の人の歌詞が乗っかった方が、独りよがりにならずに魅力的になると、今は思っています。
手前味噌だけど、JUDGEMENTの『JUST BE』(CD, 7" EP 2000年)って曲があるんですけど、自分の曲なんだけどJhaja(ex. LIP CREAM))のあの歌詞で、聴く度にグッとくるんですよね。
勿論ベース、ドラムの演奏もそうで、人任せにしてカッコよくなるなら、そっちの方が楽しいです。

ー 歌詞はヴォーカリストに任せるとして、自虐さんがリフを作った場合、事前にベースやドラムのアレンジもある程度決め込んで指示するんですか?
それともヴォーカルと同じく各パートに任せる感じですか?

Z : まずはイメージを伝えるために、キモの部分は他のパートも「こんなイメージで作った」って伝える事が多いですね。
俺の場合、ギターリフだけで曲を作ると、どうしても狭まってしまうので、もっと全体像を想像しながら作るようにしてるんです。
そうしないと、やたらとコードだけ動き回る曲になってしまったりするので。
なので、まずはそのイメージを伝えた上で、好きに変えてもらうってやり方に落ち着きましたね。

ー 1987年は、SELFISH RECORDSから『HOWLING COMMUNICATION』(7” EP)、加害妄想レコードから『V.A. MY MEAT’S YOUR POISON』(LP)と怒涛の勢いで名作・名曲を連発していました。
自分は当時高校生で、『EGGER』や『オマエノコトナドシラン』などをギターでコピーしていました。
当時どうしてもわからなかったのは『MANIAC POINT』のイントロリフの音色で、これはショートディレイのダブリングか、リヴァーブをかけて音に厚みを出しているように聴こえたんですが、実際はどうだったんですか?

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Z : よく覚えてなかったので、聴き直してみました。
これはあれですね、『鉛の愛』用に生まれて初めて買ったディレイが楽しくて使いたくてしょうがなくて、深めにダブかけた結果ですね(笑)。
今聴くと、アタック音がリズムの後から聴こえるのがちょっと面白いですね。
いっこく堂的な。

ー これも自分の予想どおりでした!長年の謎がようやく解けました。
自分は高校生の時にBOSSのDD-2(デジタルディレイ)を買ったあと、設定を追い込んでGUDONをコピーして「きっとこれだよな?」と思った記憶があります。
ライブでも1本のギターで音の厚みを増す効果もあったと思いますが、やはりそういった意図でディレイを使っていたのですか?

Z : そういう意図もあったけど、買ったばかりのオモチャが楽しくて遊びまくってたってのが、1番の理由ですかね。
で、遊びすぎて飽きたのでそれ以来使ってませんけど。

ー この時期のGUDONの楽曲は、暗く重い正統的UK HARDCOREの影響や、ジャパニーズハードコアの独特なスタイルも保ちつつ、アメリカやヨーロッパのバンドのテイストも積極的に取り込んでいたように感じましたが?

Z : 当時俺はレコードコレクターで、結構な枚数の音源を持ってて、加えてUKエジソン広島店でバイトもしていたので、毎日朝から晩まで国内外のパンク、ハードコアパンク、ニューウェイヴ等を大量に聴いていて。
なので、US、UK、日本etc…国に拘らず、自分がカッコいいと思った音に影響を受けていたんだと思いますね。
音に統一性がないとか、節操がないとか言われたこともあるけど、それのどこが悪いのか分からなかった。
「いや、パンクなんだけど?」って。「パンクに節操とか統一性って要るの?」って、思ってました。

ー その感覚、よくわかります。
当時は”USハードコア”じゃなくて”アメハー”って言ってましたね。自分の場合は逆に情報が乏しかった所為もあって、少ない情報が伝わる中からかっこいいと思えばスタイルはどうでもよくて、ノイズコアからストレートエッジ、メロディック系まで節操もなしに何でも聴いてました。
これは勝手な推測なんですけど、あの当時のバンド…アメリカのCRUCIFIX、NO FRAUD、ATTITUDE ADJUSTMENT 、ADRENALIN O.D.、初期C.O.C、イギリスだったらAMEBIX、RIPCORD、オランダのB.G.K、ドイツのINFERNO 、スカンジナビアだとANTI-CIMEXなど、そういった様々なバンドの影響がミックスされた音にHAPPY氏の独特な声質も相まって、曲展開も多くファストでありながら、ある意味キャッチーとも言える、それが唯一無二なGUDONのサウンドになっていたと思います。
世界中のPUNK/HARDCOREを幅広く聴いていたと思いますが、当時(今でも)気に入っていたバンドは?

Z : 当時から、好きなバンドが沢山あり過ぎて、列挙するととんでもない数になっちゃうんですけど、
ACCÜSED、DISCHARGE、BROKEN BONES、ENGLISH DOGS、OLHO SECO、ANTI SECT、ANTI SYSTEM、ANTI CIMEX、CRUCIFIX、AMEBIX、ASTA KASK、RIPCORD、OFFENDERS、MAUMAUS、R.K.L.、INFERNO、B.G.K.、DEAD KENNEDYS、THE BLOOD、POISON IDEA、MISFITS、ADRENALIN O.D.、CONCRETE SOX、THE EXPLOITED、G.B.H.、CHAOS U.K.、DISORDER、VALUKERS、BATTALION OF SAINTS、RAW POWER、BAD BRAINS、BLACK FLAG、FINAL CONFLICT…キリがないのでやめましょうか(笑)。

今現在大好きなバンドをひとつだけ挙げろと言われたらCONFLICTですね。
誰がどう曲を作って、メンバーにどう伝えたらこんな仕上がりになるのか、想像もつかないです。
リフも展開も演奏も、カッコよすぎます。

ー 好きなバンドがほぼ丸被りで嬉しいです(笑)。
自分はCONFLICTだったら『UNGOVERNABLE FORCE』(LP 1986年)が大好きなんですが、自虐さんはどのアルバムがフェイバリットですか?

Z : 同じです。あれは最高傑作だと思います。
次に好きなのは『THE FINAL CONFLICT』(LP 1988年)です。一番好きな曲はシングルの『NEITHER IS THIS』(7" 1985年)ですね。

ー 『THE FINAL CONFLICT』もドラマティックで泣きのフレーズ満載で最高ですね。
『NEITHER IS THIS』が自虐さんのフェイバリットというのは分かる気がします。曲調がハードコアというよりハードパンクですよね。
少し湿っぽい日本的なフレーズ感もあって。

Z : 『THE FINAL CONFLICT』はCONFLICTのアルバムの中では一番ギターが重厚で、聴けば聴くほど味が出てくる名盤だと思っています。
そうなんです、CONFLICTって何故か泣きの要素がすごくあるんですよね。日本的なものを凄く感じてました。

ー 当時はまだインターネットがなかった時代ですが、そういった海外のシーン/バンドの情報はどのように収集していましたか?
やはりMAXIMUM ROCK’N’ ROLLやFLIP SIDEなどのZINEからでしたか?

Z : 当時の情報収集については、そんな感じですかね。
あとはTARGET VIDEOとか人づてとか。
それと、よくレコード屋を回ってジャケ買いしてました。

ー テープトレーディングはされていました?

Z : テープトレーディングもレコードトレーディングもほとんどしてなかったけど、一度だけPUSHEADとしたことがありますね。

ー 1987年には同郷のCHICKEN BOWELSの ‎『KEEP OUR FIRE BURNING』(7" EP 1987年)にプロデューサーとして関わっています。
改めて聴くとこの作品でのMOTSU氏のギターの音色は自虐さんの影響もあるのかなと感じました。
自身のバンド、またプロデュースするバンドのレコーディング現場において、重視していたことはなんでしたか?

Z : MOTSUは、当時からずば抜けてギターが上手くて個性も持っていたから、俺に影響されたところなんてないと思うけど、あのレコードの音作りに関しては、俺が口出しした分、俺の音に近くなっているのかも知れないですね。
プロデュースする時も自分のバンドもそうだけど、ハードコアパンクでギターが引っ込んでる音質なんてカッコよくないと思ってるので、絶対条件としてギターが前面に出てて、尚且、他のパートも同じ位前面に出てる音を目指してました。
例えば、同じ音でギターを弾いても、ボーカル、ドラム、ベースのどれかの音が変わればギターの音も違って聴こえるじゃないですか。
だから、そのバランスを探りつつ、各パートの意見も尊重しつつ、皆が納得できる音作り、それを目指してましたね。
そういう意味では、プロデュースの方が楽だったかな。
部外者の立場で、最終決定できるから。


ー 同感です。”まずギター”ですよね。
なるほど、ギタリスト目線でもありつつ、客観的に全体の音像を把握してジャッジするプロデューサーとしての役割に徹しているんですね。
ある意味、自分のバンドより気楽でありながら、逆に重い部分はありましたか?

Z : ないです。ひたすら気楽でした(笑)。
自分のバンドだと、どうしても他のメンバーに余計な気を使ったり、自分がどこまで押すべきか引くべきかわからなくなってしまうので。
まあ、それでも最後は押してましたけど(笑)。

ー それに対しての反発などはほかのメンバーからありましたか?
どのように納得させましたか?

Z : 意見が食い違う時は当然ありましたね。
その場合はとことん話し合いました。
あまりにも俺が折れないので、皆が折れてくれてたとこも多々あったと思いますね。

ー 音作り、ミックス作業にあたって、参考にしていたバンド/レコードなどはありましたか?

Z : 特にないですけど、マイク・ストーンの影響はあったと思います。
確か、CLAYレコードの創設者で、初期の作品にはプロデューサーとして関わっていたと記憶してます。
あの辺の作品の、音質が好みだったんです。
ギターの広がり感や、スネアの “ドバシッ”て音とか。

ー あぁ分かります、80年代中期頃独特の、粒子が粗めな空間系のギターサウンドや、ゲートリヴァーブ強め&チューニング低めのスネアサウンドってかっこいいですよね。
自虐さんは1987年をもってGUDONを脱退しましたが、これは自身の持つ理想のハードコアのヴィジョンをさらに進化させるための前向きなものだったのですか?
GUDON在籍中から新しいバンドのアイデアは既に具体的に持っていたのでしょうか?

Z : えーと…新しいバンドのビジョンも何もなく辞めました(笑)。
とにかく嫌になってしまって。
前向きだからこそ、現状に耐えられなかったってのが正直なところでしたね。
今思い返しても、あの時辞めてよかったと思うし、シンも俺が辞めた事によって自分も変われたって言ってくれてるし。
その後のGUDONの音を聴いても、俺の呪縛が解けたかのように自由に演ってて、『VOID』とかすごくカッコいい曲も生まれたし、良かったんじゃないですかね。

ー 決して円満なばかりではなかったのですね。
確かに『HOWLING COMMUNICATION』以降の音源では楽曲の雰囲気が変わりましたが、当時のいちリスナーとしては新しいGUDONへ進化した感じに、とても興奮した覚えがありました。

Z : で、上京を決めて、身辺整理とか諸々で半年間かかるから、CHICKEN BOWELSが解散して暇そうだったMOTSUと、半年だけバンドやろうって事でHALF YEARSを始めたんです。
HALF YEARSでは、GUDONと真逆のストレートな音をやろうと思ってました。
半年で解散が決まってるから、逆に揉め事もなく、自由に好き勝手できて楽しかったです。
半年じゃ煮詰まる暇もないですからね。
今思えば、あれがバンドの理想型かも知れないですね(笑)。


ーあとがきー
今回、Part.1では自虐氏の最初のバンドであったGUDONを中心に、結成の経緯から、音楽に対する考え方・態度、好きなバンドや映画まで幅広く語っていただいた。
未だ知らなかった、自虐というギタリスト/ミュージシャン像と、GUDONというバンドの歴史、ジャパニーズハードコアパンクという世界に誇る音楽の一端を垣間見ることができたと感じている。
GUDON以降についてのインタビューも、機を改めて掲載していく予定なので、ご期待ください。


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