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『名古屋コーチン作出物語』引き裂かれた時代を生き抜いた兄弟の物語


『名古屋コーチン作出物語』は、明治という激動の時代を生きた海部壮平・正秀兄弟の壮絶な人生を描いた伝記作品です。著者の入谷哲夫氏は、綿密な取材と丹念な資料収集を通して、日本初の実用鶏「名古屋コーチン」誕生の裏側にあった感動のドラマを鮮やかによみがえらせています。明治維新という大きな時代の転換点で、武士という身分を失い、新しい生きる道を必死に模索する兄弟の姿が、当時の社会の縮図のようにも感じられます。著者の巧みな筆致によって、歴史の断片から一つの壮大な人間ドラマが紡ぎ出されていきます。

失意の中で掴んだ希望の光

幕末から明治にかけて、多くの武士が身分を失い、生活の途を絶たれました。海部兄弟もその例外ではありませんでした。だが彼らは、かつての武士道精神を新しい時代に活かす道を模索します。そして行き着いたのが、養鶏という当時としては全く新しい分野でした。誰もが途方に暮れる中で、兄弟は「食わねど高楊枝」の意地と情熱で未知の世界に飛び込んでいきます。零細な元武士が、試行錯誤を重ねながら壮大な夢に挑む姿は、読む者の心を揺さぶずにはおきません。

正秀様が、「兄上、鶏飼いを本気になってやりなされ。一日一羽にかかる餌代は二厘か三厘。その鶏が産む卵は一個一銭に売れますそ」

このような会話のやりとりからも、新天地を求める兄弟の熱い思いが伝わってきます。当時としては常識外れとも思える発想の転換。それを可能にしたのは、武士としての矜持と未来を切り拓こうとする強い意志だったのでしょう。没落していく武士という階級の中で、ひたむきに生きる道を模索する兄弟の姿が実に印象的です。

そして伝説が生まれた

幾多の苦難を乗り越えて、ついに海部兄弟は「名古屋コーチン」という新品種の鶏を完成させます。卵を良く産み、肉質に優れ、粗食にも耐える丈夫さを兼ね備えたこの鶏は、瞬く間に全国的な人気を博しました。まさに革命的な成果と言えるでしょう。明治という新しい時代のニーズを見事に捉えた兄弟の慧眼に驚かされます。

明治二十年(一八八七)は再び養鶏ブームが来ている。海部養鶏場の種卵と雛は年を追うごとに改良が進んだ。信頼と評判が高まりウスゲは売れに売れて、産んでも産んでも卵は品不足、艀化しても艀化しても雛不足になった。

単なる養鶏の成功譚を超えて、この物語が多くの人々の心を捉えたのは、時代の転換点に立った一個人の生き様が普遍的な感動を呼ぶからではないでしょうか。絶望の淵から身を起こし、新しい時代の扉を開いた兄弟の姿は、同じように苦難の時代を生きる人々に希望のメッセージを送っているようにも思えます。

著者の筆力が光る渾身の一冊

本書の大きな魅力は、歴史の断片から一つの人間ドラマを紡ぎ出す著者の手腕にあります。自ら足を運んで得た生の証言と、膨大な数の古文書を読み解く地道な作業。そうして集めた材料を、まるで時代小説のように色鮮やかに再構成する語り口は見事の一言に尽きます。入谷氏の文章は、ときに虚実皮膜の間を漂うかのような独特の世界観を醸し出しています。

不景気沈滞衰退ひっそりかんのイメージでやってきた農業総合試験場が、広大な三ケ峯の歴史と自然を活かした山地に偉容の中央研究棟を置き、幾つかの分野別研究所を配置した巨大規模に驚いていると、そこへこの迫力を秘めた農学博七の登場だった。

細部への異様なこだわりは、一見脱線にも思えるのですが、かえってリアリティを増強する効果を生んでいます。歴史の重みと、生き生きとした人間ドラマが絶妙なバランスで描き出され、読者をぐいぐいとページの中に引き込んでいきます。まさに著者の真骨頂と言える手腕だと思います。

時代を映す鏡として

私は本書を、明治日本の縮図として読むことも可能だと感じました。激変する社会の中で、武士という特権階級が没落し、新しい時代の担い手へと変貌を遂げる。その残酷かつ美しい姿を、海部兄弟の物語は象徴的に示しているのです。彼らの運命は、近代化の波に飲み込まれ、新しい価値観への適応を迫られた当時の人々の生き様を映し出す鏡のようでもあります。

一方で、彼らの養鶏事業を支えた無名の人々の存在にも目を向けている点は重要です。

村の人が海部養鶏場をお見捨てならなんだは、わしにこの五つの運がついていることを知っておられたと思う

時代の転換は、村人たちと兄弟の絆があってこそ成し遂げられた。そんな著者のまなざしに、私は深く心を打たれました。英雄の背後に広がる、名もなき人々の営みへの共感。歴史の表舞台に立つ人物だけでなく、その周囲で支えた人々の存在を丁寧に掬い上げる姿勢が、本書の大きな魅力となっています。

読み終えたあとの高揚感

『名古屋コーチン作出物語』は、明治という時代を生き抜いた人々の物語であり、同時に養鶏という営みに懸けた情熱の記録でもあります。読後にじわじわと込み上げてくる高揚感は、こうした壮大な物語に出会えた喜びにほかなりません。苦難の連続だった兄弟の半生は、けれども最後は大きな希望につながっています。それは彼らを取り巻く人々の温かな絆があればこそ。本書はそんな明るいメッセージを私たちに投げかけてくれているようです。

「食わねど高楊枝」の侍から身を起こし、新しい時代を切り拓いていく。そんな海部兄弟の生き様が、失意の時代を過ごす現代の私たちにも、何かしら希望のメッセージを送ってくれているような気がしてなりません。大きな時代の変革期に、ひとりの人間がどう生きるべきか。その問いは百年以上の時を経た今も、私たちの胸に突き刺さります。幕末から明治へ。平成から令和へ。時代は移ろっても、人生の本質は何ら変わることがないのかもしれません。

養鶏という分野は私にとって未知の世界でしたが、本書を通してその奥深さの一端に触れることができました。歴史をダイナミックに動かす原動力は、時に一個人の夢や情熱の中にあるのだと教えられる思いです。同時に、時代を生き抜く力の源泉が、人と人とのつながりの中にあることも。そんな「絆」の尊さを、海部兄弟の物語は私の心に深く刻み付けてくれました。次の時代を切り拓くのは、また一人一人の愛と勇気なのだと信じたい。そう思わせてくれる一冊です。


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