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7冊の本で振り返るこれまでの人生(後編)

Facebookに書いた「ブックカバーチャレンジ」のまとめ直し、後編です。「私の人生に影響を与えた本」というテーマで、自分の人生を振り返ってみております。

1〜3冊めはこちらから。
7冊の本で振り返るこれまでの人生(前編)

④『〈在る〉ことの不思議』古東哲明

4冊目、こちらも大学時代に出会った一冊。

というよりも、この古東哲明さんという方、広島大学の先生で、授業で使われた、まあ教科書代わりの本です。

当時の学生間では古東先生の哲学の授業は、面白いし単位が取りやすいと評判で。一般教養で受講した、と記憶してます。

確か内容は、ハイデガーの哲学を中心にしたもので、私が初めて哲学というものに出会ったと言えるのがこの本です。

で、古東先生の授業を受ける中で、どことなく私は仏教に通じるものを感じていました。

『愛の無常について』で仏教嫌いにトドメを刺されたのですが、仏教と出会い直すきっかけをくれた本だと思います。

と、なんかふんわりとしたイメージで書いていますが、実は今は手元にありません(後輩に譲っちゃったんだったかな……)。

今また読み直したい一冊です。

⑤『親鸞教義とその背景』村上速水

『〈在る〉ことの不思議』が哲学との出会いの本なら、浄土真宗との出会いの本になるのがこちら。

前回も書きましたが、私はお寺や仏教から逃れたい!という思いで大学に進学したため、本願寺派僧侶の王道コースを歩んでいません。

そのため、恩師的な先生もおらず、また大学でも畑違いのことを学んでいたので、浄土真宗の教義を一体どうやって学べばいいのか、ということが最初全くわかりませんでした。

今でも有名な先生や本を知らなかったりすることもあったりしますが、

「とにかく何かとっかかりとなる本はないのか?」

ということで父に尋ねたところ、渡されたのがこの本でした。

なので、私にとって、真宗について学ぶ上での原点というか、教科書的存在というか、なにかあるとまず開いてみる、浄土真宗の僧侶としての原点となるような一冊になってます。

中身も、親鸞聖人のご生涯から始まり、三部経、七高僧、そして親鸞聖人のご理解までが、一冊にギュッとまとめられて、浄土真宗の入門書としてもオススメできるものだと思います。

⑥『君自身に還れ 信と知を巡る対話』大峯顕 池田晶子

6冊目は哲学者であり仏教学者、そして僧侶でもある大峯顕さんと、哲学者の池田晶子さんの対談本。

この本は私と大峯先生との出会いとなった本で、以来、大峯先生を心の師と勝手に仰いでいます。惜しむらくは、直接お話をお聞きするご縁がなかったこと……

で、この本ですが、哲学と浄土真宗が調和していくというか、哲学と宗教とはもちろん違うものなんですけど、大峯先生と池田晶子さんとのかけあいの中で、その境界がじんわりと溶けていくというか、そんな印象を受けました。

また大峯先生の語られる浄土真宗はとてもダイナミックで、こういう浄土真宗の受け取り方があるんだな、という部分が、
自分にはとても響いて。浄土真宗に対するイメージが変わったのも、
ここからだったように思います。

「ものの逃ぐるを追わえとる」、じゃないですが、仏教から逃げたはずのわ私が、逃げた先で哲学に出会って。そしてそれがきっかけとなって、ふと気づくと、いつの間にかまた仏教につかまっていた。仏教やお寺から逃げて、逃げたつもりがそれも仏教の掌の上だったのかもしれません。

今にして思えば、浄土真宗の王道コースを歩めば良かったかな、と思うこともありますが、でも、そうやって逃げるという経験があったからこそ、仏教とちゃんと出会い直せたようにも思います。

この本の中で溶け合っていく哲学と浄土真宗の姿から、若かりし頃の自分自身の歩みが、一つの帰結を迎えたような気がしました。

私にとっては、そういう一冊です。

⑦『死では終わらない物語について書こうと思う』釈徹宗

最後の一冊は、釈徹宗さんの『死では終わらない物語について書こうと思う』を。

仏教から逃げた私が、また仏教と出会い直す、というのが私の青年期までので流れでしたが、そこからさらに一歩踏み込んだと言うか、「宗教(仏教、浄土真宗)とともに生きるということはどういうことなのか」ということをひらいてくれた一冊だったと思います。

仏教と出会うこと、
浄土真宗と出会うこと、
阿弥陀仏と出会うこと、
南無阿弥陀仏と出会うこと。

それは、私の人生が「決してむなしく終わらない」という物語に出会うことであり、その出会いによって、その物語に包摂されて、私の人生が本当に「むなしく終わらない」ものになっていく。そういうことだったのではないか、と。

またこの本の中でも特に「五位」という男のエピソードに胸を打たれました。

「おーい!阿弥陀よーい」

と、西へ西へ、とにかく極楽浄土があるとされた西へと向い続ける物語。
文字通りの悪人であった「五位」が、
阿弥陀仏の教えに出会い、
純粋にそれを追い求めていく姿は、自分とはかけ離れた姿です。私は到底、五位のようには生きることはできないでしょう。

しかし、五位の姿には、教えに出会えた喜びが溢れていて、

「ああ、良かったなあ」

と、こちらまでその喜びが感じられるという、とてもエモい物語になっています。

このエピソードだけでもぜひ読んでいただきたいなと思う一冊です。

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こうして振り返ってみると、今、私がこうして僧侶として生きているのも、これらの本との出会いがあったからだよなあ、ということを感じました。そう言えば、前回紹介した私のトラウマ本『愛の無常について』には、「邂逅」、つまり出会いということの重要性について触れられていました。その出会いとは、現代を生きる人だけではなく、先哲偉人とされる人たちであったり、名も知らぬ、でもその人がいたからこそ、この私が在るというような、縁起を示唆するものでした。

そして、読書とは、そういう先哲偉人との邂逅を実現するための一つの手段として、亀井氏は特に大切にしているようでした。

読書ということを通して、会ったこともない人、あるいは物語の中にしか存在しない人物が、私という一人の人間の「今ここ」を作り上げることに寄与しているというのはとても不思議なことですが、しかし、こうして振り返ってみると、本との出会い、その本の筆者や、物語によって、今の私があるのだなということを、実感せずにはおれません。

本を読むということは、出会いを経験すること。

そんなことを思いながら、これからも本を読んでいきたいと思います。







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