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Vol.2 風の古民家「うえみなみ」の女将〜南出典子さん〜

豊かな自然に囲まれた山の上に佇む、風の古民家「うえみなみ」

和歌山県、紀美野町に位置する「うえみなみ」は、関空から1時間という近さからは考えられないほど、非日常を味合うことができる宿泊施設だ。

そんな「うえみなみ」では、女将である南出典子さんのライフストーリーを聞くことができた。

築300年。先祖代々から受け継がれ、登録有形文化財にも登録された古民家を、宿泊施設として再生した「南出典子さんのストーリー」に迫る。

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幼い頃は’’自信のない子’’だった

「頭も良くなかったし、友達を羨むことが多かった。」
そう当時を語る典子さん。

大阪で生まれ、和歌山で育った典子さんの幼い頃は、とにかく’’自信のない子’’だったそうだ。

学校では自信がなかった典子さんだが、長女だったこともあり、親戚の中ではリーダー的存在だった。

周りと比較して落ち込むことはあるものの、きっと芯はしっかりとした子どもだったに違いない。

「物づくり」が得意だった学生時代から社会人へ

振り返ってみて、どんな学生時代かと言えば、「勉強は全くだめだったけど、工作・絵を描くこと・手芸などの物づくりは得意だった」と典子さん。

自らが作った手作り人形を、友人にあげていたほどだ。

そんな典子さんが進学したのが、京都の美術短期大学。大好きな叔母の家から通っていたと言う。

そして、純粋に好きだった「美術」を学んだ後に就いた職場は、ジャスコの販売促進課。

主に、広告に使用するポップを書く仕事や店内の企画をしていたんだとか。

’’何よりも絵を描くことが好き’’、’’図工の成績は良かった’’、’’玩具を分解しては組み立てていた’’など、子どもの頃の’’純粋な好きなこと’’は、いつしかそれに時間を費やすことを辞めてしまう人がほとんどではないだろうか。

しかし、典子さんは、勉強ができないコンプレックを抱えつつも、’’純粋な好きなこと’’を仕事で活かせたことがきっかけで、「自信がついてきた。」と話す。

きっと、’’勉強ができなかった’’ことが、典子さんの歩む道を作っていったのだろうと、私は思ったほどだ。

転職に結婚に子どもに…幸せな日常を過ごす

その当時、職場に転勤してきた南出さんという男性と知り合い、21歳で結婚。子宝らに恵まれ、幸せな日常を過ごしていた。

ひょんなことから’’ウェディングの司会の仕事’’に興味を持ち、1年間修行した後に本格的に活動をし始める。当時子どもが1歳という子育てに追われる中でも、仕事には手を抜かなかった。

「やりたいと思ったことは絶対にやりたい。」

そんな、典子さんの強い想いは、当時から現在もなお、変わっていないのだろう。

突然訪れた夫の死

そんな幸せで充実した日常を過ごしていた典子さんだったが、人生を一変させる出来事が起こる。

それは、あまりにも突然だった夫の死だ。

その日、今まで離れて寝たことがなかった夫と長男を家に残し、実家の和歌山に帰っていた典子さん。

そして、その夜に電話で会話したのが、夫との最後の会話となった。

「それまでは、何も変わらず健康な夫だった。」

死因は急性心不全。

不思議とその日は、当時小学校5年生だった長男が横で寝ていた。

最期は長男がそばにいたのだ。

心にぽっかり空いた穴には黒いものがある

化粧ができない
歯磨きができない
朝ごはんが作れない

今まで日常的にできたいたことが、全くできなくなってしまった。


毎日子どもが隣にいるのに、「しばらく、まったく子どもに気が向かなかった。」

そう典子さんは当時の心境を語る。

そして、ふとした瞬間に「自分には子どもがいる。」そんなことに気がつき、長男を抱きしめて典子さんは言った。

「一緒に頑張ろうね。」

夫が亡くなってからというもの、息子は母の前では1度も涙を見せなかったそうだ。
「その後の2年間は、自分が自分でなかった。」

’’心にぽっかり空いた穴には黒いものがある’’

当時の心境を、そんな言葉で表現した典子さん。

「悔しい」
「そんなはずはない」

「これには何か理由がある」

夫が亡くなったのには、’’何か理由があるはず’’、典子さんはそう思うようになった。

「もっと良い人が現れて再婚するのかな」

そして、「それが、理由なのか?」なんて、考えたこともあったそうなのだが、そんな人は全く現れなかった。

当時のことは今もなお、忘れることはできない。

「でも、どんな痛みも癒えるし、人は乗り越えらる。」

同じ状況の人がいたら「大丈夫だよ」って伝えたいな。

そう強く語ってくれた典子さん。

自分の人生を強く生きる典子さんの姿は、凛としている。

そんな中でも私の心には、典子さんの旦那さんに対する愛が感じられた、こんな言葉が残っている。

「彼が大好きだった!15年ほどしか一緒にいられなかったんだけどね…」

昔から変わることはない、典子さんのお客様への想い

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しばらく仕事を休んだ後、キャリアの経験を活かして、ウエディングの司会の仕事に還りたった典子さん。
「ウエディングプランナー」という言葉がまだ知られて間もないころ、スカウトによってプランナーに転身。

大阪の大きな結婚式場で働くようになった典子さんは、ウエディングプランナーが脚光を浴び始めたこともあり、仕事に精を出していた。

’’新婦さんに寄り添うお姉さん’’
そんな表現をしてくれた、典子さん。

何百組もの新婦に関わる中、相手の気持ちに寄り添うことをずっとやってきた。

提案したり相談したり…
「できないこと」を「できない」と言わずに違う提案する。

’’そして、お客さんを笑顔にする’’

この時の経験が、今の「うえみなみ」でのお客様に対する想いにもつながっているのだ。

「ついついお客様には世話を焼きたくなってしまう。」

こんな言葉からも、典子さんの暖かい人柄が伝わってくる。

お客様が「絶対喜ぶだろうなぁ!」と思うことを利益を考えずにやっちゃう。
「たまに、スタッフには怒られちゃうんだけどね〜」

そんなことを言う典子さんの笑顔には、お客様への愛が感じられた。

当時は、オシャレな一軒家を貸し切って結婚式をやったり、上司がゲストハウスをやっていたこともあり、空き地の状態からゲストハウスの立ち上げに関わったりしたこともあったそうだ。

そんな経験も、その時は何に繋がるかなんて分からなかった。

でも、いつか繋がることがあるから、人生は面白い。

’’新婦さんを見送る時の感情’’と、’’うえみなみでお客さんを見送る時の感情’’には、「何か重なるものがある。」とも、典子さんは語ってくれた。

コーチングとの出会いによって浮き彫りになった、大切な場所

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ウエディングの司会の営業へ転職した典子さん。

そこでの社長はかなり厳しい人だったこともあり、仕事に追われる日々で疲弊していた。

そんなある日、社長のライフコーチとして来ていた方と出会ったことが、典子さんの転機となる。

セッションを受けることになった典子さんは、最初は仕事の悩みやグチを話していたそう。

そして、気がつくと語っていたのが、’’うえみなみ’’での幼少期の思い出だ。


すると、コーチからはこんな一言が。
「そこ、大事やなぁ。そこで何かすればいいやん。」

自分の中にずっと閉まってあったうえみなみでの思い出。両親がずっと守ってきた、「うえみなみ」の存在が大きく浮き彫りになった瞬間だ。

「うえみなみで新しいことをやってみたい。」

そう純粋に思ったと話す典子さん。

父が癌になったうえ、母も介護が必要な病気となったこともあり、長く活躍してきたウエディング業界からは退くことを決意。そして、和歌山県の実家に帰った。

母の看病もしながら うえみなみの営業の準備を始めたそうだ。

先祖代々から受け継がれる古民家「うえみなみ 」を宿泊施設へ

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「うえみなみの家に人を集めたい。」
こんな言葉を、典子さんの父は生前に語っていたと言う。

父が亡くなる直前に、「あの家どうする?」と聞くと、返ってきた言葉は「お前がなんとかせい」だった。

父や祖父は、うえみなみに人を呼ぶのが好きだった。
そんな父の想いもあって、’’人を集めよう’’と決心した典子さん。

初めは友人を何人か呼び、「ここで何かしようと思うねん。」と相談していたと言う。

カフェにする?レストランにする?どうする?

そんな話をしていると、実際に「うえみなみ」で過ごした友人から出てきた言葉は…
「ここは、夜過ごすとこや」
「ここは、朝過ごすとこや」

息を飲むほどの美しい山の景観にたたずむ「うえみなみ 」は、こうして1日1組み限定の宿泊施設へと生まれ変わっていくことに。

そんな当時、何も知らなかった典子さんの叔母が、不思議な夢を見たそうだ。

それは、’’先祖がうえみなみに集まって大宴会を開いて騒いでいる夢’’だった。

典子さんが「うえみなみ」を再生することに、今は亡きご先祖様たちが、さぞかし喜んでいたに違いない。

’’お嫁に行ったのに、なんだか引き戻された感覚’’

これこそ、典子さんの心にずっとあった、’’夫が亡くなった理由’’なのではないか…今は、そんな風に感じていると言う。

宿泊を’’1組限定’’としているのも、この特別な場所で、「特別な時間を過ごしてもらいたい。」という典子さんの想いがある。

「うえみなみ」では、子どもの学ぶ場でもあってほしい

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うえみなみのコンセプトは、「田舎のおばちゃんち」

「親戚にこんな家があったらいいな」と言うお客さんの声も多く、リピーターは多くいる。

そんな「うえみなみ」では、’’ 子どもに自然体験をさせてあげてほしい’’といった、典子さんの想いがある。

たとえば、虫や植物などの生態。都会では触れることが中々難しい自然に触れることで、生きる上で大切なことを体感させる良い機会だ。

家族で来るお客さんの中でも、’’パパが子どもに虫のことを教える姿’’は特に印象に残っているのだそう。

’’火をつけること’’や、’’走り回ること’’

普段は、「やめなさい!」と言われてしまうようなことを、こどもに体験してもらいたいのだ。


今、夢をもっている人に「現実になるよ」って伝えたい

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幼い頃からの、’’自信の持てない自分’’は、今も残っていると典子さん。

「私なんて、あかんあかん。」

そんな自分の言葉で、自分を苦しめたこともあった。

でも、そんな私でもこんなことができているんだから、今、夢をもっている人に「現実になるよ。」って伝えたい。

その言葉には、典子さんの確信めいた強いエネルギーを感じた。

典子さんの夢は終わらない。「うえみなみ」のこれから

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現在は1日1組限定の宿泊施設だが、典子さんには、「この場所をもっと活用したい」という新たな想いがある。

「うえみなみでのワークショップ」
「女性限定の合宿所」

様々なアイディアは浮かぶが、新しいアイデアもほしい。

そんな想いがある典子さんは現在、「うえみなみ」の新しい1歩を共に歩んでくれる人を募集している。

その想いを典子さんに伺ってみた。

うえみなみが宿泊施設として生まれ変わってからは’’7年目’’。

この古民家を宿泊業に限らず、’’枠にとらわれず活かしてくれる人’’を探している。
枠にとらわれないというのは、うえみなみの運営を手伝ってほしいというよりも、うえみなみを使って自分を活かしてほしいのだと言う。

「うえみなみで輝く人の姿が見たい。」
これこそが、典子さんの強い想いだ。

最後に

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うえみなみでは、海派だったお客様が山派に変わってしまうことは良くあることだそうだ。

かくいう私も、そのうちの1人だ。

山に囲まれ、遠くの山々まで見渡せる絶景、夜は満天の星空に包まれる。

言葉では伝えきれなほどの、美しい「うえみなみ」を是非一度、現地で味わってみてほしい。

風の古民家 うえみなみ
住所:和歌山県海草郡紀美野町谷667
アクセス:
利用案内:1日1組限定(4名〜)
     1泊2食付き
     チェックイン15:00 〜 19:00/チェックアウト11:00
定休日:不定休
お問い合わせはこちら
HP:http://ueminami.web.fc2.com/
Facebook:https://www.facebook.com/yamanoiesaisei/
Instagram:https://www.instagram.com/kazeno_kominka_ueminami/



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