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レティシア 書房店長日誌

酒井順子「日本エッセイ小史」

 さすが、酒井順子ですね!ただのエッセイの歴史書にはなっていませんでした。一流のエッセイストの酒井が、エッセイが時代とともに変遷していった様を具体的作品で解説したのが「日本エッセイ小史」(新刊/1760円)です。
「ざっくりとした区別をつけると、昔の人や偉い人が書いた高尚な作品が『随筆』であり、現代の作品や軽い作品は『エッセイ』と言われる傾向がある、ということになりましょう。昔と今との間のどこかで、というよりも昭和のどこかで、随筆はエッセイと言われるようになったのです。」
 その「昭和のどこか」で随筆をエッセイに変えたのは伊丹十三だった、と著者は指摘します。その国際的な感覚が、随筆という言葉には似合わないカッコ良さを放っていたのです。確かに大作家の随筆には、読んでいて眠くなるものが多かった記憶があります。が、伊丹十三の「ヨーロッパ退屈日記」は、それまでとは違うスタイリッシュなものだったと思います。

 この本が世に出たのが1965年。それから15年後、新しいムーブメントが起こります。椎名誠のデビュー作「さらば国分寺書店のオババ」は、”昭和軽薄体”と呼ばれる口語体に近い文体でスーパーエッセイとして大ヒットしました。私もそのポップなセンスが気持ちよくて、一気に読んだ経験があります。さらに82年、林真理子が女性の本音をストレートに出した「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラーになり、新しい若者たちの作品がドンドン登場してきます。
 著者は、林の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」を詳しく解説しています。林が世に出る前、女性エッセイストとしてど真ん中にいたのが落合恵子と安井かずみの二人でした。林は、この二人と同じようなことを書いても勝負にならないと分析し、今まで触れられてこなかったセックスを大胆に取り上げ、さらに暗闇の部分に光をあてる選択をします。「ルンルンを買っておうちに帰ろう」の前書きにはこんな文章が書かれています。
「だいたいね、女が書くエッセイ(特に若いの)とか、評論っぽい作文に本音が書かれていたことがあるだろうか」リアルな言葉で生身に女性を描き、恋愛、セックス、結婚、そして仕事とやるべきこと、考えるべきことが多かった女性たちに寄り添い、支持を受けました。
 著者は林の「ルンルン」がそれ以前の女性エッセイと全く異なることをこう説明しています。
「70年代の人気女性エッセイには、ちょっとしたうっかりエピソード程度は挿入されるものの、過去の暗部や心身の恥部は書かれていません。そこには『自らを嗤う』という自虐精神が存在しないのであり、70年代までの女性エッセイは基本的に、アイコイ結婚に迷える女性たちを、スマートな女性エッセイストが導いてあげる、という図式なのです。 対して『ルンルン』以降の女性の書き手達は、自虐芸が基本のキ。『ルンルン』のまえがきという名の宣戦布告にも、『ヒガミ、ネタミ、ソネミ』を描かない従来の女性エッセイストに対して、『それがそんなにカッコ悪いものかよ、エー』と、啖呵を切っています」
 女性エッセイストの変遷だけでも、これだけスリリングに展開してゆくのですから、他の面白さも保証済みです。巻末には、本書に登場する作品が掲載されています。読書の幅が広がりますよ。

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