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UDについての話し合いがUDでない現実

某省庁の、某会議に構成員の一人として参加しています。
これまでリアルに集まって3回、そして今回初めてオンライン開催でした。

コロナ禍で急速に広がったオンライン会議、イベント、セミナー、授業…。

障害等によって移動の困難を抱えた方や、開催地から遠く離れた所に住んでいる方たちにとって、移動せずに参加できるこの形態は一つのバリアを越える形なのかもしれません。

でも私にとっては大きな壁が立ちはだかります。

今回、参加に不安を抱えた私からの問いかけに、主催・運営する会議事務局から音声認識による字幕配信を行う、との話がありました。

事務局としては未経験、でも経験のある外部業者に委託したとのことで、手話通訳の手配と同じように、字幕配信の手配の必要性を理解していただけたと、嬉しく感じた私。

車いすユーザーの参加が見込まれるなら、エレベーターのある会場を設定するように、
手話を必要とする人の参加が見込まれるなら、手話通訳を配置するように、
点字資料を必要とする人の参加が見込まれるなら点字資料を用意するように、
手話ではなく、文字情報を必要とする人の参加が見込まれるなら、字幕配信を行う、、、そういうこと。それが合理的配慮かと。

事前に何度も確認もしました。こちらの経験上の助言もさせていただきました。だって、ちゃんと字幕が来なかったら、私は会議室に入室できても、会議に参加することができないから。

ただ、事前のリハーサルはありませんでした。←若干、高まる不安。
音声認識に必須と思われる機材を持っていないとの回答←さらに高まる不安。
いや、「ちゃんと経験のある業者に委託したから」って言ってるし、、、。
信じよう。

事前に全参加者に向け、「接続確認をするから当日は会議開始の15分前入室」とのお達しが来ました。

私は字幕のこともあるから、と30分以上前からスタンバイしていました。その時点で、事務局側がうまく準備できていない様子でしたので、こちらからもいろいろな方法をお伝えしました。

でも何も変わらないまま時間が流れていきます。

会議参加者は続々入室してきて、接続確認も始まっていました。皆さん、笑顔であいさつされている様子、、、私にはどんなやり取りがなされているのか、全くわからないままです。

チャットでの「しばらくお待ちください」のまま、定刻になり、会議は普通に、そう、全く普通に始められたのです。私は蚊帳の外に置かれたまま。

私への事情説明も、他の参加者に私が参加できていないことの説明も、全くなかったと、YouTubeでオブザーバー視聴していた方から聞きました。

そう、私は会議室にいながら、会議に参加させてもらえなかったのです。

車いすユーザーが会議会場の建物まで来てるのに、エレベータートラブルで足止めを食らって会議室にたどり着けていなくても、会議はその人を取り残して、何の説明もないままに、普通に始めるものなのでしょうか。

オンライン会議で接続確認したら音声が届いていないことが判明した参加者がいても、それを放置して、会議を普通に始めるものなのでしょうか。

「しばらくお待ちください」というテレビの放送事故のような状況のまま、会議はどんどん進んでいきます。他の方がどのような発言をされているか、限られた時間なので必要なことを重複なく発言したい、でも、字幕が来ないから分からない。私の発言順が迫ります。
チャットでも救いを求めたのですが、一向に変わらず、、、。

このままじゃダメだ。

私のサポート要員として控えていた補助犬情報センターのスタッフは、開始前の状況から不安を感じて早い段階から事務局にUDトークのQRコードを送ってほしいと連絡していました。でもそれも届かず字幕が配信されないまま進行していく様子に業を煮やし、急遽、PCの音量を上げ、そこからの音声を自分のスマホのUDトークで認識させることにしました。

「結局は自助か。」
自分(たち)でできるなら、自分でやれってことか。
「合理的配慮」と期待した私がバカだったのか。

結局、事務局からは、会議後、事情説明も、何も一言もありませんでした。言い訳すらも。

ハード面のバリアフリー
ソフト面のバリアフリー(心のバリアフリー)

あちこちで用いられるこの言葉。
今回の会議もそれがテーマだったので、きっと何度もこの言葉が出てきたことでしょう。

私はこの二つのバリアフリーに、「情報伝達・意思疎通のバリアフリー」の重要性をずっと訴えてきました。もちろん、この会議でも。

会議室にたどり着けない「移動の困難」、ハード面のバリアは分かりやすいし、何とかしなきゃ、って誰もが思うけど、

会議室にいるけど、会議に入れないでいる状況って、困っていることに気づかれにくいから、「何とかしなきゃ」って思ってもらいにくい。

そうやって、誰にも気づかれないまま、実質、置き去りにされちゃうんだよね。悔しいな。

「伝えなきゃいけないことが伝わってない人がいる」
それがどれほど大きな壁であるか。
時には命にも関わる大きな壁だと、どうやったら分かってもらえるのか。

今までの話し合いも虚しく感じ、「怒り」よりも、なぜか笑いたくなるような気持ちでいっぱいです。

いつまで経っても、こんなもんなんだなぁ、、。

以上、UD(ユニバーサルデザイン)について話し合う場が、UDでなかった、という報告でした。

いただいたサポートは私の人生を支えてくれた聴導犬をはじめ、補助犬の理解啓発のための活動に生かさせていただきます。