見出し画像

【君の安らぎは何処にあるのか?】 #3


【総合目次】

← #2

← 酔夢 3




 《ユニコーン騎士団》の一員となったレイチェルに初仕事が与えられたのは、一週間後のことであった。

 乳白色の霧が漂う街道を、ニ頭立ての幌馬車が二台、西へ向かって進んでいく。先頭の馬車の中にはレイチェルとクリスが乗り込み、あとの一台にはたっぷりと食料が詰め込まれている。これをユーヒルという村へ送り届けるのが任務であった。

「ユーヒルは良い木材がとれる土地でね。昔から良質な弓矢を作り、たずきとしてきた村なんだ」馬車に揺られながら、クリスは語る。「うちとは父の代から契約を結んでいて、お互い世話になっている間柄だ。その村で、畑の作物に病毒が流行り出したらしくて」

「まあ……、それは大変ですね」

「このままだと飢饉で村が滅んでしまうと、村人から助けを求められてね。とりあえず夏を越せる分の食料はかき集めた。その場凌ぎに過ぎないが、抜本的な対策を練る時間は稼げるだろう」

「そういう取引をしたということですか」

「取引? まあ、そうとも言えるかな。お得意様を失くすのは惜しいしね」

 クリスは曖昧に笑った。代価を求めるつもりはないのだろう。

 馬車の側面を覆う幕をめくり、外の様子をうかがう。馬に乗って警備している仲間が前方に目に入ったので、声をかけた。

「ジルケさん、様子はどうですか?」

 鉄の鎧を身に纏った肩まで波打つ黒髪の女性……ジルケ・フォルトナーは振り返った。彼女は《ユニコーン騎士団》の幹部のひとりであり、騎士団設立前からメイウッド商会に雇われていた古株である。歳は三十前後。槍と馬術、そして風の霊術にすぐれた凄腕の戦士らしい。

「うまくないねぇ。少しずつ霧が出てきてる」彼女は言った。「そのうち濃霧になりそうだね。道は整備されてるから平気だろうが……」

「襲撃が怖いですね」

「ああ。ま、あたしが精々しっかりと警戒しとくよ。高い給料もらってるからね」

「頼りにしてます」

 ジルケは馬の歩調をゆるめ、レイチェルと並んだ。顔を近づけ、ぼそぼそと話しかけてくる。

「レイチェルって言ったよな。あんた、会長とデキてんの?」

「はい?」

「ずいぶん仲が良さそうじゃないか。会長の女っ気のなさは有名なんだよ。なのにあんたといる時はニコニコしっぱなしだ。となりゃあ……、ね?」

「私と彼はそんなんじゃありませんよ。ただの親友です」

「『ただの親友です』」彼女はレイチェルの言葉を繰り返した。「ふーん、そう。じゃあ、他にはそういうのいないのかい? 彼氏とか、彼女とか」

「はあ、生憎とそういう方は……」

「ふーん、そう」

 ジルケはそう言ってにやりと笑った。

 きょとんとするレイチェルの前で、彼女は長槍を振るう。その穂先から風の霊力が走り、道端にあった花を切って、彼女の手元まで運んだ。一瞬の出来事だった。彼女はそれをレイチェルに差し出した。

「はい。お近づきのしるし」

「まあ。ありがとうございます?」レイチェルは戸惑うままに受け取った。

「この仕事が終わったらさ、街で一緒に遊ばない? ごはん食べたり、浴場で洗いっこしたり」

「ええっと……」

「そういうのこそ仕事が終わってからにしろや、ジルケェ。修道女さまが困ってんぞ……イック」

 馬に乗って後方の警備をしている男、イェンス・アッペルバリが酒焼け声で言った。ジルケと同じく《ユニコーン騎士団》の一員で、赤ら顔に濃い黒髭を添えた、四十がらみの術師である。彼は馬上で背を丸め、葡萄酒をつめた革袋を呷っている。

 ジルケは鼻を鳴らし、同僚に首だけを振り向かせた。

「飲んだくれに言われたくないセリフだねぇ。仕事中に気持ちよさそうにしちゃってさ」

「俺は必要だから飲んでんだよ。何度も言わせんな」

「あの、それってどういうことですか?」

 レイチェルは訊いた。ずっと気になっていたのだ。

「俺はな、バッカスっつー酒の神を信奉する流派で霊術を学んだんだがな」そこで再び葡萄酒を飲む。「ッフゥー……。で、その流派はな、酩酊することで自分の霊力を高めて……つまり、そうやって術を使うんだよ」

「嘘くさい話だよね」

「事実だ。でも戦闘が始まってから、ウィック……、飲んでも、すぐにゃ酔えねえだろ? だからこうして、ちびちび舐める程度にな、普段から飲んでなきゃいけねえんだ。戦いの備えだよ、備え」

「そのような流派があるのですか! うらやまし……あ、いえ」

「はん? 修道女さまはイケるクチかい」アッペルバリは口角をあげた。「だが俺は飲みに誘ったりしねえぜ。私生活では飲まないようにしてんでな」

「じゃあ、あたしだ」ジルケがにやついた顔をレイチェルに近付ける。「ぜひぜひ一晩飲み明かそうじゃないか。うまい酒を奢るよ。寝床だって用意するし……」

「あ、あはは……。考えときますね」

「ああ、考えとくれ」

 ジルケはひらひらと手を振って、馬の足を早めた。アッペルバリも後方へ下がる。

 レイチェルは馬車のなかに顔を戻した。反対側ではクリスも外に顔を出しており、徒歩で並行するバルドとの会話を切り上げるところだった。

 彼が目を合わせてくる。レイチェルは笑いかけた。

「個性的な方々ですね」

「だろう?」クリスは苦笑した。「僕の手には余るかなって思うこともあるけどね。でも皆、実力は確かだ。もし何かあったとしても、君はここから支援に専念してくれればいい」

 クリスは念押しするかのように言った。彼の言いたいことは分かっている。レイチェルに《白狼の祈り》を使わせたくないのだ。

 レイチェルとて気持ちは同じである。自分はあくまで修道女であり、治療役こそ己のなすべき役割だと自負している。あれは追い詰められたときの最後の自衛手段とすべきもので、乱用するつもりはない。

「でも、この人数で大丈夫でしょうか?」

「そうだね。最低でも六人は欲しいところではあった。しかもゴブリンの群れが相手となると、それでも足りないくらいだ」

 クリスはそう認めた。

 そう、この辺りの街道では、ここ最近ゴブリンが出没するという報告が上がっている。ゴブリンは小柄で弱いが、数が多く、強欲で、人をよく襲う危険な魔物だ。大市の季節になると、どこからともなく湧いてきて、隊商たちに被害を出す。

 効果的なのは、どこかにある根城を叩くこと。だがそれに成功したという話を今年はまだ聞かない。だからレイチェルは不安だった。

「まあ、大丈夫だとは思う。少人数態勢になったのにも理由があってね」クリスは言った。「実は奴らの根城は既に発見していて、そっちの方に《ユニコーン騎士団》の人員を割いてしまってるんだ」

「まあ。その根城はどこに?」

「南の山に砦を構えていたようだね。昨日、殲滅に成功したと伝書鳩で報告が届いた。彼らと合流できれば良かったんだが、村の状況はそれを待てない。冒険者を雇おうにも、多忙でなかなか捕まらなくて」

「確かに、この時期はそうでしょうね」

「そういうわけで、既知の危険については大元を排除できた。他の脅威に襲われる危険はあるけど、今できる最善は尽くせたと思うよ」

「なるほどです」

 レイチェルはその点については納得し、別の疑問を口にした。

「でも、メイウッド商会の会長ともあろう方が、危険が伴う仕事についてきて大丈夫なのですか? いえ、もちろん私たちが全力で守りますけど」

「ありがとう」クリスは礼を言ってから答える。「リディア周辺で動かせる団員はすべて動員してしまったからね。そんな状況で、人の出入りの激しいリディアに滞在する方が危険と判断した」

「それは……、暗殺の危険ということですか?」

「まあね。権力を持つとそういうこともある」さらりと頷く。「どこにいたって危険なら、少しでも戦力が多い方が安全だ。村長さんに挨拶したいっていう、個人的願望もあるけどね」

「……」

 彼の命を狙う者がいるという事実は、レイチェルの奥底にある感情を強く刺激した。彼女は拳を握り込んだ。

「御者、止まれ!」

 そのとき、ジルケの叫び声が響き渡り、馬車が大きく揺れて停止した。

「何だ、どうした」

 クリスは幕をめくって外を見た。バルドが近付いて彼に言った。

「ジルケが敵の気配を感じたようです」

「敵? 魔物か。方角は」

「北西、進行方向。霧のなかにゴブリンどもらしき影が見えます」

「北西だって? 殲滅した群れは南だったはず。別の群れか」クリスは舌打ちした。「数は?」

「多いです。十やそこらではありません」

「引き返せそうか」

 バルドは周囲の地形を確認し、淡々と答えた。

「間に合いません。反転中に追いつかれます」

「では迎撃だ。敵が追撃できない程度のダメージを与え、隙を見て進行方向に抜ける。もし可能であればいつものように皆殺しにしろ。御者はこの馬車のなかに避難させる」

「了解」

 バルドはその場を離れた。

 クリスはレイチェルの視線に気づくと、口だけで笑った。それは歪んだ笑みだった。

「最善を尽くしたつもりだったけど、そうでもなかったようだね」

「……仕方がありませんよ」レイチェルは一瞬の間を置いてから、そう言った。「貴方はやるべきことをやった。私たちもやるだけです」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 四方はすでに濃霧に囲まれ、視界は覆い隠されている。しかし風に乗って運ばれてくる薄汚れた気配を、ジルケは鋭敏に感じ取っていた。

「薄汚れた魔物どもめ。臭い息で風を穢しやがって」ジルケは憎悪とともに吐き捨てる。「かならず息の根を止めてやる」

「熱くなりすぎんなよ、ジルケ。気持ちは同じだがよ」

 アッペルバリが隣に並んだ。彼は革袋の酒を一気に呷り、空にした。

「こちとら酔っぱらいなんだ。お前さんにゃ冷静でいてもらわねーと困る」

「ふん。あんたは酒が入ってる方がまともだろが。ま、忠告は受け取るよ」

 ジルケは馬車の方を振り返った。バルドが御者たちを先頭馬車に避難させている。光の霊術師であるレイチェルは守護壁の霊術を張れる。だが詠唱完了まで守るのは自分たちの役目だ。

 彼女は馬上で槍を構えた。

 霧の向こうで風が動くのを感じた。彼女はその正体に一瞬だけ驚いたが、すぐさまなすべき行動をした。

 ひゅん、と空気を切り裂いて、まっすぐに矢の群れが飛んでくる。

「まわれまわれ、《風車》!」

 ジルケは眼前で槍を回転させた。

 槍の風車は周囲の空気を根こそぎ巻き込み、笛のような音を立てるまでに速度を増した。渦巻く風の防壁は、飛来する十数本の矢をも絡めとった。

 回転の勢いが死なないうちに槍を横薙ぎに振るい、巻き込んだ風を刃として前方に放った。巨大な半月状の風の刃は霧を吹き飛ばしながら、突っ込んできていた影の群れに向かっていく。

「ギギッ!?」

「ギギャーッ!?」

 影の正体はやはりゴブリンだった。意気揚々と突撃してきたのであろう者たちは、予期していなかった反撃に驚き足を止め、その首や胴体を両断された。血が一斉に噴き出し、草原を汚した。

 ジルケは見える範囲の敵を観察する。今のところ全員が緑色の肌だ。ミストやアビスといった眷属種は確認できない。だが……。

「奴ら、妙に装備が整ってるな」ジルケは訝しんだ。「明らかに安物だけど、みんな革の軽鎧を身につけてやがる。武器も……種類はバラバラだが、金属製か? 生意気な」

「みてえだなぁ。イック」アッペルバリが同意した。「それにさっきの矢の感じ、ありゃクロスボウだろ? それを最低でも十数丁。どっかの商隊からでもかっぱらったんかね」

 ジルケは忌々しく思いながらも頷いた。

 ゴブリンどもでも、質の悪い原始的な長弓であれば自作できよう。だがクロスボウはそうはいかない。しかも初撃の際、弦を引き絞るための巻き上げ機構が動く風を感じた。だから《風車》の術が間に合ったのだ。そのレベルのものならば、人の手から奪ったことは確実である。

 人から略奪したもので武装し、また人を襲う。楽しいか。楽しいのだろう。死んだ連中はいいザマだ。残りも同じ目に遭わせる。

「続けていくよ、アッペルバリ。準備はいい?」

「おうよ。いい感じに、ヒック……回ってきたぜえ」

 アッペルバリは下唇に指をあて、すぼめた口から酒臭い息を吐き出した。美女がやれば蠱惑的といえそうな仕草だった。(なんでコイツは髭面のおっさんなんだ)と、ジルケはいつものごとく顔をしかめた。

 思いながらもジルケは再び風を集め、刃を飛ばす。何体かは殺せたが、躱す奴もあらわれ始めた。突撃部隊が散開しだしている。

 彼女は散開した連中をひとつひとつ潰すように、風の刃を飛ばしつづけた。少なくない霊力を消耗するが、惜しんでいられる場合ではない。殺しきれなくても、風を送ることが重要なのだ。

 やがて効果が見え始めた。

「ギ……?」「ギー……イック」

 向かってきていたゴブリンたちが足を止め、その場によろめきだした。中には座り込む者や、気持ちよさそうに笑っている者もいる。嘔吐する者さえ出始めた。

「おいおい、この程度で吐き散らかすなよ。ゴブリンにも酒に弱いヤツってなぁいるもんだなぁ。俺を見習え、俺を」

 アッペルバリは小馬鹿にするように笑った。

 彼の得意とする《酔煙》の術。摂取した酒精を霊素の力で何倍にも強くして、呼気とともに吐き出す。それをジルケの風に乗せて送り込んだ。連中は葡萄酒のボトルを一気に飲まされたくらいの気分を味わっているはずだ。

 突撃部隊の足は止めた。だが安堵してはいられなかった。その奥からクロスボウ部隊の第二射が放たれ、迫ってきている。

「チィ……っ!」

 ジルケはまた《風車》で巻き取ろうとしたが、十分な風を集められず、何本かは素通りさせてしまった。警告の声をあげようとしたとき、光の壁が立ち上がり、馬車を襲う矢を弾いた。

 物理的攻撃を遮断する光の霊術、《守護壁の祈り》。レイチェルが唱えていた術がようやく成ったようだ。ジルケはほっと息を吐いた。

「やれやれ。焦らしてくれるね、あの娘も」

「平気か。お前たち」

 馬車の周りを警護していたバルドが近付いてきた。

「レイチェル殿が守護壁を張った。キャラバン全体を守るため、かなり強い霊力を注いだそうだ。これから彼女は守護壁の維持に集中する」

「つまり、あたしらの好きにやれってことだね?」

「そうは言っていない。防御態勢が整えられたから、念のためアッペルバリを残し、俺とお前とで反撃に出る」

「それが好きにやるってことだろうが」ジルケは槍を肩にのせ、獰猛な笑みを浮かべた。「風で斬るだけじゃ手応えがなくてイライラしてたんだ。この手でぶっ殺してきてやるよ。たくさんね!」

 彼女は馬を走らせた。




【続く】

【総合目次】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?