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エッセイを書く技術力に気がつかされた林真理子氏の「下衆の極み」

「凄く頭がいい人なんですよ。私は大好きなんです」

テニスの指導から帰る途中、とある生徒さん(店主より15歳ほど年上?)より林真理子の「下衆の極み」をいただきました。本の角が少し折れているのは、きっと電車で読んできたんだろうな。

その方の御主人はいいところのお医者さんで彼女は庶民出身のかわいらしい奥様なのに薬剤師の免許も持っており尚且つ店主にテニスを習っているので学生並みの凄いボールを打ってしまうというスキルや家柄と見た目と打球がそれぞれ釣り合わないお方です。

そんな方がなぜ林真理子を?というのが正直な店主の感想です。もう少し教養が必要な本や生産性がある本を読んでもいいのでは。もしかしたら自分に自信がないのかな。それとも店主が林真理子に偏見がありすぎるのだろうか。すこし考えると、どうやら後者のような気がしてきました。

店主は元々林真理子を嫌いなわけではなく、どちらかというと圏外の作家さん。しかし三鷹時代に林真理子さんの本が全く売れなかった。だから店主は林真理子のエッセイを買取して小躍りする古本屋は日本にひとつも存在しないと考えています。むしろガッカリNo.1であることは間違いない。No.2は畑中恵さん。「しゃばげ」で本棚が埋まってしまったお店も少ないくないでしょう。これはなかなか甲乙つけがたし。 つまりそういうわけです。

とはいえ、店主は林真理子さんの本は「成熟スイッチ」以外はしっかりとは読んでない。だからこそ、この機会を運命だと感じて「下衆の極み」を読んでみることに。

前置きが長くなりましたが、今回の読書は林真理子氏の技術力に気がつくことになりました。冒頭の伏線回収を必ず行う生真面目っさ、そして話を膨らませるサービス精神、彼女はきっと書きながら頭を悩ませていることでしょう。これこそがテクニックというものではないだろうか。

気楽に読んでいる読者は読者目線で面白いと思って読んでいる。しかし、その中でも少し頭がいい人たちは林真理子という人の頭の良さに気がついている。その人たちは作者の苦悩すら察知しているのでしょう。そう考えれば、店主が未熟な若き日に林真理子氏の本をつまらなく感じていたのはある意味頷ける現象です。

もしエッセイを書くことがテクニックの塊であるとするならば、エッセイは才能で書くものではないかもしれない。先日、記憶法の本を読みましたが、どちらかというとそれに近いものだと感じました。つまり、誰もが才能だと思い込んでいることこそ、実は本人の地道な努力によるものだったりする。

と、真面目に分析をしましたが、肝心の本の内容はスマップの解散だったり、アイドルの不倫だったり、トランプ大統領の誕生だったりと、まさにタイトル通りの下衆なテーマ。繰り返すようですが生産性はありません。その筋の話に興味を持てない人は言葉をなぞるだけの読書となるでしょう。若い人にとっては若林正恭さんのエッセイの方が合っているかもしれません。そりゃそうだよね。

読書ブログは本を最後まで読み終わり、ブログの最後は本をおススメして終わることが定番です。しかしこのブログでは違います。もし林真理子氏が読んでいたら謝ります。というコメントを末尾に挟んで終わります。



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