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刑務所の中の精神障害者は、どのように生活しているのか

元衆議院議員・山本譲司は、公設秘書の名義貸しなどで起訴されて実刑判決を受け服役した。そこで体験したり考えたりしたことをもとに書かれた『累犯障害者』は非常に読みごたえのある内容だった。

本書は『累犯障害者』より前に書かれた彼の物書きデビュー作。まだ慣れていないせいか、句読点の打ち方などに文章のぎこちなさが感じられた。また、デビュー作という気負いからだろうか、やたら小難しい言葉を使いたがるところもあった。

前半部分では、彼が刑務所に入ることに経緯が語られる。正直、この部分は要らない。書かれたことを真に受けるなら潔い男に感じられるが、こういうことは後からなら何とでも言えるものだ。しかし、中盤以降、彼が目にした刑務所内での光景は、これまであまり語られてこなかったことなだけに興味深い。

味噌汁とみかんと麦飯とを混ぜ合わせて、それにソースをたんまりと掛けて、口に運んでいる者、おかずを胸ポケットに詰め込んでいる者、飯粒をテーブルに並べて、その数を必死になって数えているものなど、常軌を逸した行動をとる同囚が数多くいた。

彼が配属されたのは、知的障害、身体障害、聾唖、認知症といった囚人たちが作業をする工場だった。そこでは、紐の結び目をほどく作業と、ごちゃ混ぜになった6色のロウソクの破片を色ごとに仕分けする作業がある。筆者はそれを見て、紐は紙袋に使われるのだろうし、ロウソクは溶かして固めて再利用するのだろうと思うのだが……。

「ほどかれた紐は、この部屋に持ってきて、こうやって、私たち指導補助が結び直すんです。そしたら、それをまた、彼らの作業に回します。その繰り返しです。紐を渡す人によって、結び方を強くしたり、弱くしたりします。ロウソクにしても同じです。彼らが色分けしたものは、まったく使いものにならないんです。赤の中に白が混じったりしていて、まあ、いい加減なもんです。結局、色分けしてもらったロウソクは、また自分らがごちゃごちゃにかきまぜて、それを次の日の作業に回すんです。言ってみりゃー、彼らに、時間つぶしをさせてあげてるようなもんです」

ところで、刑務所での作業ではどれくらいの賃金が出るのだろうか。

私の最初の作業賞与金は、500円ちょうどだった。これは、時給ではない。一ヶ月分の給料だ。週休2日、1日8時間労働ということからすれば、時給は3円弱ということになる。

非常に安いとは思うが、これは徐々に増える仕組みになっている。

毎月10%から20%の割合でベースアップしていくのだそうだ。それが2年間続いた後、頭打ちになるらしい。収容者全体の平均月収は、3千円くらいだという。
これでは 、たとえば2年間服役したとしても、出所時に渡される総額は7万円程度にしかならない。自宅も身内もない人間だと、1週間ほどで使い切ってしまう。すぐに刑務所に逆戻りという出所者があとを絶たない原因は、作業賞与金の安さにもよるのではないかと思う。

著者はこう考えるが、しかしジレンマも感じている。

ただ賞与金を高くすればいいというような単純な話ではないだろう。刑務所の中で、それなりの給料をもらえるということになれば、金を稼ぐため、わざわざ刑務所に入ってくる者も出てくるのではないか。これでは、本末転倒である。

こうしたことに関して、ドイツの例を挙げてあり、それがなかなか興味深かった。

ドイツでは、刑務所を出所した者に対して、しばらくの間、受刑前に得ていた賃金の65%の額が失業保険として支払われるそうだ。それは再犯を防ぐうえでかなり有効な手立てとなっているらしい。再犯者が減った結果、刑務所の運用コストも大幅に削減することができたという。

しかしこれは、日本の「犯罪者憎し」という空気のもとではなかなか実現しにくい方策だろうなと思う。

著者と障害者のやり取りには考えさせられる。

「山本さん、俺ね、いつも考えるんだけど、俺たち障害者は、生まれながらに罰を受けてるようなもんだってね。だから、罰を受ける場所は、どこだっていいのさ。また刑務所の中で過ごしたっていいんだ」
「馬鹿なこと言うなよ。ここには、自由がないじゃないか」
「確かに、自由はない。でも、不自由もないよ。俺さ、これまでの人生の中で、刑務所が一番暮らしやすかったと思ってるんだ。誕生会やクリスマス会もあるし、バレンタインデーにはチョコレートももらえる。それに、黙ってたって、山本さんみたいな人たちが面倒をみてくれるしね。着替えも手伝ってくれるし、入浴の時は体を洗ってくれて、タオルも絞ってくれる。こんな恵まれた生活は、生まれて以来、初めてだよ。ここは、俺たち障害者、いや、障害者だけじゃなくて、恵まれない人生を送ってきた人間にとっちゃー天国そのものだよ」
「うーん」

自由はない、けれど不自由もない。なんだかブルーハーツの歌みたいだ。

著者の同囚には殺人犯もいる。

Hの息子は30歳を過ぎても定職に就かず、毎日、酒を飲んでは家の中で暴れまわっていたらしい。特に母親に対する暴力は目に余るものがあったという。
「このままだと、女房が殺されると思いました。木刀を取り出すと、あとは何かに憑りつかれたように体が動いていました。息子の頭から血が噴き出すのをみて、やっと意識が覚めたんです。取り返しがつかないことをやってしまいました」
Hの舎房からは、毎晩お経を唱える声が聞こえてくる。

こういう殺人犯がいる一方で、以下のような者もいる。

Kという知的障害者は母親を殺害していた。彼は私より3歳年上だったが、知能は小学校低学年ほどのレベルしかなかった。
「あのね、僕がね、おうちの中でサッカーごっこしてる時、お母さんがね、お部屋で横になってたの。お母さんが僕に、うるさいって言ったんで、お母さんの頭を蹴っちゃったんだ。そしたら、お母さん、死んじゃった。僕、びっくりしちゃったよ」
Kは懲役3年の刑を受けていたが、もうすぐ満期を迎えるらしい。
「僕、ここから出ても、山本さんとお友だちでいたいなー」
「Kさんは、友だちはいないの」
「うん、いないよ。お母さんに、恥ずかしいから外に出るなって言われてたから。僕、話をするのはお母さんだけだったよ」

いずれも、何か小さな援助があるだけで痛ましい事件にまでは至らなかったんじゃないだろうか、と思ってしまう。

辻元清美に関する記述も結構ふんだんにあって、元から彼女のことは好きじゃなかったのだが、この本を読んでますます嫌いになった。とはいえ、本書のテーマからするとそれは枝葉かな。

最後に、受刑者が詠んだ短歌が紹介されていて、その中でもダントツに母を想うものが多く、そしてそれが目頭熱くなるようなものだったので紹介する。

面会時 老いたる母の頬つたい流れる涙 拭いてもやれず
難聴の母には遠し面会の厚きガラスに言葉届かず
ハハキトク たった五文字の電報を何度も眺める われは無期囚
面会にまた行きますよガンバレの文を最後に母は逝きたり
次の世があると言うなら 母よ母 ふたたびわれを身ごもりたまえ


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