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家族のつながり、親子のつながり【訪問看護ステーション開設45日目】

そういえば先日、副業の関係で超元気な高齢者(=実母)と訪問看護の先輩にインタビューする機会がそれぞれあり、おかげさまでいろんなことを考えました。


大きくは2つ。


・自分がやっていること(訪問看護事業ほか)のパターンや人生でのタイミングが「陽キャ人材としては遅咲きの母親」の社会活動や自己実現や行動量と相関してそうな件(息子としては自覚なかった。。。)


・訪問看護の現場で感じることの一つに「家族の絆」「家族のつながり」「親子の絆」「親子のつながり」の影響の大きさというか、強さがあるよねえ、と先輩と語り合う場面がありました。行動変容や医療者側の視点でより良い生活のための提案をしても、そこの力学で採用されないことや定着しないことや受け入れてもらえないことがある、というお話。在宅ケアが「ご本人とそのご家族の求める生活」がゴールである限り、そこはそれでいいのだと思う反面、、各論ではいろいろ訪問看護師や在宅ケアの当事者は悩む場面ですねえ〜。。。


上記2点を体験して、秋の訪れを感じる涼しい朝に、じっくり考えておりました。


人は1人で大人になるわけではなく、親や保護者やなんらかの大人の介入や世話で大きくなってきたわけで、それが「家族」として強い「絆」や「つながり」や「安心感」をもち、ときにいろんな大きな作用をもたらすのは自然なこと。


訪問看護は、その大きさに直面するお仕事でもある、というお話なんだと感じました。いいとか悪いとかではなくて。


一方で、自分自身の親子関係、自分自身の家族とのつながり、受ける影響に自覚的で言語化を試みることはとても意味があるように感じています。自分の人生をお手本や物差しにして利用者さんに向き合うしかない部分があるから。


いい歳して訪問看護始めた自分は、親との葛藤やつながりや関係性について、若い頃からここ49歳に至るまで、自分が親として子育てをある程度やってきた(長男15歳)今だからこそわかることが多くあるように感じてますが、まだ若い子育て前の世代の訪問看護師さん達にとっては、そこは(自分ができなかっただけに)結構難しかったり、客観的になることは時間がかかることなのかもなあと想像したり、、、でもお仕事では圧倒的な利用者さんの「家族のつながり・作用」という要素と向き合うわけですよねえ。。。


在宅ケアの現場に飛び込みながら、看護技術や地域資源など生活支援の技術・知識・コーディネート力をupdateしたりbrush upしていくだけでなく、「家族との作用」という要素の意味や力学を理解していくことも求められる、という、、、


スタートアップ業界には

「崖から飛び降りて、落ちながら羽を生やして地面にぶつかる前にギリギリ上昇する」


みたいな表現があるのですが(ベンチャー企業としてサバイバルする様子を表現した言葉)


訪問看護もそれに似てる部分があるなあと勝手に感じます。家族理解、人間理解については、全人間的に求められる要素がすごく多くて多層的で、だからこそこちら側も多世代でいろんなバックグラウンドや専門性を持った仲間達とつながりながら周知を集めて進まないとしんどいですよね。。。


そして相手(利用者さんとそのご家族)だけでなく、自分自身の家族や親との関わりやつながりや絆に関する「認識・世界観」に自覚的であること、ことばにできていることを意識しながら、進んでいくしかないのだなあと感じ入るのでした。


まとまりませんが、、、


それでも探求はつづく。

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川崎の病院に所用で行ったついでに先輩事業者さんに挨拶回り。その時のご近所の猫さんが「写真撮っていい?」と聞いたら「いいよ」と目を閉じてくれたのでパチリ。涼しくなって過ごしやすくなったね^^。




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