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レティシア書房店長日誌

梨木香歩「歌わないキビタキ」(毎日新聞社/新刊1980円)

 サブタイトルに「山庭の自然誌」とあるように、八ヶ岳にある著者の山小屋の暮らしと、そこに集まってくる鳥や小動物について愛情溢れる文章と、暗雲漂う今の時代の闇を見つめ、我々はどうあるべきかを問うたエッセイ集です。
 

 著者のエッセイは、論理的で明晰な文章が続くので、こちらも姿勢を正して読まなければなりません。小説とは全く違う世界が広がってきます。それともうひとつ、本書を読むときには、PC、 I-padなどの情報機器をそばに置いておいたほうがいいように思います。多くの鳥や植物を、その都度チェックできれば、より深く山小屋を取り囲む自然の情景が理解できるはずです。
 その一方で、痴呆が進んだ母親を熊本の家に引き取り、東京と九州を往復しながら、日々弱ってゆく姿から老いや死を見つめた文章もあります。まさか母親が食べ物を飲み込む、という基本的な動作まで忘れるとは思いもよらなかった著者は、食欲がある時を見逃さずに食べさせることをしながら考えます。
 「こういう(アナグマのようにかすかな気配を察知してすかさず食事を口に持っていくような)介護は、命に優先順位をつけるような弱者切り捨ての社会では糾弾されるのだろうな、ということを時折考える。一方、弱者そのものになってしまった母の、小さな褥瘡でも見逃さないよう、丁寧に大切に手当てしてくださるヘルパーさんや看護婦さんの姿勢からは、見捨てないという意志が感じられ、拝みたくなるほど有り難い。何もできなくなった母が与えてくれる得難い経験だと思う。相模原事件を起こしたあの人のような思想が、いつの頃からか(新自由主義の台頭とともに、だろうか)少しづつ脳に溜まっていくアミロイドβのように社会の寛容度を落とし、ファシズム的なものの足音が大きくなっていくなか、母たちはこうして我が身を差し出し、戦っているように思える。」
 昨近クマによる人への被害が増え、マスコミはその根本を置き去りにしたまま、怖い、危ないと叫んでいますが、著者が北海道知床で見たクマ親子の話は心に染み入ります。
 「春先の知床の海崖の上、うっすら雪の積もった原に、わざわざ迂回して海の見える箇所で佇んだであろうクマの親子の足跡を見たことがある。冬眠のねぐらから出てきたばかりだったと思われた。まず真っ直ぐ、行くべきところがあって、その途中、ちょっと子どもたちに海を見せておこう、と母グマは思ったのか。こういう想像は、心と精神を養う。
カエルもヘビも、鳥も獣も人間も、個々の事情を抱えて道を歩んでいる。」


 本書第六章に、文筆家で馬を飼っている河田桟さんが出した絵本「ウマと話すための7つのひみつ」(偕成社/新刊1430円)が紹介されています。この絵本から、生き物同士の付き合いについて、
 「何もせず、動かず、目を合わさず、少し遠くにいること。そしてなんとなくうれしい気分でいること。つまりどうやら、世界の一部になって、同じく世界の一部である相手を感じ続けることらしいのだ。そうしてゆっくり、相手に認識されるのを待つ。」と書かれています。河田桟さんは、当店でも大ロングセラーになっている「馬語手帳 ウマと話そう」の著者です。梨木香歩がこれを読んでいたとは!と、驚きと嬉しさで一杯になりました。他にも素敵な文章が沢山あります。何度も読み返したい一冊です。

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