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閲覧録20230716-20230815

【閲覧録20230716-20230815】ここ何年か奇数月月末東京の「明治古典会特選市」に通っていたが、2023年後半はお休み。2024年1月提出の修士論文を書き上げるため。旅費も高騰してるし。11日から、利尻島に帰省予定。

20230716
『池澤夏樹=個人編集 世界文学全集Ⅰ-12 アルトゥーロの島/モンテフェルモの丘の家』(河出書房新社 2008)始。エルサ・モランテ(1912-1985)・中山エツコ訳『アルトゥーロの島』(1957)から。1912年は明治45年/大正元年。同年生まれの日本人文学者は、檀一雄・武田泰淳・吉田健一・源氏鶏太ら。

20230717
『寺田寅彦全集 第九巻 随筆九 ローマ字の巻』(岩波書店,1997)。今年は1923年9月1日関東大震災から100年。寅彦はまさにその時代の人で、ローマ字文の中にも、偶然とはいえ、地震の一年前に書かれた「地震の予報はできるか」という文章がある。山田一郎解説p350「寅彦にその予感があったかどうか」。

20230718
永井荷風『荷風全集 第七巻 冷笑 紅茶の後』(岩波書店 1992)。「冷笑」了。前回同様、進まない(泣&笑)。なぜ「冷笑」というタイトルなのか、誰が誰(あるいは何)を「冷笑」しているのか、いまいちわからなかった。日本文学史的解釈だと、洋行帰りの知識人荷風が明治期日本を笑う、になるのかな?

20230719
佐藤信・吉田伸之編『新 体系日本史 6 都市社会史』(山川出版社 2001)了。杉森玲子「6章 近世の町と商人」、p308「『関八州田舎角力番附』」、江戸期は番付大流行期で、その余韻が大正期頃までは確実に続いたんだろう。今は普通にランキング形式になるか。相撲文化はもう共通認識ではないからか。小林信也「7章 城下町の近代化」、p344「糶市」。セリ市。職業柄、日常的に競り市に参加しているけど、この「糶」という漢字はここで初めて知った。読めねえよw。吉田伸之「コラム 札幌」、p361「札幌の基本的な性格は、あらたに近代化=資本主義化をはかるうえでの基盤となる広大な内国植民地・北海道の開拓の拠点都市、すなわち近代植民地都市という点にある。」、現代の札幌は?メモ:p375「人形浄瑠璃の植村文楽軒(三代目)」、p397「泉布観」、「西九条の鉄工職人西山夘之助についてのライフヒストリーである西山夘三『安治川物語』」、かつて大阪府民だったので、やはり色々気になる。

20230720
『志賀直哉全集 第四巻 暗夜行路』(岩波書店 1999)。謙作が尾道での生活を始めた辺りまで。十代後半だった四十数年前に一度読んで以来の再読。64歳の今読み進めながら、当時はまったくコンテクスト理解できてなかったろうな、とひしひし感じる。本当にいい読書体験は歳とって初めて可能なのかもね。

20230721
『谷崎潤一郎全集 第9巻』(中央公論新社 2017)了。『藝術一家言』1924。p354からの漱石『明暗』disりが面白い。今まさに『明暗』を再読している自分も、かなり納得。p366「殊に「草枕」は傑作の部に属すると思ふ。」という部分にも深く同意。体力・気力の重要さ。そして「明暗」 執筆時当然のことながら、それらが充実していたとは思えず。谷崎は芸術家としてリアリストだったんだろう、p369「いくら藝術家的素質があつても、それを表現しなければ決して其の人は藝術家ではないのである。」「藝術家に於いては、感ずることが生み出すことであらねばならない。」。ちょうど100年前の文章なのね。

20230722
ハンナ・アレント/牧野雅彦訳『人間の条件』(講談社学術文庫 2023)。1958年は自分の誕生年で、この本の初版刊行年でもあるので、何とか読み終えたいのだが前途多難だね。前回の「活動的生活〔vita activa〕」の三つの基本的活動「労働〔labor〕・仕事〔work〕・行為〔action〕」把握で事足りない?

20230723
『家政論 今和次郎集 第6巻』(ドメス出版 1971)始。「家政学への提言」1947、p15「恋愛は農民社会のもの、町民社会のものであり、または古くは平安の昔の公家社会のものであって、それはめめしいかぎりのものとされていた」、武家社会成り立ち理解として首肯できる。今は一程度町民社会的だろうね。

20230724
『柳宗悦全集 第九巻 工藝文化』(筑摩書房 1980)始。月報の外村吉之助「「一期一会」の書」より、「これ(田原注:「工藝の道」)に比べたら「工藝文化」は散文の世界である。或は工藝の歴史を語り、材料に触れ、技術に就き、様態に及んで着実に語られてある。ある人は霊感の「工藝の道」から講義の「工藝文化」におちたというけれども、元より共に地につき、生活に結ぶ器の問題である。ことに既に衰亡に際していた恵まれぬ工人たちの発奮のために、又美術を高く工藝を低しとする世の迷妄を破るために、ことは意を尽くして説かねばならなかったのだ。「工藝の道」は輝く光であり、「工藝文化」は親切なみちしるべである。」。「美術と工藝の話」1935、p12「今の吾々には不思議に思へますが、今から半世紀前迄は「美術と工藝」と云ふ熟字は世界に全く存在してゐなかつたのであります。」。モリスらが「Arts and Crafts」を言ったのは、1888年の事であると。「民藝」もまだ100年経っていない。

20230725
モンテーニュ・関根秀雄訳『随想録(二)』(新潮文庫 1954)。「第五十章 デモクリツスとヘラクリツスについて」。章本文前の関根の文より、p488「とに角我々は本章の中に、モンテーニュの「エッセエ」は徒然草と同じようにして書き始められたものではあるが、両者は本質的に全然ちがうものであることを、知るべきである。」、そもそも「エッセエ」という概念を作り出したのがモンテーニュなんだろうから、それより数世紀前の人である兼好法師は何を書くともなく書いている(だって、つれづれなんだもの、題名されつけてない)わけで、自意識の有り様が同じ様なものであるわけがないとは思う。

20230726
『勝海舟(上) 子母澤寛全集 六』(講談社 1973)。「第一巻 黒船渡来」了。p260「麟太郎が、蝦夷箱館の渋田利右衛門さんの家から、その利右衛門さんの病死の知らせの手紙を受取ったのは、次の朝であった。/流石に、胸が詰った。(中略)数えれば僅かに四十三歳であられる。」。函館もまた行きたい。

20230727
小川剛生『兼好法師 徒然草に記されなかった真実』(中公新書、2017)。「第三章 出家、土地売買、歌壇デビュー」には、批判対象となる先行研究の書き手としておいらの学部生時代の恩師安良岡康作氏が登場。小川先生にチンチンにやられておる。p76「益田宗の罵倒にも近い批判」というのも気になる。p61「以後、兼好の活動は、若干の空白の時期は遺しながら、ほぼ京都において展開する。まさに「市中の隠」であるが、もちろん後世の人間が憧れた隠者とは異なる。その実態は「侍入道」とでもいうべきであろう。公家・武家・寺院にわたり幅広い知己を有して活動するもので、経済的な基盤にも支えられ、清貧とはほど遠い生活を垣間見せる。「法師は人にうとくてありなん」(七十六段)などと説くところは真逆で、徒然草がまさに作品であったことを思い知らされる」。「第四章 内裏を覗く遁世者」、p136「このような兼好が著した徒然草はやはり中世都市京都の生み出した文学であるといえる。」。

20230728
加藤陽子『昭和天皇と戦争の世紀 天皇の歴史8』(講談社学術文庫、2018)了。『高松宮日記』(中央公論社、1995-1997)、古書仕入で入荷して、何の気なし読み始めたのだけど、この加藤氏の本ではその引用が適所でなされている。また読むに至っていない「『高松宮日記』の四四年七月八日の条」から、「木戸内大臣、松平宮相、百武三郎侍従長の前で高松宮が述べた天皇への赤裸々な不満が記されている。「陛下の御性質上、組織が動いているときは邪なことがお嫌いなれば筋を通すという潔癖は長所でいらっしゃるが、組織がその本当の作用をしなくなったときは、どうにもならぬ短所となってしまう〔中略〕何にしろ、今日の如き、憲法々々と仰っても、その運用が大切なる時に、今の様な有様では、例え天皇として上御一人でも万世一系の一つのつながりとして、それでは余りに個人的すぎると思う。」」。皇位継承の可能性の低い弟君だから言えるとはいえ、これはこれでしっかりした批判とも思える。

20230729
『旧約聖書 Ⅶ イザヤ書』関根清三訳(岩波書店、1997)。いやあ、何が何だかまったく理解できない。字面を目で追うだけ読書。どうしてこういうものが長く存在し続けているのか、なぜ自分は必要としないのか、という根源的な問いかけをするための一連の旧約聖書読書ということに今はなっております。

20230730
『宮本常一著作集 8 日本の子供たち・海をひらいた人びと』(未来社、1969)始。「まえがき」に非常に共感できる文章。自分も貧乏な漁師の家に生まれ育ったが、そこでの暮らしが「陰惨をきわめ」た生活だったとも思えないんだよな。p2「当時の私は日本の民衆の生活、その持つエネルギーのたくましさを解明しようとする意気にもえていたと言っていい。そのころまでの日本の史学は、民衆は支配者の圧政にいためられしぼられ、陰惨をきわめて生きて来たように書きつづけて来ていた。そしてそれへの抵抗としての百姓一揆あるいは階級闘争をとりあげていた。しかし私の接して来た農民たち、私の生きて来た世界、私の幼少時のことを思いおこしてみても、そのように殺気立ったものはなかった。もっと肩をよせあって生きていた。民衆のまずしさはただ支配者の搾取によるものだけではなかった。多くの学者たちの書物をよみながら、私はその書かれていることにどうしても納得がいかなかった。私の接した多くの人びとは皆うちからあふれるエネルギーをもっていた。しなびた人に接することは少なかった。そういう人びとのことをも訴えるべきであると思った。誰に何といわれようとも、現実の中にある私の目にうつり、私自身の感じたものを過去の歴史にも照らしつつ訴えてゆくことが大切であると思った。」

20230731
筒井清忠編『昭和史講義【戦後篇】上』(ちくま新書、2020)了。池田慎太郎「第18講 自民党抗争史」、p331「一九六七年一〇月、吉田茂が死去すると」→1967年 吉田茂元総理の国葬 自宅出発から佐藤総理の弔辞も 一般参列者3万5000人(2022年9月9日)【映像記録 news archive】:(1) 1967年 吉田茂元総理の国葬 自宅出発から佐藤総理の弔辞も 一般参列者3万5000人(2022年9月9日)【映像記録 news archive】 - YouTube

20230801
『吉田健一著作集 第七巻 英国の近代文学 ひまつぶし』(集英社、1979)了。「ひまつぶし」了。前のpostの映像では、吉田茂の遺骨を持つ国葬喪主吉田健一が登場。「この親にしてこの子あり」なのか否か。吉田親子の断絶性と連続性について書かれた批評があってもいいと思うのだが、あるのかないのか。

20230802
『高倉新一郎著作集 第3巻 移民と拓殖[一]』(北海道出版企画センター、1996)。「北海道拓殖史」1947、途中。翌日、梅棹忠夫「北海道独立論」1960、読むのだが、その中に高倉氏が登場する。梅棹「北大教授高倉新一郎氏および北海道学芸大教授河野広道氏らの名まえを、わたしはまえからしっている。この人たちの、情熱にあふれた、精力的な北海道研究は、とおくはなれた内地にすむわたしたちのところまでも、くりかえしきこえてくる。」。とはいえ、正直なところ、梅棹を読んでしまうと、「拓殖史」としても梅棹の「北海道独立論」の方が洗練されていると感じてしまう。なんでだろうね。次に続く。

20230803
『梅棹忠夫著作集 第7巻 日本研究』(中央公論社、1990)。『日本探検』所収の「北海道独立論」「高崎山」了。63年前の本にいまだ「いまどきの北海道」が書かれているのは何故?北海道(民、含む自分)とは何なのか。高倉『北海道拓殖史』より「北海道独立論」の方が、北海道民には必読書なのかもね。

20230804
責任編集 弘末雅士・吉澤誠一郎『岩波講座 世界歴史 12 東アジアと東南アジアの近世 15~18世紀』(岩波書店、2022)了。やはりまたまだ梅棹「北海道独立論」のことを考えながらの読書で、地理上の「異質の環境という重大な試練」の克服が人類の歴史の一側面であろうというのが今の自分の一応の結論。

20230805
『鶴見俊輔集 6 限界芸術論』(筑摩書房、1991)。外出などで読み進めず「まげもの のぞき眼鏡」のみ。1969年読売新聞大阪版に原題「大衆文学の世界」でほか5名の執筆者と交代で連載、1976年河出書房新社より『まげもの のぞき眼鏡 大衆文学の世界』刊行。今現在、時代小説読者の中心年齢層、どの辺?

20230806
司馬遼太郎『街道をゆく 7 甲賀と伊賀のみち、砂鉄のみち ほか』(2008、朝日文庫)了。「砂鉄のみち」了。宮崎駿氏は司馬遼太郎とも対談しているが、この本が『もののけ姫』のタタラ場のシーンに影響を与えたんだっけか?対談再読しておきたい。p245「李朝(一三九二ー一九一〇)」、p247「朝鮮において生産力を小さく限定してしまった鉄器農具の不足は、律令体制(儒教体制)のおどろくべき長期間の持続と、表裏一体といっていい。」。p248、司馬は「柳宗悦」を登場させ「朝鮮特有の美」について書く。「工芸的瑣末主義から解放されている場が生んだものであろう。」、というのだが、どうだろ?

20230807
高松宮宣仁親王『高松宮日記 第四巻』(中央公論社 1996)。1942年4月21日~6月20日分。p240、六月五日(金)晴、「ミッドウェイ」。p250、六月六日(土)晴、「戦況推移の概略を説明する全般的な注釈」(阿川弘之)が付けられている、「*ミッドウェー海戦は、それまで真珠湾奇襲に始まり西太平洋、インド洋で常勝を誇った日本の機動部隊正規空母四隻が米側の劣勢な空母三隻に沈められた、海戦史上に残る大惨敗であった。日本海軍の使用暗号が米海軍に解読され、作戦の裏をかかれたことが最大の敗因となった。それのみならず、常勝に驕った第一航空艦隊はインド洋作戦で冒した索敵の不備、兵装転換のミスを、ミッドウェー作戦でも繰返した。待機させていた攻撃隊の雷装を過早に爆装に転換、その再転換に時間を費やしているところを敵の急降下爆撃で大火災を起こしたのが実情であった。主戦兵力である四隻の空母を沈められ、日本海軍は海上作戦の主導権を一挙に失い、再びそれを取り戻すことができなかった。」。p256、六月七日(日)晴 雨、「午後ハ映画(父アリキ)」、『父ありき』、注記「小津安二郎監督、佐野周二、水戸光子主演、松竹大船作品。四月封切。」、年代観が深まる。p269、六月十八日(木)曇、「夜、幣原男ノ談ヲキヽ会食。」、元外相・後総理、幣原喜重郎は何を語った?

20230808
『網野善彦著作集 第四巻 荘園・公領の地域展開』(岩波書店 2009)。「美濃国」・「能登国」了。相変わらず、肝心の「荘園・公領」についてはまったくイメージわかず、半泣き読書。「能登国」に入り、海洋民の類が登場し、ちょっと目が覚める。p255「戦国期、すべての旧い権威が滅び去ったかにみえるこの時期の人々の意識に、なおこのような文言(田原注・「公方諸役」)が生きつづけている事実、そしてそれを支えている荘園公領制の形骸に、われわれは注意を向けておかねばならぬ。なぜなら、日本の近世を否応なしに、織豊政権・幕藩体制のような形にしていった歴史の流れの一つの秘密が、そこにひそんでいるように思われるからである。」。p291、能登国の製鉄について、「砂鉄ではなく鉄鉱石による製鉄に注意すべきで、この製鉄、さらには鋳造の技術が北方から伝わったのではないかとする推測も行われているのである。」、司馬「砂鉄のみち」とは違う製鉄法がそれほど離れてもいない地域で同時並行的に行われていたというのか。「これら(田原注・珠洲焼や塩)の産物は地域独自の海上交通のルートで、恐らくは北方に向けて運ばれ、交易されたものと思われる。」。p299「この能登の事例は、真にすぐれた文化と伝統が、よくいわれるように「島国」の内に閉じこもることによって熟成されるようなものなどでは決してなく、むしろ自己を保ちつつ広く外部の世界と生き生きと交流することによって、はじめて生み出され、保持されていくことを端的に物語るとともに、列島西部の社会における水田の役割と意味を考えるためにも、示唆するところが大きいといえよう。」。おいら目が覚める。

20230809
『開高健全集 第10巻』(新潮社、1992)始。「過去と未来の国々」中国篇。1960年5月末~7月初旬にかけ、「文学代表団」一人として滞在。折しも日本は安保闘争の真盛り。7p「日程は政治に終始した」。梅棹忠夫『日本探検』の旅と時期的にぴたり重なる。結果として、梅棹の政治性の無さが際立つことに。

20230810
山本義隆『磁力と重力の発見 2 ルネサンス』(みすず書房 2003)始。開高と山本は同じ大阪生まれで年齢は6歳違い。山本は太平洋戦争開戦から4日後の生まれ。1960年、開高は安保闘争期の訪中「文学代表団」員。山本は1960年代を通じて学生運動に没入し東大全共闘議長を務める。60年代とは何だったのか。

利尻島行20230811-0819:11日(金)。08:00 娘二人と札幌で合流し、実家のある利尻島へ、車(レンタカー)で向かう。10:49 浜益・雄冬岬、白銀の滝。12:14 小平・道の駅、松浦武四郎像。18:36 利尻・鴛泊港、「閉店ガラガラ」。暑いね。21:17 利尻・仙法志、1990年の北海道知事から父への感謝状額装。

利尻島行20230811-0819:12日(土)。山背風が強烈も、終日好天。午後、娘二人と車で島内一周。いわゆる「島回り」。1. 浜に下りていく途中のイブキジャコウソウの群生。2. 近所からの利尻山遠望。馴染みの山の形。3. 鴛泊・姫沼からの利尻山遠望。4. 利尻町立博物館訪問、鰊建網漁の枠船の野外展示。

20230812
橋本治『ヴィヴィッド ボーイのカリキュラム』(パルコ出版局 1985)了。多分失敗作なんだろう。無駄に自己言及的。文庫化もされていない、習作時代の作品。とはいえ、近代以降、習作時代のなかった作家というと、漱石と村上春樹しか今は思いつかないが。昭和の終わりとともに覚醒する治ちゃんを待つ。

利尻島行20230811-0819:13日(日)。前浜の写真2枚と、「白い恋人」でお馴染みの沼浦・オタトマリ沼周辺からの利尻山。夏だけど。

利尻島行20230811-0819:14日(月)。午後、単身札幌へ戻る長女を利尻空港に送る。利尻山と新千歳空港行きANA NH4930便 ボーイング737-800。早朝から利尻山登山の次女を沓形登山口に迎えに。見返台園地からの利尻山山頂、沓形市街地、なぜおいらはセミを捕まえずにはいられないのか。コエゾゼミ。

利尻島行20230811-0819:15日(火)。台風7号が北海道にも近づき、明らかに前日までと天候が違う。風が変わって、前浜の波は穏やか。利尻山の写真は自宅の二階から撮影。今日は、札幌経由で東京に戻る次女を送って利尻空港。昨日とは、機種は同じだが、違う飛行機。

20230815
『内村鑑三全集 3 1894‐1896』(岩波書店 1982)。やっと『JAPAN AND THE JAPANESE』を終え(読みこなせてはない)、「志賀重昻氏著『日本風景論』」など経て、『How I Became A Christian: Out of My Diary』1895開始。日本語訳本も未読。北海道大学とキリスト教についての理解が深まると良いのだが。

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