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いつか、かたくられんの隣に俺が必要なくなるその日まで。
株式会社リバ邸代表のかたくられんとは、彼の片腕というかペアというか、そんな距離感でこの1年間一緒に仕事をしてきた。
いま、彼とぼくは同じ家(リバ邸蒲田)の隣の部屋に住んでいる。
(彼はおそらくONE PIECEの動画を爆音で見てるようで、アーロン編のナミの絶叫が聞こえてきている)
それこそ言葉通り、寝ても醒めても隣にいる環境。
彼のペアとしての俺の仕事内容は「彼がやらないこと(できないこ
地元の良さを忘れたくないから実家には住みたくない
まず最初に言うと、控えめに言っても地元が好きすぎる。
ぼくの地元は石川県の金沢市、ではなく金沢市の隣町の津幡ってところ。
23歳のときに
「板前になる」
「30歳になったらまた地元に帰ってくる」
と実家を離れて板前修業に出た。
6年間の板前生活、1年間の出張料理人&シェアハウスの管理人としてのフリーランス生活を経て、来週から石川県の能登地方に移住して、シェアハウスを立ち上げる。
宣言からは
「10年後中年の俺」からの説教
ケツメイシの「手紙〜未来」って曲をもう15年以上聞き続けてるくらいには好き。
10年後の自分に向けて「どんな”俺”になってんだ?」って語りかける曲。
で、歌詞中にある「10年後中年の俺」になった今だからこそ、20歳の自分に伝えたいことがやまほどある。
今、20歳の頃の自分に対して偉そうに先輩面して喋るとしたら、俺は3つの「お説教」をする。
*
いい人のフリして自分にウソつくの、やめろ。
「言い値(イイネ)報酬制度」という提案
さっきまで、ある投資家さんとお話をしていた。
その投資家さんには、ある新事業について「ちょっと案出ししてくれない?」ってな感じで声をかけられた。
もうかれこれ1週間以上その新規事業の「相談」に乗っている。
で、結果的にただの「案出し」の立場ではなくそのまま新事業に関わることになった。
こうなってくると、どこまでが相談でどこまでが事業なのかわかんなくて。
そこであることを思いついた。
「
「きっかけ」もなしに変われるほど、人は立派じゃない
#MacBookおじさんが話題になったときに感じたことなんだけど 、「自分で〇〇もできない奴がこれから先〜」ってアンチが生まれたとき、かなり気分が悪かった。
どうも最近この「自分の力で変われるのかどうか」という話に反応してしまう。
気分が悪かったということは自分が否定された気分になったからなんだろう。
だから、なんというか、過去の自分と今の自分も含めて擁護するような話になるのだけど。
ぼくは
「ありがた迷惑」になるのが怖い
ここ最近、なんでもかんでもとにかく「あげる」ことにこだわってしまっている。
ものであったり、技術であったり、自分があげられるものはなんでも持っていってほしい。
ここには「だれかの何かのきっかけや記憶に残りたい」という自分のエゴが思いっきり入っている。
最近の話で言うと、板前時代に揃えた包丁の最低限の数だけ残して、全部後輩にあげてしまった。
そういったものはどんどん循環すればいいと思っている
ひとつづつ増えていく「ただいま」と「おかえり」
三軒茶屋にあるシェアハウス「ハイパーリバ邸」を離れ、千葉県のコミュニティースペース「まるも」に移住して半月が経った。
そして先日、半月ぶりに「ハイパーリバ邸」に足を運んだとき、リビングで「おかえり」と迎えて貰えて「ただいま」と言った。とても、居心地がいい。
刺激たっぷりな東京の空気に触れ、夜遅くに再び戻ってきた「まるも」で一言目にもらった言葉はまたしても「おかえり」だった。
ここでもまた、「
失態を犯して嬉しい気持ちになった
千葉県の南房総にあるコミュニティスペース「まるも」に移住して、半月が経った。
この週末で、ハイパーリバ邸の1周年記念パーティーが行われて、半月ぶりにハイパーリバ邸へ。
1年間に渡り、「どうにか空気を作っていかなければいけない」と思って必死になっていろんなイベントを打っていたりしたことを考えると、自分にとってのハイパーリバ邸は家であり、戦場だった。
その戦場(リビング)に入ったときに自分の口か
ブログやメディアはツールでしかない
こんにちは、板前でブロガーのぼりです。
先日こんな記事を書きました。
ぼくは板前でありブロガーであることを活かして、ぼくにしかできないことで「伝えたいこと」を感じ取ってもらえるような文章を書きたい。
「こんなことやってる板前いますよー」とか、「板前にも色々やり方あるよー」ってのを記事にして、読んだ人に「俺もなんかやってみるかな」って思ってもらいたい。
「今すぐ仕事を辞めるべき」とか断言した言葉
したくてやってることを「優しい」と言われるとなんかやりづらくなる
こんばんは、夜になると急にnoteを書きたくなる準メンヘラのぼりです。
最近、あるお仕事のお誘いを頂いて、その内容がすごく嬉しいものだった。なんというか「ぼり」としてお誘いを頂いているといった感じ。
ぼくは料理人だしブロガーだしハイパーリバ邸の管理人なので、最近は特に「何がメインなのか周りから見たらよくわからない人」になっているのだけど、そのお仕事の依頼はそーゆーことも全部ひっくるめて「ぼり」
ちょっと、休みます。
頭に「余白」が全くない。この感覚ははじめて。
ちょっと前からなんとなくわかってはいたのだけど、本気でこの状態を自覚したのは昨日。
もともとたいしてアイディアが浮かぶ人間ではなかったけれど、ある相談事を頂いたときに、なーんにも思いつかなかった。ほんと、全く。
いつもならある程度、「ここはきっとこうしたほうがいい」とかってのがふわふわと頭の中に浮かんできて、それを言語化することで人に伝えることが
いつだって寂しい思いをするとわかっている、それでも先へ進む。
昔から、「終わり」を迎えるのがすごく辛い。「そんなもんお前だけじゃねぇよ馬鹿野郎」と思う人もいると思う。でも、ちょっとだけ聞いてほしい。
*
保育園のとき、親の離婚がきっかけで住んでいた家を離れて引っ越すとき、近所の友達と一生遊べなくなると思い、泣きわめいて母を困らせた。
中学校を卒業するとき、もう一生この通学路を歩かないのだと思って、帰り道、ひとり歩きながら泣いた。
高校を卒業す
プライドを捨てられるほどのプライドはあるのか
先日、自宅でだらだらと晩酌していたとき、急に「電話していい?」と仲のいい飲み仲間から、メッセージが来た。
彼からのスマホ通知はほぼ100%が「飲みの誘い」なので、「今日もまた帰りは遅くなるな」と心の中で覚悟した。
ところがかかってきた電話に出た彼からの一言目は違った。
「最近、辛い」
申し訳なさを押し殺すような言葉の後に続いたのは、ただひたすらに現状に納得できていない気持ちと、今後の自分が