【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #11
<前回>
「今度は何だというのですか……!」
悪魔憑きの女が、苛立ちをあらわにミンミを見る。
ずっと感じていた。このミディアンの森のなかに、強くミンミを引きつける存在がいることを。邪悪な魂の在り処を。だからここに来た。
ミンミは直感した。こいつがそうだ。
どうしてこいつの存在を感じられるのか。そんなことはどうでもいい。
「わたしはミンミ。《ユニコーン騎士団》の魔霊術師」ミンミは静かな視線にありったけの憎悪をこめて、言った。「おまえらをブッ殺しにきたんだよ、クソ女」
ミンミは手のひらを向けた。
ギュグン。ソーニャの体内で、血液が逆流した。否、そのように錯覚した。
「うっぐ……!?」
体が膝をつこうとした。彼女は歯を噛み締めて、それを耐えた。
(何……これは……私の体から力が……いいえ、魂が抜かれている……!?)
血の気がひいた頭で、ソーニャは考える。分身が吸われたことから、あの娘が行使しているのは《吸魔》の術。魔物やソーニャに宿った魔霊を吸うのも、理論上は可能である。
だが、ありえない。術として放出された霊素ならともかく、生物に宿った霊素……すなわち魂は、その肉体に強力に固着している。これだけ距離があるのに吸い上げることなど、いかに優秀な魔霊術師でも不可能だ。
ならばあの小娘に類稀なる才能が? たしかに優れたものを感じはするが、おそらく違う。奴とソーニャの魂の性質が近似しているために、ことさら強く引き寄せられているのだ。つまり、奴は……!
「いずれにせよ、邪魔者は排除するのみです……!」
たった今、二本目の古木が消滅したのを感じた。もう余裕を気取ってはいられない。ソーニャは手近なゴブリンの死体を投げつけた!
しかし、それは届かなかった。両者の間に大楯が割り込んできて、弾いたのだ。
「勝手な行動をするなといつも言ってるだろう! ……だがこの状況、よくやったとも言うべきだな!」
盾の上から、短い金髪の男が顔をのぞかせた。男は爛々とかがやく目でソーニャを見た。
「《ユニコーン騎士団》が一角、フィリップ・ル・リッシュ推参だ! 覚悟するがいい!」
「……ぁぁぁああ……!」
ソーニャは喉をふるわせた。もはやその美しい顔を歪ませることに躊躇はなかった。
「邪魔、邪魔、邪魔……! 邪魔なんですよ鉄クズ野郎! さっさと錆び果てて、砕け散りなさいッ!」
彼女は土埃をあげ、突進した。フィリップは両手で大楯を構え、同様に前へ出た。両者は正面からぶつかり合い、拳と鋼鉄とが甲高い音をひびかせた!
「ぐぬうぅぅ……ッ!」
フィリップは呻いた。踏んばる足が徐々に押され、後退していく。
だがソーニャの苛立ちはなおも深まった。魔霊を吸われている現状では、万全の力を出し切れない。こんな鉄クズ野郎にも時間をかける必要がある。それが腹立たしい!
「どうした、魔女よ……! 私を押す程度が精々か? 元気が足りないのではないのかね!」
「黙れ。お前の声はじつに耳障りです。心配せずとも、お前が砕ける結末に変わりはありません!」
虚勢ではない。ソーニャの手は大楯に触れている。《腐り爪》は腐るものであれば何であろうと腐らせることが可能だ。鈍色の表面が錆で黒ずんでいき、腐食は内部まで及び始める……!
大楯が使い物にならなくなるまで、ものの数秒。だがそれすらもソーニャにはじれったかった。その焦りが、失敗を呼んだのかもしれない。
突然、大楯が左右に割れた。ソーニャはその狭間につんのめった。
「な……ッ!」
驚くソーニャの眼前に、フィリップの顔が見える。驚きの色はなく、しごく冷静な戦士の顔だった。盾は割れたのではなく、彼が割ったのだ。盾の接合面には……鋭い刃!
(ギロチンシールドか!)
「おおおッ!」
フィリップは雄叫びをあげ、全力で盾を閉じた。
とっさに両腕を縦にして、首筋に添えた。盾に仕込まれた断頭の刃は、首ではなく腕に食い込んだ。即死こそ避けたが、刃は骨の半ばにまで達していた。このままでは両断される!
ソーニャは激痛をこらえ、必死にこじ開けた。フィリップもまた、全身の血管が浮かび上がるほどの力で、それに抗った。《吸魔》による弱体化が入っている今、両者の力はほぼ互角。だが故にこそ……《腐り爪》のあるソーニャが有利だった。
ビキン。右の大楯にひびが走った。内部から折れようとしている。
「くうッ!」
フィリップはやむを得ずといった風に唸ると、両手を盾から離した。腰に下げていた槌矛を握り、頭を叩き割ろうとこころみた。しかし、一瞬早く、ソーニャの手が顔面をつかんだ。
「手こずらせましたね、鉄クズ野郎……!」
ソーニャは魔霊を流し込んだ。
「ぐあああぁぁ……ッ!?」
フィリップが苦悶の叫び声をあげた。ソーニャは汚いものでも振り払うかのように、彼の体を放り棄てた。死んではいまいが、無力化には十分なほど腐らせた。いま優先すべきは小娘の方である。
ソーニャは駆け出した。足がふらついている。こんなにも消耗したのは初めてだ。屈辱と憎悪をこめた手で、術に集中しきっているミンミの首をつかみ、木の胴へたたきつけた。
「あぐ……っ!」
「……やはり。そういうことですか」
じかに触れてみて確信した。ソーニャとこの小娘の魂が似ている、忌々しき理由。
「お前、私の異母妹ですね」
「う……ぅ……っ」
「権力者に飼われる豚へと堕した私の父が、あてがわれた女に外で産ませた内の一匹。それがお前です。いるとは思っていましたが……、まさか《ユニコーン騎士団》に拾われていたとは」
さらに強く首を絞める。きつく目を閉じてか細い悲鳴をあげる少女の姿は、ソーニャの嗜虐心をわずかながらに満足させた。
「しかし……それはつまり、お前には《モアブの娘》の一員となる資格があるということ。猊下に忠誠を誓うならば、姉としてとりなしてやってもよいでしょう。いかがです? 大いなる力に身を委ねるのは心地よいですよ」
「……ッ」
ミンミは唇をわななかせた。首をきつく締められて、声を出せないでいる。その様子もソーニャの心を暗く満たした。あんな男の胤を生かしておくつもりなど、最初からない。
しかし、ミンミは答えを返した。それは魂に直接ひびいてきた。
(ぜったい厭だ。便器野郎に忠誠を誓うクソ女になるくらいなら、死んだ方がマシ)
ソーニャは激昂した。
気が付くと首を絞める手に力がこもっていた。ミンミは足をばたつかせた。手を離すと、地面に倒れ込んで、動かなくなった。
「……気が変わりました。お前は殺さないでおきます」
失神した妹を、冷たい視線で姉は見下ろす。
「下品で低俗な言葉で猊下をののしるなど、許しがたい罪。死んだ方がマシだと言うならば、そのような罰をくれてやりましょう。後ほどたっぷりと煙を吸わせ、心を壊してから、私の所有物として飼いならしてやります」
そう告げると、ソーニャは背を向けて歩き出した。
炎の壁。鉄クズ。《吸魔》の使い手。邪魔する者はもういない。これでやっと、あの雌犬に手がとどく。大きく煙を吸って魔霊を補給しながら、ソーニャはレイチェルに近づいていった。
「き、さま……彼女に手は……出させんぞ……!」
アルティナが起き上がっていた。だが立つのもやっとという有様で、まさに風前の灯火といったところだ。ソーニャは鬱陶しげに視線を流し、生き残っていた魔物に指示をした。
「オークども。そいつを抑えておきなさい。本当のキズモノにしても構いませんよ」
「「「オオオォォォ!」」」
三匹のヘイズオークが向かっていく。女騎士は精彩の欠いた動きで迎えうつ。
ソーニャはその光景を意識から外し、炎の残り滓がちらばる地面を歩き続けた。向かう先では、額に玉の汗をうかべた修道女が祈りつづけている。
足元に落ちていたゴブリンの首をひろい、投げつけた。ほとんど炭化していた首は、修道女の頭にぶつかって粉々に砕け散った。修道女は姿勢を崩し、地面を転がった。
それでもなお、祈りをやめなかった。
倒れたまま、組んだ両手を支えにして、彼女は言葉を唱えつづける。近づくソーニャの耳が、その言葉を捉え始めた。
「『あなたの内に棲む獣のことを理解して、仲良くしていきなさい』……はい、そのように致します。『頭も筋肉と同じだ。働かせることでしか鍛えられん。リアに色々と教えてもらえ』……はい、そのように致します。『まっすぐ、まっすぐ、まっすぐに歩いていきなさい。気高く愛しい、白狼の子よ』……はい、そのように致します……!」
「……」
ソーニャは眉をひそめた。神の言葉にしては、ずいぶんと卑近な言い回しだ。まるで親が子に言い聞かせるかのような……。
「まあ、どうでも良いことですね」
ソーニャは走り出すため、足に力を込めた。できるだけ長く苦しませてやりたいが、そうも言っていられない。一瞬で頭蓋の中身まで腐らせて、それで終わりだ。
「くそっ……くそおっ! やめろ、貴様らッ! 私を離せえッ!」
ヘイズオークたちにうつ伏せに押さえつけられ、アルティナは喚いた。特任騎士ともあろう者がなんと情けない。ソーニャの錆びた瞳に昏い愉悦が満ちようとした……その時だった。
『こちらクリストファー。聞こえるか、レイチェル!』
アルティナの胸元で、翡翠がささやいた。
同時に、ソーニャも魂で感じた。翡翠がなにを告げようとしているのかを。
『三本目の古木は破壊した。これで煙の発生源はすべて処理できた! もう癒しの結界は必要ない!』
あたりを漂っていた煙の動きが、それを証明した。黒い木々よりも低い位置をさまよっていたそれは、解き放たれたように上方へ昇り、天蓋の闇へと消えていく。
「レイチェル!」
アルティナが枯らさんばかりの声で叫んだ。
ソーニャは全力で駆け出した。
「みんなはもう大丈夫だ! 祈れ! 君自身のためにッ!」
「はい。そのように致します」
修道女は祈りの言葉をそう綴じた。
ミディアンの森全域に広がっていた光の結界が、引き潮のように収縮していく。静かなる森をざわめかせながら。黒い木々を怖れさせながら。
それはソーニャよりも速く、光の結界の中心点、レイチェルの体に到達した。
凄まじい霊力に打たれ、レイチェルは大きくのけぞった。天を仰ぐほどに。髪が舞い、ヴェールが零れ落ちた。
彼女は祈りの手をほどく。
その両手のひらを、地面に叩きつけた。
仰いでいた首を振りもどし、白く染まった髪を躍らせて、ソーニャをまっすぐに睨んだ。
怒れる狼の眼光で。
ソーニャは動きを止めた。凍てついたように、体が動かなかった。
狼は四肢をばねにして、爆ぜるように跳んだ。そしてその拳で、ソーニャの顔面を殴りつけた!
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