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鉄道系古書ファンが好む宮脇俊三の本を読む。「乗る旅・読む旅」

ニーチェの薄い本を開いたものの、ものの10分で挫折しました。かの哲学者の本はさすが手強い。もう少し腰を据えて取り組める時でないと読めないな…重い足取りで本棚にニーチェを戻し、その近くから気軽に手の伸ばしたのは宮脇俊三の「乗る旅・読む旅」という古い本でした。これならきっと読めるに違いない。

古本屋の店主としては、宮脇俊三は当然知らねばならぬ文筆家。氏の文章は老齢の古書ファンに「もう一度読みたい」と思わせる何かあるようで、古本屋の店頭でよく尋ねられる作家さんのひとりだからです。

とはいえ、店主は宮脇俊三の本を一度も読んだことがありません。そこで読書前にお名前をググッて調べると、「鉄道紀行文学」なるものを確立した立役者と紹介されていました。しかも中公新書の創刊等を手掛けたとも書いてある。ははぁ!なんと恐れ多い。

そんな宮脇俊三をニーチェの代打として偶然手にしてしまったことに後ろめたさを感じつつ、本を開き読んでみると…なんと淡々と綴られる文章!紀行文、いわゆる旅行記にも関わらず、まったく胸がときめかない。アメリカ・イギリス・そして国内を旅仲間とラウンドするわけですが、その文章は紀行文というよりは旅のレポートのようです。時々ニヤリとさせてくれるジョークが混じりますが、基本的に旅情やエピソードは二の次という感じでした。

「しかしこの淡々とした文章・・・どこかで見覚えが・・・」

と読みながら考えていると、思い出しました。吉村昭です。司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んだ後に吉村昭の「戦艦武蔵」を読んだときに、あまりの作風の違いに驚いた記憶が思い出されました。とはいえ、この淡々とした文章こそが当時の知的でスタンダードな文章だったのかもしれません。調べてみると、吉村昭は1927生まれ。宮脇俊三は1926年。ううむ、やはり同世代。

ちなみに紀行文では「ガンジス川でバタフライ」を好む店主としては、とても、とても時代を感じました。この違いは鉄道旅というジャンルのためなのか、それとも時代のせいなのか。もしかしたら店主が現代の軽い文章に毒されている可能性もある。もう少しこの時代の本を読まねばと思いました。

そして最後に付け足しで書きますが、この本の後半は書評へと内容が変わります。店主にとってはそちらの方が面白かった。でも、よくよく考えれば今日のブログを書くエネルギーが生まれたのは前半の見慣れない紀行文。そう考えればやはり普段自分が選ばない本を読むことは刺激になりますね。

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