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地獄行きオクトーバー まとめ版


※ 30000字ほどのエンタメ小説です。
※ 下ネタと、ごく軽い性的描写があります。




 十月になった。ハロウィンの季節だ。お姉が地獄から帰ってくる。

「ヘイ、ミナちゃんよ。炬燵にゃ早くね?」

 リビングまで入ってきたお姉は開口一番、呆れたようにそう言った。
 わたしは炬燵に顎をのせたまま答える。

「令和が悪いんだよ」
「寒がりちゃんめ。脂肪がたりんな」

 お姉は自分のおっぱいを鷲掴みにして、たゆんたゆんと揺らす。青い肌に黒いレオタード、翼に尻尾。どこに出しても恥ずかしくない本物のサキュバスだ。敵うわけなかろう。
 お姉は炬燵に入らず、わたしの隣でどっかと胡坐をかいた。股の食い込みが実にエグい。

「今年はひと月いられるの?」
「おうよ。この街のハロウィンも、混雑回避だとかで一ヶ月やるんでしょ。地獄も同じよ」
「よかった。嬉しい」

 お姉こと上園かみぞのマリアが人として死んだのは五年前のこと。彼女は両親を殺したヤクザに復讐するため、魔族と契約してサキュバスになった。そんで組員をひとり残らず搾り殺して、最後は魔族に連れてかれちゃったのだ。
 でも、毎年ハロウィンの日にはこうして里帰りしてくれる。しかも今年は一ヶ月。本当に嬉しい。

「ねえあんた、仮装は用意した?」
「仮装?」
「去年まではここでダベってばっかで、ハロウィンっぽいことしてこなかったじゃん。姉妹でファビュラスにバズろうぜ。で、何か持ってる?」
「修道女の服ならあるけど」
「修道女ぉ? おげ」

 お姉はえずく真似をする。やっぱり魔族だから嫌なのか。

「けどシスターとサキュバスの姉妹ってのは訴求力ありそうね。二人で出歩いて、近所のガキども片っ端から精通させっか」
「やだよ、社会的に死んじゃう……ふあ」

 欠伸がでた。お姉は片眉をあげる。

「寝不足? 顔色よくないよ」
「最近、お隣のタロが朝早くに吠えるんだよ」
「まだ生きてんだ。あいつナニもでかいよね」
「言わんでいい」
「よちよち、お疲れの妹ちゃんに、お姉がホットミルクをつくってやろう。特濃だぞ」

 そう言って、お姉は立ち上がり、台所に向かう。
 なんだか昔みたいだな。わたしはふりふり揺れる尻を眺めながらそう思う。そして願った。神よ、どうか一年中ハロウィンにしてください、と。



 十月二日。二階の自室。

 その日、わたしは久々に寝坊した。タロが吠えなかったのだ。どうも干からびて死んでいたらしい。
 わたしはパジャマ姿のままでお姉からそれを聞き、一気に目が覚めた。

「……お姉、まさか」
「ちがうちがう!」お姉はぶんぶんと首を振る。「あたしも犬はヌいたことないよ。まだ」
「まだ?」
「それに、窓から死体みかけたけどさ、失血死っぽいのよ。血はヌかねぇよ、サキュバスは」

 それもそうか。わたしは胸を撫で下ろす。でも、だとしたらいったい誰が?

「あたしが思うに、多分チュパカブラの仕業だわね」
「チュパカブラぁ?」

 未確認生物、いわゆるUMAとして有名な怪物だ。「ヤギの血を吸うもの」という名の通り、家畜を襲って吸血するのだという。目撃されるのは主に南米らしいけど……。

「ハロウィンだし、日本に出てもおかしくないか」
「そうそう。地獄でも魔族連中みんな盛り上がってたんだぜ。今年のハロウィンは長く滞在できるから、色々やってやろうって。どうせそのクチだね」

 うーん、そうか。お姉だけじゃなく、他の魔族も十月中はずっと居座るってことなのか。喜んでばかりもいられないかも。
 考え込むわたしを見かねたのか、お姉は「よし!」と腰に手をあてて、ぶるるんと胸を張った。

「心配なら、あたしが探してやっつけてあげる」
「お姉が?」
「タロとは何度かお腹を撫でてやった仲だしね。弔い合戦じゃ」
「でもお姉、相手は化け物だよ。サキュバスが戦えるの?」

 五年前にヤクザを相手にしていた時は、口に出すのを憚るような行為で精気を吸いとって殺していた。チュパカブラは人外だ。人型のサキュバスに欲情するかわからないし、仮にしたとしても、お姉がそういう化け物と致してるところは想像したくないし。

「大丈夫。サキュバスは蓄えておいた精気を力に換えて、肉体を強化できるのよ。こんな風に」

 お姉はお腹を突き出し、「ふん!」と力んだ。するとその腹筋が一瞬でバキバキに割れた。レオタード越しでもわかる見事なシックスパック。

「凄いね」
「でしょ。リンゴも握りつぶせるぜ」

 自信満々だ。それでもわたしは心配だった。なんだか嫌な予感がする。

「お姉。わたしも行くよ」
「えー? いいよ、危ないよ。大学もあるんでしょ」
「サボるよ。せっかくの長いハロウィンだもん。お姉と一緒に歩きまわりたい」

 お姉はちょっと困った様子で眉を下げた。昔からよく見た顔だ。わたしが駄々をこねると、決まってこの顔をして、その次にはパッと笑ってくれるんだ。
 その通りになった。

「ま、いっか。あたしが守ってあげりゃいいんだしね。それじゃあ、さっさと着替えてもらえるかい、マイシスター」

 お姉は壁にかけてある修道服を親指で示した。



 ロザリオを首にかけ、髪を払って、着替えはおしまい。
 部屋を出ると、待ち構えていたお姉が四方八方から視線で撫でまわしてきた。

「ほうほう。控えめながらもフリフリの装飾がきいたゴス系シスターですな。オタク受けしそうだわ」
「そりゃどうも」
「袖口ひろいね。風とか入って寒くない?」
「平気だよ。今日は晴れててあったかいし」

 というわけで、わたしたちはさっそく聞き込みを開始した。お隣さんに始まり、さらにそのご近所、ご近所と辿っていくと、思っていたより広範囲でペットが失血死したという話が聞こえてきた。グーグルマップで事件のあった場所にピンを刺していき、結果、それらは森林公園を中心とする円を描いていると分析できた。

 そして夜。
 春麗チュンリーコスのおばちゃんが接客してくれるラーメン屋で食事をとったあと、わたしたちはその森林公園を訪れている。

「なーんかほとんど人いないわねぇ」

 デザートのソフトクリームを淫靡に舐めながら、お姉は言う。

「平日の夜だし。そういうご時世だから」
「この美人姉妹を見せつけられないのは残念だけど、獲物を探しやすいのはいいかもね。でも気を付けなよ。敵はチュパカブラに限らないんだから」

 たしかに、モラルと知能の低そうなウェイ系連中はちょいちょい見かける。この中に魔族が混じってる可能性はあるかもしれない。隣にサキュバスが実際いるし。
 たとえば前方からやってくる、白塗りオールバックの吸血鬼とミイラ男なんかは……。

「あれ? もしかしてお前、マリアか?」

 吸血鬼が話しかけてきた。
 お姉はきょとんと間を置いてから、「おお!」と声をあげる。

「浦野っちじゃん、懐かしー! 成人式以来?」
「だな。お前それサキュバスのコス? めっちゃ気合い入ってるじゃん」
「コスじゃないよ。本物になったのさ、あたし」
「マジ? すげえな」

 思い出した。浦野さんはお姉の高校時代の同級生だ。お姉とは付き合ってるんだかいないんだか微妙な関係で、三回くらい家に遊びにきて終わりだったはず。まあ悪い人ではない。

「そっちは妹のミナちゃん? 大人になったなー。シスター衣装もすげえ似合ってるよ」
「どうも」
「オレは見ての通りドラキュラ。どう、よくない?」
「全然ダメです。ドラキュラ伯爵を冒涜してます。せめてあと二十年は渋みと貫録を蓄えてからにしてください」
「めっちゃ辛辣」
「この子ゲイリー・オールドマンのファンだから。映画でドラキュラ役やってたのよ」

 大ファンだ。イケオジでないドラキュラ伯爵などわたしは認めない。

「そんで、そっちのミイラ男は?」
「ああ、こいつは……」

 パシャリ。わたしは思わず目をつむった。ミイラ男が突然、首からさげたカメラでフラッシュを焚いたのだ。

「こら、及川! マナー違反だろが! 許可もとってねえ!」
「あ。す、すみません。その、あんまりお綺麗だったもので」

 ミイラ男はぺこぺこと頭を下げた。

「ったく……。二人とも悪いな。こいつは及川。職場の後輩だ。写真が趣味だっつうから街の風物詩を撮ってもらおうと思って連れてきた」
「及川です。ほんとうに失礼しました」

 及川さんはまた頭を下げる。包帯でくぐもってるけど、後輩感のあるさわやか声だ。わたしは隠れた顔を勝手に想像した。

「実をいうと、あんまり乗り気じゃなかったんですよ。別にハロウィンは好きでもないし、ふだん撮ってるのも風景写真ですし。先輩のコスプレ姿なんか撮ってもデータの無駄ですしね」
「何だとこら」
「でも来てよかったです。だってこんなに綺麗な方に出会えたんですからね」

 気障ったいセリフだ。まあ、お姉の美貌を前にしたなら当然の反応ではある。

「おうおう、見る目のある後輩くんね。特別に超エッチなポーズで撮らせてあげよう。SNSに上げてもいいよ」
「え? あっはい、上げません」

 パシャリ。パシャリ。お姉の撮影会がはじまった。撮るたびにどんどんポーズが際どくなっていく。浦野さんは「あとでオレにもくれ」などと言っている。
 お姉の魅力が広まっていくのは誇らしいことだ。でもいいのかな。チュパカブラを探しに来たはずなんだけど……。

「あの、ちょっといいですか」及川さんが手をあげる。そして何故かわたしを見た。「あのですね、よろしかったら、ぜひ妹さんも……」

 コカカカカ。

 変な音がした。
 わたしたち四人は顔を見合わせる。

「なんだ、今の音?」
「ジャングルで鳴ってそうな音だったわね」

 コカカカカ。
 また鳴った。さっきより近い。

「僕、聞いたことありますよ。映画に出てくるクリーチャーの声で」
「映画、ですか?」
「はい。全然おもしろくないB級映画なんですけど。なんだっけなあ。なんかのUMAをテーマにした……」

 UMA。まさか。

「もしかして、それってチュパ……」
「コカカカカーッ!!」

 唐突だった。長い舌をチュロチュロさせた緑色の化け物が、わたしたちに襲いかかってきたのだ!

「出たなてめえサキュバスパンチを喰らえーッ!!」
「コカーッ!?」

 お姉の拳が顔面に炸裂! 化け物は螺旋状に回転しながら吹っ飛ばされ、木にぶつかって落下した。

「おい、何だあいつは!?」
「ぼ、僕、映画で観ました! 緑の肌に背中や後頭部に生えたトゲ! 吸血怪人チュパカブラです!」

 チュパカブラはふらつきながらも立ち上がる。黒い瞳に敵意がみなぎっている。
 お姉はアイスのコーンを口に放り込み、手についたクリームを舐めしゃぶりながら近付いていく。

「悪いわね。同じ地獄の生き物だけど、妹に手ぇ出すやつはブチ殺すわ」
「お姉! そいつ本物?」
「こんなベロの人間はいないでしょ」

 チュパカブラはお姉を睨みながら、細長い舌を真夏のミミズみたいにくねらせる。この舌を突き刺してチューチュー吸血するのだろう。悪い病気も移されそうだ。

「ミナ、離れちゃダメよ。男二人もそこにいて。もしもの時は精気タンクにすっから」
「コカカカカーッ!」

 チュパカブラが走り出した。
 お姉は前傾姿勢をとる。しなやかな背中から、尻、太腿、つま先にまで力が満ち、筋肉が硬く引き締まる。つややかに濡れた岩のようだ。
 ふたつの力が衝突した。衝撃波が森林公園を駆けた。お互いの両手を掴むようにして押し合っている。二人の唸り声が重なって響く。優勢なのは……お姉の方だ!

「シューッ!」
「おっと!?」

 チュパカブラが舌を針のように鋭く伸ばした。眉間をまっすぐ狙ったそれを、お姉は首を傾けて躱す。けれどそのせいで力が緩み、押され始めた。チュパカブラが邪悪な笑いに口を歪めた。

「コカッ、コカカカカッ!」
「けッ。バカにしてくれんじゃない。舌っつーのは刺すんじゃなくて舐めるためにあるんでしょうが、よッ!」

 お姉は右のつま先でチュパカブラの股間を蹴り上げた。浦野さんたちが「ひえっ」と悲鳴をあげた。
 チュパカブラの股間に生殖器は見当たらないけど、それなりに効いたらしい。怯んでいる。お姉は手を放し、距離をとった。

「あんた意外とカタいのね。じゃ、これはどう?」

 お姉が右腕を構えた。すると紫色の炎のようなオーラが右腕を包み込み、やがて手のひらに集まって、固体となった。
 それは一本の短刀だった。

「百人のヤクザの魂を吸って体得したスキル、ソウル・ドス生成よん」お姉は両手でドスを握り、腰だめに構え……突進した!「死にさらせやゴルァーッ!!」
「コカーッ!?」

 ドスはチュパカブラの腹に深く突き刺さった。お姉はそのまま押し倒し、のしかかる。サキュバスに馬乗りになられたらもうダメだ。お姉はドスを両手で握りなおし、何度もチュパカブラに振り下ろす。

「ギャーッハハハハハ!! なにが吸血怪人じゃい! 血ィ見んのはオドレの方じゃボゲェーッ!!」

 ドバッ、ドバッ、と噴き出す鮮血。青い肌にそれを浴び、哄笑するお姉。
 わたしは思わず両手を組む。

「お姉、かっこいい……」

 チュパカブラはもう動かなかった。お姉はすっくと立ち上がった。長い髪をひるがえし、こちらを振り返りながら、血塗れの顔で微笑んだ。

「はぁスッキリした。ミナ、もう帰ろ。タロの仇も討ったしね」
「あ……待って、お姉」

 たしかにチュパカブラは死んだ。でもわたしには、聞き込みをしてる時から気になってることがあった。被害に遭った動物の数が多すぎるのだ。もしかすると……。

 コカカカカ。

 言おうとした時だ。またあの音が響いてきた。

 コカカカカ。また。コカカカカ。コカカカカ。幾つも重なって。コカカカカ。コカカカカ。コカカカカ。コカカカカ。まるでカエルの大合唱。コカカカカ。コカカカカ。コカカカカコカカカカコカカカカコカカカカコカカカカコカカカカコカカカカコカカカカコカカカカ。

「「「「「コカカカカーッ!!!!!」」」」」

 四方から飛びかかる化け物たち。やっぱりだ。チュパカブラはたくさんいたんだ!

「だあーッ! 何よもう面倒くさいなァ!」
「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」

 お姉はソウル・ドスをさらに生成。二刀流で風のように立ちまわる。心臓や眼球を突き刺し、首筋や臓物を切り裂き、頭部や股間を蹴り砕いていく。けれどチュパカブラの数は尽きない。仲間の血に誘われたかのように、わらわらと木々の闇から現れてくる。
 いくらなんでも多すぎだ。このままじゃお姉が!

「お姉ッ!」
「心配すんな、妹よ。お姉がぜったい守ってやっかんね!」

 ちがうよ。心配なのはお姉の方だよ。
 いつもこうだ。わたしはお姉に守られてばかりいる。子供のころも。五年前も。

 今もそうか?
 ちがうだろ、わたしよ。

 わたしは決断し、歩き出す。浦野さんと及川さんが止めようとする。わたしは無視する。一匹のチュパカブラが気付く。お姉も。

「ダメよミナ! こっちに来ちゃ……!」
「コカカカカーッ!」

 チュパカブラがわたしに向かってきた。

 わたしは両腕を斜め下にバッと伸ばした。硬いものが両袖の内側を滑ってくる。手のひらに飛び出してきたその重みを、わたしはそれぞれの手に一丁ずつ、しっかりと握りしめた。

 グロック神聖ホーリーカスタム。銀の装束をほどこした自動拳銃オートマチック

「人に害なす魔族ども。神の名においてみな死すべし」

 撃った。二発の祝福されし9mmパラベラム弾が、チュパカブラの胴と頭部に突き刺さり、爆散させた。



 さらに撃つ。お姉を囲んで嬲ろうとするカスどもを次々と殺していく。
 まず狙うべくは胴体。的が大きいからだ。そうして堅実に怯ませてから、ヘッドショットでとどめを刺す。二撃一殺がわたしの基本。神父さまが教えてくれた退魔のやり方。

「ミ……ミナさん。君は」

 振り返る。及川さんがわたしを見ている。なぜかは知らないけれど、カメラを構えようとしていた。
 わたしは右手の銃を向けた。

「ひゃあ! ま、待って、僕は」
「動かないで」

 撃つ。弾丸は及川さんの頬をかすめ、「コカーッ!?」背後に迫っていたチュパカブラの眉間に穴をあけた。
 チュパカブラはまだまだ増える。その半分ほどはわたしを標的にしたらしく、徐々にこちらを包囲しようとしていた。好都合だ。お姉の負担を減らせる。

 とん、と、背中に感触があった。
 お姉の背中だった。

「ちょっとなぁに、あんた。もしかして、武装エクソシストってやつ?」
「うん。黙っててごめん」
「すっごいじゃん。お姉びっくりしちゃったわ」
「神父様には、十年に一人の逸材だっていわれたよ」
「そんな漫画みたいなセリフを? ヤバすぎ。自慢の妹だね」

 お姉は笑った。
 そしていつも通りの明るい声音で、囁くように言ってくれた。

「ミナ。背中は任せるよ。いい?」
「……うん。任せて」

 わたしは泣きそうになるのを堪え、そう返した。
 お姉が地を蹴る。わたしも歩き出しながら、左右の銃で化け物を撃ち殺していく。今のわたしは無敵だ。どんどんきやがれ。

「コカーッ!」BANGBANG。「コカーッ!」「コカカカカーッ!」BANGBANGBANGBANG。「コカーッ!」「コカーッ!」「コカーッ!」「コカーッ!」BANGBANG。BANGBANGBANGBANG!

 カチリ。撃鉄が空しく鳴った。弾切れだ。

「コカカカカーッ!」

 にやついた顔のチュパカブラが飛びかかってくる。ナメんな。わたしはその横面をグリップの底で殴りつけてやった。

「コギャッ!?」

 血と乱杭歯が散った。わたしは左の銃を捨て、その手でそいつの首をつかみ、右の銃で頭部を殴った。二度、三度。四度目で頭蓋がぱっくりと割れた。わたしはそいつを地面に叩き捨てた。

「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」

 まだくる。わたしは右の銃も投げ捨て、もう一度、両腕を伸ばす。シャガッ、と、予備の二丁が袖から飛び出した。わたしは十年に一人なので、エクソシスト式収納術も得意だ。

 わたしは撃つ。撃ち殺していく。いつもよりハイになっていることが自分でもわかる。感覚が鋭敏だ。

 うなじがひりつく。背後から舌攻撃。

「シューッ!」

 わたしは地面すれすれまで身を低くして躱す。さらに振り返りながら、ブーツで弧を描くようにしてそいつの足を刈った。

「コギャッ!?」

 チュパカブラは転倒した。わたしは立ち上がり、そいつの頭を撃ち抜いた。

「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」「コカカカカーッ!」

 懲りないやつら。わたしは両腕を交差し、撃ちながら広げていく。薙ぎ払うようにして、チュパカブラの頭部を次々と爆ぜさせていく。

「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」「コカーッ!?」

 ヘッドショットによる一撃一殺。胴体は狙わなかった。感覚が研ぎ澄まされている。お姉がくれた言葉が、わたしに全能感をもたらしてくれていた。まるで神の御言葉のように。


 ……数分後には、あたりは血の海となっていた。もちろんチュパカブラどもの血だ。わたしも、お姉も、浦野さんや及川さんも、みんな無事だった。

「おっつかーれさん。怪我はない?」

 お姉がぽんと肩をたたく。
 わたしは返事をしようとした。けれど、喉がきゅっと締まっていて、ぅぁ、とか、そういう声しか出せなかった。

「あら。あんたの体、なんか熱いわよ。ヤリすぎで火照っちゃった?」

 お姉がおでこを合わせてくる。

「うーん、だいぶ興奮してたみたいね。すぐ帰りましょ。浦野っちも、警察とか面倒になる前に帰った方がいいわよ」
「おう。なんか手伝えることあるか?」
「平気平気。あ、ミイラ男くんはちょっと待って」
「な、なんですか?」

 お姉は及川さんにつかつかと歩み寄ると、いきなりカメラをひったくって、地面に叩きつけた。及川さんが絶叫した。

「アアーッ!! なんてことするんですか!!」
「あんた、戦ってる最中にも撮ってたでしょ。ミナが困るかもしんないから。写真だけじゃなく、今夜のこと話すのもナシよ」
「わかってるぜ。こいつにはオレがよく言って聞かせっから」

 浦野さんはそう言って、めそめそと包帯を濡らす及川さんの肩を抱いた。
 お姉は「じゃね」と手を振ると、わたしの背中に優しく手を当てて歩かせてくれた。

 全能感はすでに去った。十月の夜の冷たさが、わたしの袖の隙間から忍び込んでいた。



 昔から、わたしは明るい性格ではなかった。そのうえ思ったことは口に出すのを躊躇わない性質で、だから学校で嫌われるのは自然の帰結だった。いじめと断言できる程度ではない。きっとどこのクラスにもあった、どんよりとした無形の檻。その中に囚われて、わたしは小学と中学をやり過ごした。あんな頭の悪い連中こっちからお断りだ。そう自分に言い聞かせながら。

 でも日々を重ねていくと、いつまでも掃除されない灰皿みたいに、心の底に何かの滓が溜まっていく。それは決まって寒い夜、わたしの胸に穴を空け、洟まじりの汚い涙となって枕を濡らしたものだった。



 お姉はいつだってそれに気付いてくれた。

「ヘイ、泣き虫ちゃん。映画みようぜ」

 日付を跨ぐような時間だろうと、お姉は躊躇せずわたしをリビングまで連れだした。そして父の映画コレクションを勝手に借りて、一緒に鑑賞した。
 この時、お姉は必ずホットミルクをつくってくれた。どこにでも売ってる低脂肪牛乳のはずなのに、お姉のつくるそれは不思議に甘くて、わたしの胸の穴を塞いでくれた。



 両親が自動車事故に見せかけてヤクザに殺されたのは、父が弁護士で、母がその秘書だったからだ。
 十六歳だったわたしは、ただ泣くことしかできなかった。でもお姉は違った。お姉は強い人だったから、どこからか悪魔と契約する方法を知って、それを実行した。
 両親のため。そしてわたしを守るために。



 五年前、雷雨の夜。
 古式ゆかしいヤクザの邸宅に、サキュバスとなったお姉は着物姿であらわれた。
 ヤクザたちはわたしをさらって人質にしていたけれど、しとどに濡れたお姉が江戸紅型びんがたをはだけさせ、鎖骨から乳房にかけてつうと撫でると、ただそれだけでヤクザたちは理性を失くし、群がった。百人分のミイラができあがるまで、一時間もかからなかった。
 助け出されたわたしは、べとべとになったお姉の胸に抱きついて、安堵に泣いた。

 その時だ。あいつが地獄からやってきたのは。

 突然、畳に黒い渦が巻いた。そこから天井に届きそうなほどの二本の触手が伸びてきた。驚き固まるわたしの前で、黒い渦からどっしりと貫録のある声が響いてきた。

『済んだか。では契約履行の時間である』
「……そうね。わかってるよ、男爵

 お姉はわたしを離し、ゆっくりと立ち上がる。

「お姉?」
「ごめんね、ミナ。ダメなお姉を許してね」

 お姉は寂しげに微笑む。そんな風に笑うお姉を、わたしは生まれて初めてみた。

「どういうこと? そいつ、何なの?」
『貴様、話していないのか? 家族などの親しい人間には事前に話しておくのがコンプライアンス的に推奨されると説明しただろう』

 男爵と呼ばれた触手は呆れたように言った。

『娘よ。貴様の姉は地獄の女衒たるこの吾輩と契約し、淫魔となった。すなわち地獄の生き物となったのだ。もはや現世にはいられぬ』
「うそだ」
『うそではない。契約書面にも書いてある。請求があれば開示するが』
「お願いします」

 しばらくの間をおいて、三本目の触手が渦から出てきた。羊皮紙の束を差し出してくる。わたしはそれを受け取り、日本語で書かれた文章を読んだ。父さんから学んだ知識で隅々まで粗を探したけれど、どこにも瑕疵はみつけられなかった。そもそも地獄の法を知らないし。

『理解したか。吾輩としても訴訟リスクは回避したいゆえ』
「撤回は、できないんですか」
『地獄にクーリングオフ的な制度はない』

 目の前が真っ暗になった気がした。
 お姉が歩き出す。男爵の方へ向かって。わたしは声を張り上げた。

「待ってよ、お姉! わたしを一人にしないで!」
「ごめんね。契約だから」
「だったら、わたしも地獄に行く。わたしも連れて行ってよ」

 男爵がこれを否定した。

『無理だ、娘よ。生者と聖者に地獄の門をくぐることは叶わぬ』
「じゃあ、わたしもサキュバスにして。できるんでしょう」
『それも無理だ。淫魔契約法は十八歳未満との契約を禁じておる。そもそも貴様の魂には淫魔の素質がない。その薄い体がどれだけ育とうと、貴様は淫魔にはなれぬだろう』

 魔族はどこまでも残酷だった。
 じゃあ、じゃあと、わたしは未練がましく地獄行きの理屈を探す。それを尻目に、黒い渦は勢いを増す。お姉を足元から飲み込んでいく。

「お姉ッ!」
「ミナ。風邪ひかないようにするんだよ。あんた寒がりちゃんだから」

 お姉の体が沈んでいく。わたしが駄々をこねる時の、困ったような笑顔のままで。

「ハロウィンには現世に来られるって話だからさ。その日には必ず帰ってくるよ。それまで、元気でね」

 その言葉を最後に、お姉は完全に渦に呑まれた。
 男爵の触手も引っ込む。渦が小さくなり、地獄の門が閉じる。後にはわたしだけが残された。
 わたしは声を涸らして泣いた。



 神父さまが来たのはその直後のことだ。

「少女よ。ここに魔族がいなかったか?」

 全身にタバコの臭いを染みつかせたカソックコートの老人は、低くざらついた声でそう言った。
 わたしはうずくまったまま答える。

「いました。わたしの姉を、地獄に連れて行ってしまいました」
「そうか」

 キン、という金属音と、火の点いた音。ジッポライターだ。淫臭ただよう和室に、紫煙がくゆる。

「少女よ。姉を取り戻したいか」
「取り戻したいです」
「魔族をブチ殺したいか」
「ブチ殺したいです」
「神の名において許す。お前の魂からはエクソシストの素養を感じる。覚悟があるならば、自分の手で拾え」

 ぽとりと、何かが畳のうえに落ちた。
 ロザリオだった。

 わたしは掻き毟るようにそれを掴んだ。



「……で、その神父はどうしてんの?」
「肺癌で死んじゃったよ」

 チュパカブラとの戦いの後、わたしたちはシャワーで血を流してから、自宅のリビングでだらだらしていた。お姉は床に胡坐をかいてサキイカをつまみに缶ビール。わたしはジャージに着替え、また炬燵でお姉の特濃ホットミルクだ。

「あの衣装がコスプレじゃなかったとはねぇ。なんで黙ってたのさ」
「お姉、魔族だから……嫌われると思って」
「かわいい妹を嫌う姉なんてこの宇宙にいるもんかい」

 嬉しい。頬がもにょもにょする。

「でもね、ミナ。エクソシストやってる理由が、あたしを助けるためだってんなら、別に必要ないかんね」

 二本目の缶ビールを開けながら、お姉は言う。

「あたしはサキュバス生活をけっこう楽しんでる。地獄もそんな悪いところじゃないしね。魔族は契約を守る生き物だから、コンプラ意識もしっかりしてんのよ」
「でも地獄でしょ?」
「まあ、ダンテさんが書いてた通りでしたけどね」

 黒い暴風が亡霊を吹っ飛ばしてたりするのか。やっぱ最悪じゃん。

「でもあたしは罪人をいぢめる側だから、そんなに苦労はないわけよ」
「ビシバシ鞭打ったりするの?」
「そうよぉ。現世で傲慢の罪を犯した野郎どもを、きゃんきゃんケツ振る哀れな畜生に調教してやんの。楽しいわよ」
「そっか……」

 ギャハハハハ、と笑いながら拷問するお姉の姿が易々と浮かんできた。複雑だけど、お姉が元気ならそれでいいのかもしれない。

「でもわたし、エクソシストは辞めないよ」
「ほう?」
「たしかに最初はお姉を助けることしか考えてなかった。でも、やってく内にさ……月並みだけど……誰かを守ることの喜びを知ったっていうか」

 「ありがとう、おねえちゃん」。血塗れになったわたしを怖れもせず、そう言ってくれた女の子を思い出す。
 あの子のおかげでわたしは知った。お姉がわたしを守ってくれていた理由。お姉が宇宙一のお姉である所以を。

「つまり、あんたはあんたなりに人生を楽しんでるってことね」
「そうなるのかな」
「なるのよ。立派になったもんだ。お姉は喜んでいます」

 お姉は目を細めた。妖艶なサキュバスの顔ではない。むかしの母さんによく似ていた。

「決めた。現世にいるあいだは、お姉がミナの仕事を手伝ってあげる」
「仕事?」
「もちろん退魔よ。まだ一ヶ月あんのよ。チュパカブラだけで終わるはずないわ」
「でも、お姉も魔族じゃん。いいの?」
「あんただって、エクソシストのくせにあたしを守ってる」
「そうだけど」
「サキュバスだエクソシストだいう前に、あたしらは姉妹なのよ。お互いを思いやって何が悪いの」

 お姉は身を乗り出し、缶ビールの底を炬燵に叩きつけた。

「十月は二人で出歩くわよ。人間にも、魔族にも、この美人姉妹の仲良しっぷりを見せつけてやりましょ」



 十月七日。裏路地。

 その日もお姉といっしょに深夜までぶらぶらしていると、シルクハットの英国紳士が待ち構えていた。

「キッヒヒヒ……。今晩は、お嬢さんがた。私は魔人ジャック・ザ・リッパー。貴女たちをズタズタに切り裂きたいんですが、いいですよねェ?」

 月明かりの下、紳士は下卑た様子でべろりとナイフを舐めた。ジャック・ザ・リッパー! かつてロンドンを震撼させた伝説の殺人鬼。わたしは不謹慎にもちょっと興奮した。

「いいわけないでしょボケ。裂くのはあたしの服だけにしときなさいよ」
「おやおや。これは必要な外科手術なのですよ。サキュバスの貴女は肉がつきすぎなので削ぎ落とした方がよろしい。そして薄っぺらいそこの彼女に移殖するのです」
「お姉こいつ早くブチ殺そうよ」

 瞬間的に頭に血が上り、わたしは銃口を向ける。
 しかしその直後、うなじにひりつきを覚え、反射的に振り返った。
 放物線を描いて何かが飛んでくる。
 わたしはそれを撃つ。飛んできたのはカボチャだった。カボチャが爆ぜ、橙色の火がアスファルトにまき散らされた。

 カボチャ、鬼火。そしてハロウィン。意味するものはただひとつ。わたしは睨んだ。夜を照らす炎のむこう、襤褸のコートをはためかせるカボチャ頭の魔人を。

「おれは魔人ジャック・オ・ランタン……。天国にも地獄にも弾かれ、現世を彷徨いつづける愚者。エクソシストの娘よ。お前はおれの彷徨を終わらせられるか?」
「お姉。こっちはわたしがやる」
「オッケー。あたしは変態の方のジャックね」

 お姉はソウル・ドスを生成し、れろぉ……と舐めた。ジャック・ザ・リッパーが跳びかかった。

「キヒャアーッ! 貴女の血で明日のアフタヌーンティーと洒落込んでやりますよォーッ!」
「やってみろやブリカスがァァァッ!」

 交錯する金属音。それを背に残し、わたしは歩きだす。

 二丁の銃による間断なき前進射撃。しかしジャック・オ・ランタンは次々とカボチャ爆弾を投げつけ、射線をさえぎってくる。至近距離で爆発すれば致命傷となる威力なだけに、わたしはそれらを撃たざるを得ない。しかし撃ち落とすほどに鬼火がまき散らされ、障壁となってしまう。

「さっさと近付くしかないか」

 わたしは膝を折り、身を低くした。
 水面を切って翔ぶツバメのように、炎のなかへ突っ込んでいく。

 鬼火が、頭上で爆発したカボチャが、シスター服もわたしの肌も焼き焦がす。痛みと恐れを、エクソシストとしての闘争本能が塗りつぶす。

 炎を越えた。最後の加速。
 わたしは腕を振り上げ、カボチャ頭の下から二丁の銃を突きつけた。

「ああ。これで永き彷徨も終わりか。それとも虚無を彷徨うか?」
「さあね。祈ってあげる」

 撃った。カボチャ頭は弾け飛び、溢れた鬼火が襤褸のコートを焼き尽くした。
 穏やかな火だった。
 わたしは銃で十字を切った。

「いたた……いっぱい火傷しちゃった。聖水で治せるかな……ん?」

 ふと、わたしは上をみる。廃ビルの窓で、何かが光った気がしたのだ。
 しかし気配は特にない。鬼火の光が反射したのだろうか。

「そっちも終わったかい、妹よ」

 振り返る。アスファルトの火が消えていく中、お姉がジャック・ザ・リッパーの生首を片手に歩いてきていた。レオタードはズタズタにされ、あられもない姿をさらしている。

「いやあ、強敵だったわ。でもこいつ、あたしの肉を切るたびに絶頂しててさあ。触ってもいないのに吸精ドレインして回復できちゃって、なんかゴメンねって感じ」

 なるほど。殺人鬼にも天敵っているもんだ。



 十月十六日。小学校の校庭。

 クッパのコスプレをした獅子舞がいる。と思ったら、正体は魔竜タラスクだった。

「グワッハッハ! サキュバスとエクソシストが何の用じゃ! 儂はこれから『人の子、獲ったどー!』ってして、この子らを焼いて喰うんじゃ! 邪魔をするでない!」

 タラスクは宙に炎を吐いた。奥で縛られている子供たちが、「きゃー!」と悲鳴をあげた。みんな布切れおばけとか妖精とかマリオとかの格好をしている。タラスクをクッパだと思ってついてきちゃったのかな。

「獲ったどーって、古くない? 流行遅れにも程があるわよ」
「二千年前のヒトだから」

 そんなわけで戦い始めたのだけれど、これが意外と苦労した。こっちの攻撃をことごとく甲羅にこもって弾いてしまうのだ。その隙に子供たちを助けようとしても、にゅっと首を出して火を吐くし。

「んがーっ面倒くさい! ちょっとミナ、弱点とかないのぉ!?」
「伝説だと、聖女マルタ様が聖水を浴びせたら大人しくなったらしいけど」

 わたしは歯噛みした。ふだんならミネラルウォーターで自作した聖水を持ち歩いているのだけれど、作り置きしたはずのそれが、今夜は冷蔵庫に入っていなかったのだ。お姉は魔族だから聖水を飲むことはできない。わたしの記憶違いか、飲みかけを素材にしたからバチが当たったのかな……。

「聖水ねぇ。見習い聖女ちゃん、おしっこ近かったりしない?」
「……新しいの作ってくる」

 お姉にその場を任せ、わたしは全速で最寄りのコンビニに走った。
 いつもは海外ブランドのヴィッテルで作るんだけど、コンビニにあるわけないのでサントリーの南アルプス天然水にする。ついでに子供たち用にお菓子も買う。駐車場で十字を切ったりなんだりしてペットボトルを祝福。ここまで十五分はかかってしまった。わたしはさらに全速力で学校へ戻った。

「ハァー、ハァー……お姉、お待た……あれ?」

 戦いは終わっていた。タラスクがひっくり返って伸びている。
 ぽかんとするわたしをよそに、子供たちは安堵に泣き叫んでお姉に抱きついている。お姉は舌なめずりをした。

「あぁ~、子供ってかわいい~……。吸いてェ~……」
「お姉、どうやって……」

 わたしはそこで言葉を切った。聞かない方がいい気がする。



 十月二十三日。河川敷。

 ベンチがたくさん並んでいるその場所は、バブルの頃からカップルの聖地として有名だったらしい。少なくなったとはいえ、そういう意味では未だに現役の場所だ。ここを通りかかったら、全員色欲の罪で堕ちちまえと呪詛を吐きかけるのが作法である。

 この夜も多くの若者で賑わっていた。ただ、男女比がいつもとちがう。男が100くらいに対して女が1なのだ。
 その1の側、しおれた三角帽をかぶった魔女ラヴ・クラフターは、人垣に埋もれた状態で卑屈に笑った。

「ふ、ふひ、ふひひ……ど、どうよ、エクソシストちゃん。この男たちは、あた、あたしの媚薬入りキャンディーで支配した、つつ罪のない一般人よ。あんたら聖職者には、手、手ぇ出せないでしょ……?」

 ラヴ・クラフターは混乱状態のアニメキャラみたいなグルグル目だ。服装は野暮ったいよれよれのワンピースで、布地がすごい伸びてるなと思ったら、びっくりするほどの巨乳のせいだった。たぶん尻もでかいんだろうな。

「あ、あた、あたしはね。何百年も前、女の子の恋を叶える魔女として、たくさん媚薬をつ、つくってたの。な、なのに、どいつもこっ、こいつも、あたしへの感謝を忘れて、あげく火あぶりにしやがって。ム、ムカついたから、この街の男をぜんぶ、寝取ってやることに、したわ。邪魔をす、するなら、ひどいこと……するわよ」

 うーん。なんか倒す気が失せてきた。教会の指示だから見逃すわけにもいかないんだけど。

「街の男ぜんぶ? 見上げた根性してんじゃない。でもダメね。媚薬に頼ってるうちは、まだまだ二流よ」
「ひっ!? だ、だだだ、だれ!?」

 ラヴ・クラフターが驚き跳ねる。
 わたしはぬるりと銃を撃ち、街灯を捻じ曲げ、スポットライトめいてベンチを照らしだした。お姉が足を組んで座っているベンチを。

「強すぎる媚薬は愛を歪ませるわ。あたしらサキュバスは自然派よ。全身全霊で磨いた己のエロさで勝負するの。こんな風にね」

 お姉は唇に指をあてる。そのままつつ、と、喉仏、鎖骨、胸の谷間へと下ろしていき、レオタードにひっかける。乳房を申し訳程度に隠していた布地が少しずつズレていく。

「えっ……えっ、えっ? そそ、そんな、それ以上さげたら、み、みえ」

 ラヴ・クラフターは顔を真っ赤にしている。ゾンビじみた男たちの視線が、お姉に引き寄せられていく。
 お姉はなおも止まらない。組んでいた足をほどき、M字形に広げ、エグい喰い込みを見せつける。さらに悩ましげな息を吐きながら、もう片方の手の指をそこに這わせ、なぞり、布地に……。ああダメだ。これ以上はわたしが鼻血だしちゃう。

「ひゃあ! ちょ、ちょちょちょちょっと、そそそれ以上は、やッ……やッ、やばっ、やばいッ、て!」
「ふうん。これだけやっても支配が解けないなんて。あんたの魅力も相当みたいねぇ」
「え、え? あた、あたしの……?」

 ラヴ・クラフターは戸惑っている。男どもは媚薬とお姉の誘惑とに挟まれ、支配が揺らいでいる。今なら大丈夫だろう。
 わたしは人垣のなかへ入った。特に抵抗を受けることもなく、するりするりと人垣を泳いでいく。一人くらいわたしに向くやつはいないのか? いいんだけどさ。

「ひ……ひいッ!? こここここ、こっち来てるぅ!?」

 ラヴ・クラフターがわたしに気付いた。逃げようとしているけど、もたついているみたいだ。引っかかる部分が多いからか?
 わたしは腕を持ち上げ、銃口を向ける。

「びゃあああああああ!? ご、ごめ、ごめんなざいぃ! ゆるじでええええッ!?」

 濁った叫び声をあげて、魔女は箒にまたがって空を飛んだ。もう遅い。射程距離内だ。
 わたしは空中に向けて撃った。ラヴ・クラフターは「ぴぎゃッ」と声をあげ、ドボンと川に落下した。死体は確認しなくていいだろう。わたしは脱力し、腕を下ろす……。

 その時だ。いきなり後ろから誰かが覆い被さってきた。

「わあッ!?」

 わたしは慌てて引き剝がし、振り返る。
 支配を解かれた男たちはきょとんと辺りを見まわし、あるいはお姉のストリップに見入っている。わたしの方を向いている人は、少なくとも近くには見当たらない。人垣に紛れたのだろうか。
 鳥肌が治まらず、わたしは肩を抱いた。



 十月二十九日。

 いつもと同じように、お姉と夜の見回りをしていたはずだった。なのにいつの間にか、わたしは自室のベッドで横になっていた。

「あれ。ここは……」
「おう、お目覚めかい」

 お姉がわたしの椅子に腰かけてポテチを食べている。

「もう平気? あんた見回り中にぶっ倒れちゃったからさ。ひとまず連れ帰ってきてあげたわよ」
「ああ、そうだった」

 今夜のことを思い出し、にへらと頬が緩む。なんとあのドラキュラ伯爵に拝謁することが叶ったのだ。映画でゲイリー・オールドマンが演じた通りのイケオジだった。天の国に召されるかと思った。
 しかも、しかもだ。ただ現世に観光にきてただけとのことだったので、にこやかに別れようとしたら、わたしの手の甲にキスをしてくれたのだ。そこから記憶がない。

「よかったわねぇ。憧れの人に会えてさ」
「うん。わたし、もう二度と手洗えないかも」
「そりゃ大変。このご時世なのに」

 お姉はポテチの袋を差し出す。ピザポテトだ。わたしはキスされてない方の手で二枚つまんだ。

「そうそう、あんたが寝てる間に家の掃除しといたよ。お風呂からトイレまで隅々ね」
「ホント? わたしがやるからいいのに」
「あんたは仕事が雑なのよ。目に見える範囲だけ綺麗にしとけばいいって思ってるでしょ」

 返す言葉もない。さらに気付いたけど、わたしの部屋の中もスッキリしてる気がする。無断で家族に部屋を片付けられるなんて何年ぶりだろう。

「どうする、お姉。また出かける?」
「今夜はもういいんじゃない。魔族の気配も感じないし」

 たしかに、ここ数日は調子こいた魔族とは出くわさない。出会うのはドラキュラ伯爵のように紳士的な魔族か、魔族のコスプレをして調子こいてる人間どもくらいだ。こき方がひどい場合は人間でも軽~く懲らしめたりするけど、チュパカブラだの何だのと比べればいたって平和といえる。

「きっと、マナーのなってない連中はあたしらがだいたい片付けちゃったんだわね。十月も終わりだし、もう何も起こらないんじゃないかしら」
「そう、なのかな」

 ちくりと、胸が痛んだ。
 枕元のデジタル時計をみる。夜の十時。もう少しで十月三十日になる。
 つまり、お姉が現世にいられるのも、あと五十時間くらいしかないということ。いつもは待ち焦がれたはずの日が、今年は永遠に訪れなければいいのにと真逆のことを願ってしまう。

「あーあ。ずっとハロウィンだったらいいのにな」
「聖職者とは思えない発言」
「いいよ。どうせわたし、立派な聖職者になんてなれないし。正直なるつもりもない」
「何言ってんのよ。人を守るために覚悟決めて戦ってる人間が立派じゃないわけないでしょ。妹じゃなけりゃ吐き気を催してるとこよ」
「魔族だから?」
「魔族だから。つまりあんたは立派なエクソシストなの。胸を張りなさい」
「薄っぺらい胸だけどね」
「なんだ、今夜は卑屈ちゃんか?」

 そうかもしれない。さっきまで心に満ちていた熱が、どんどん冷えていくのを感じる。目も滲んできた。

「あらら。やっぱり泣き虫ちゃん?」
「へいき……平気だよ」

 わたしは手の甲で目尻をぬぐった。

「ホットミルクはもう必要ない。わたしも二十一だもん。いい加減、お姉離れしなくちゃね」
「その意気だぞ、わが妹よ」

 お姉はピザポテトの袋まるごと差し出した。
 わたしはそれを受け取って、ぼりぼりとつまみながら、ベッドを下りる。カーテンの閉まった窓に目がいった。ドラキュラ伯爵が「今宵は曇っていて残念ですな。月が見えない」と仰っていたのを思い出す。

「月、出たかな」

 立ち上がり、窓に向かおうとした。するとお姉が腕をつかんできた。

「開けない方がいいわよ」
「え、なんで?」
「夜の空気は冷たいもん。寒がりちゃんにはちときついんじゃない」
「そうかな。出歩いてる時も別に寒くなかったけど」
「そもそも月は出てないよ。あたし魔族だからわかるの、そういうの。開けても無駄だって」
「ふうん」

 なんか怪しい感じがするけど、ひとまず言うとおりにした。
 お姉が椅子から立ち上がる。

「さあて、今夜はビデオナイトといきますか。あたし兵糧買い込んでくっからさ、その間に何観るか決めといて」
「わかった。傾向のリクエストは?」
「下品で笑えるヤツ」

 そう言って、お姉は部屋を出ていった。
 聖職者にするリクエストじゃないな、と思いつつ、わたしは脳内で検索をかける。『最終絶叫計画』とか懐かしくて喜びそうだ。

 ふと、再びカーテンに目をとめた。
 耳を澄ます。玄関のドアが開いて、閉まった音。

 わたしはカーテンを開けた。
 少し離れたところにある十二階建てマンションのシルエット。この時間でもぽつぽつと灯りがついている。目線を上に滑らせると、ちょうど屋上あたりに、バナナみたいな三日月が浮かんでいた。



 十月三十日。

 とても楽しい夜だった。道行く人々のほとんどがお姉に注目し、何度も写真を求められた。お姉は快くそれに応えた。何匹か魔族ともすれ違ったけれど、特に何をするでもなく、素直にハロウィンを楽しんでいるようだった。

 平和な夜だった。教会からの指令がスマホを震わせるまでは。

 わたしはその指令を無視した。



 十月三十一日。ハロウィン当日。

 一ヶ月もやってるとはいえ、ハロウィンがいちばん盛り上がるのはやはり当日だ。しがない地方都市にすぎないこの街の大通りに、いつもの1.3倍くらいの人が押し寄せてきている。密にはなっていない。ハロウィン期間を拡大した市の政策は、ひとまず成功といって良さそうだった。

 街は明るく、活気に満ちていた。コツコツ通りという名の商店街の看板には骨の装飾が施され、カボチャのランプがあちこちで温かみのある光を灯している。お姉とわたしはこれまでと同じく二人で出歩き、いろいろな人に声をかけられた。

 女子高生。コスプレイヤー。ネットメディア。子供たち。警察。道に迷った魔族。下心まるだしのナンパ野郎。お姉はいつもの調子で対応していたけれど、わたしは無理だった。ナンパ野郎にはムカつきのあまり銃を持ち出そうとして、お姉に止められてしまった。

「どうしたのよ。今日は機嫌悪いちゃん?」

 ナンパを撒き、雑踏に溶け込みながら、お姉は言った。

「……ごめん。せっかくのハロウィンなのにね」
「まあ、あたしらはこの一ヶ月で十分に楽しんだからね。さっさと切り上げちゃうか。終電は混むしな」

 この場合の終電は、地獄の門のことだ。上級魔族は自力で門を開くことができるけど、下級魔族は特定の数ヵ所に開かれる公共門を通るしかない。その門は十一月一日の午前二時に閉められてしまう。
 スマホを見る。まだ、午後の九時。



 わたしたちは目的地へ向かい、ただ歩き続けた。
 今年の門が開く場所は、街外れの廃工場。ハロウィンの喧噪はもはや遠く、月明かりも薄い夜の工場は、不気味なほどに静かだった。

 わたしは言葉もなく、パンプスを履いたお姉の踵が上下するのをただ眺める。
 お互いの足音だけが響いている。

 沈黙が息苦しい。
 お姉と一緒にいるのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。

 胸の中を、無数の小蠅が飛びまわっている感じがする。早く言え、言ってしまえとわたしを責め立て、そのくせ耳障りな羽音で言葉をかき消してしまう。
 それを言い訳に、わたしは口を噤みつづける。

 ああ、ハロウィンよ。どうせ終わるなら、このまま静かに終わってください。
 心の底からそう願った。

 お姉が足を止めた。

「ミナ。あんた、あたしに言わなきゃいけないことがあるんじゃないの」

 不純な祈りは、他ならなぬお姉の手によって断ち切られた。
 
 わたしは長く息を吐く。
 窄まろうとする喉をこじ開け、ぼそぼそと言葉を紡ぐ。

「……昨日、教会から指令がきたの。『この街で若い男性が殺された。魔族の仕業と思われる。至急調査し、討伐せよ』って」
「……」

 お姉が振り返る。わたしはスマホを掲げ、画面をみせた。

 そこには被害者の姿が映っている。あるマンションの一室、下半身を露出した状態で、干からびたミイラとなっている男性の姿が。

「被害者に外傷なし。ただし情交の跡あり。これって、サキュバスの手口だよね」
「……」
「現場は家のすぐ近くだったよ。わたしの部屋の窓から見えるあのマンションの四階。死亡推定時刻は三十日の未明前後。わたしたちが『最終絶叫計画』観てた頃か……その直前」

 あの時、お姉は兵糧を買い込むと言って近所のコンビニに出かけた。思えば、いつもより十分くらい余計に時間がかかっていたように思う。一時間でヤクザ百人斬りを成し遂げたお姉なら、パッと行って搾り殺せるくらいの時間だ。

 だからどうしたっていうんだろう?

 直接的な証拠は何もない。たった一言、「あたしじゃない」とお姉が言ってくれれば、わたしはそれを信じる。そう決めている。そうに決まっている。

 わたしは訊いた。

「お姉が、やったの?」

 お姉は答えた。

「そうだよ。あたしがヤった」


「だって、あたしサキュバスだよ。ソフトクリームだのサキイカだのピザポテトだの、おいしくても魂は満たされないわ。やっぱり男の精気を吸わないとね」

 お姉は何でもないことのように言う。サキュバス特有の青い肌が、これほど異質にみえたことはない。

「我ながら一ヶ月もよく我慢したと思うわ。いや……我慢してないか。あのデカパイ魔女の時、集まった男どもからちょびっとずつ吸ってたわ。何年か寿命縮めちゃったわね。どうせこうなるなら、いっそ吸い尽くしちゃえばよかったなぁ」
「……本気で、言ってるの?」声が震えていた。「ヤクザ相手とは、わけが違うんだよ」
「そうね。全然違ったわ。おととい吸ったやつ、なよなよした優男くんだったし、そのうえ直前にシコってたみたいでさぁ。グラスの底で氷に溶けたカルピス程度しか吸えてないのよ。全然もの足りない。もっともっと、めちゃくちゃに吸いたい気分だわ」

 お姉はまっすぐにわたしを見る。
 魔族特有の、酷薄な闇のような瞳。人とは違う生き物の眼光。

「……で? 言うべきことってそれでおしまい? もっと頑張れるでしょ。ねぇ、エクソシストちゃん」
「……」

 童貞をからかうような物言いだ。どうやら試されているらしい。

 ナメんなよ、サキュバス。こっちは昨日からずっと悩み続けてきたんだ。答えなんてとっくに出てる。神父さまが、お姉ちゃんと呼んでくれたあの少女が、そうしろと言っている。

 わたしはスマホを投げ捨て、両腕を伸ばした。手のなかに二丁の銃が飛び出す。グロック神聖ホーリーカスタム。魔族を滅ぼすための武器。

「人に害なす魔族ども。神の名においてみな死すべし」

 サキュバスは舌の先で唇を舐め、ソウル・ドスを生成し、二刀で構えた。

「よくできました。あたしいっぺん聖職者をヨガらせてみたかったのよね」



 わたしは二丁の銃で撃った。サキュバスのドスが閃いた。弾丸は届かず、二発とも断ち切られて地面に落ちた。

 わたしは移動しながら撃つ。サキュバスもそれに合わせて動きながら、最小限の動きで弾丸を躱す。そしてある瞬間、残像をともなう速さで、わたしの眼前まで一気に距離を詰めてきた。

 サキュバスがドスを振り回した。わたしは二丁の銃を盾にしてそれを弾く。金属音が鳴る。嵐のように襲いくる斬撃を、嵐のように銃で受けた。火花が無数に散った。

「アハハ! 楽しいわね! あたしら喧嘩したことなかったもんね!」

 楽しい? これが? ふざけないでよ。

 二刀の斬撃を、銃身ではなく銃口でそれぞれ受けた。そして引き金をひいた。ゼロ距離で放たれた弾丸が、ソウル・ドスの刀身を砕いた。
 わたしはそのまま銃口をサキュバスに向けた。

「甘いぜぇ、甘ちゃん!」

 サキュバスが回転した、と思うと、強烈な蹴りがわたしの側面を打った。わたしは十数メートルも吹っ飛ばされた。

 錆びたドアを砕き、倉庫の中へ。
 たくさんのコンテナが積まれている。

 わたしは空中で姿勢を整え、ブーツで床を滑りながら、スカートの中から秘密兵器をばら撒いた。大量のロザリオだ。
 追撃をかけようと突っ込んできたサキュバスが、そのひとつを踏んだ。

「いッッッだああああッ!? 何、これ、画鋲!?」

 そんな甘いものじゃない。釘だ。踏んづけると、足の甲を貫くくらいの釘を伸ばす聖痕スティグマ強制器具。イエス様と同じ痛みを味わえ。
 わたしは撃った。サキュバスはけんけん移動でコンテナの陰に逃れた。

「くっそー。この陰湿エクソシストめ! 人道に悖るぞ!」
「魔族相手だからいいんだよ」

 ああ、いつもの調子で返事しちゃった。もっと殺る気を引き締めなきゃ。
 コンテナの反対側から、クリアリングしつつ角を曲がる。サキュバスの姿は見当たらない。どこかに隠れたみたいだ。息を止め、周囲の気配を探る……。

 ヒュン。横から何か飛んできた。わたしは振り向き、撃った。赤錆びたスパナだった。床に落ち、ざらついた金属音が反響した。

 直感した。これは囮だ。
 背後、息がかかりそうなほどの距離に気配を感じる。

 わたしは正面に向けて銃を撃ち、その反動で肘打ちを繰り出した。

 手応えはなかった。首をひねって映した視界の隅、ブリッジ姿勢をとるサキュバスの姿がちらと見えた。サキュバスは床に手をついたまま両足を持ち上げ、わたしの胴を挟みこんだ。

「どっせえーいッ!」

 サキュバスはバック転する要領で動き、わたしを放り投げた。わたしは背中からコンテナに叩きつけられ、床に落ちた。

「くっ……うぅ」

 歯を食いしばり、意識を強いる。
 サキュバスが近付いてくる。
 わたしは視界に散る星々を一秒で追い払い、立ち上がって、スカートの中から一本のペットボトルを床に転がし、高く蹴り上げた。
 銃で撃つ。
 破裂したペットボトルから溢れた液体が、サキュバスに降り注ぐ。

「あっつァ!? 聖水かァ!?」

 サキュバスが怯んだ。
 わたしは照準を合わせ、引き金をひこうとした。そこで弾が残っていないことに気付いた。舌打ちし、銃を放り捨て、突進した。
 走りながら、右の踵を六十度に傾けて床を叩く。ブーツの爪先に仕込んだナイフが飛び出る。サキュバスの顎めがけて蹴り上げる。

「うおっと!?」サキュバスは背を逸らして躱す。

 もう片方の足からもナイフを出し、回し蹴りで首を狙う。サキュバスは後ろに退く。
 わたしは舞うようにして連続回し蹴りを繰り出す。その流れの中で両腕を伸ばし、予備の銃を取り出した。
 正面に構える。引き金をひく──その直前、サキュバスに両手首を掴まれた。銃弾は逸れ、床を穿った。

「だから甘ちゃんだってぇの……よッ!」

 サキュバスの足払い。わたしは宙をくるりと回り、仰向けに床に倒された。まずい、と思った瞬間、サキュバスは素早くわたしの腰に跨り、両手を抑えつけてきた。

「馬乗りいただき。あたしの勝ちね」

 サキュバスは淫靡に目を細めた。
 二つの巨大な乳房がわたしの眼前で揺れている。
 それを見たら、どうしてだろう、なんか、凄く、頭にきた。
 わたしは腹筋と背筋にありったけの力を込め、腰を跳ね上げた。

「あんッ?」

 サキュバスがわずかに揺れる。乳房も揺れる。わたしは怒りのままに跳ね続けた。

「わたしのっ、体がっ、薄いのはっ」
「あんッ、あッ、いいッ」
「こうやってっ、必死にっ、体脂肪っ」
「んふッ。ちょ、すごい突き上、げッ」
「絞ってるっ、からだっつう、のっ!」
「あひィんッ!」

 サキュバスが浮いた。わたしは体を横にして、一瞬の隙間にねじこんだ。そのままサキュバスとともにゴロゴロと転がっていく。コンテナにぶつかって止まった時、今度はわたしがマウントをとっていた。
 銃は放してしまっていた。わたしは拳を握り、左右から顔面を殴りつけた。何度も、何度も。

「ぶげっ! ぐえっ! ちょ、顔はナシ、ナシ!」
「ばか! ばか! お姉のばか!」

 なんか視界がかすんできた。二回も背中打ったからだ。
 ジャラリ、と音がした。サキュバスの左手が、長い鎖を掴んで、引っ張っていた。積み上げられたコンテナが崩れ落ちてくる。わたしは止むを得ずマウントを解いて回避。耳障りな轟音が倉庫内に反響し、聴覚を塗りつぶした。
 周囲を警戒する。埃が舞っていてよく見えない。サキュバスはどうなったろう。コンテナに潰されただろうか?

「いい責めだったわよ、聖職者ちゃん」
「!」

 うなじに寒気。
 振り返ろうとするわたしの体を、サキュバスが後ろから四肢を絡め、拘束した。まるで蛇が巻きつくかのように。

「しまっ……」
「お返し」

 かぷり。サキュバスがわたしの耳を噛んだ。「ひゃうっ」と、自分でも信じられないくらい高い声が出てしまった。

「んふ。いい声ね。もっと鳴いてちょうだい」

 サキュバスは修道服を裂き、わたしの肩をはだけさせた。
 首から肩にかけ、ゆっくりと、それでいて激しく、口付けを繰りかえす。濡れた舌と唇がわたしの肌をなぞる。柔らかな牙が神経に突き立つたび、女王蜂のような痛覚に貫かれ、わたしの胸は跳ねた。

「んっ……んん、ぐっ……ぅ……」
「飛んじゃいそうでしょう? あたしはサキュバスで、あんたは噛まれフェチだものね。吸いつくしてあげるわ」

 サキュバスは行為を続ける。唾液と吐息がわたしの膚を湿らす。脊椎から下腹へ、恐怖を覚えるほどの快感が熱を伴って降りてくる。単なるテクじゃない。サキュバスならではの魔力が、わたしの体躯から立つ力を奪っていく。
 スカートの上から腿を撫でられた。それだけで、膝が折れそうになった。このままじゃ本当に気絶してしまう。わたしは喘ぎ声を飲み下し、魔を退ける言葉を必死にひりだす。

「ひ……、『人は神の言葉によりて生きる』。『主を試みてはならない』。『主を拝み、主にのみ仕えよ』!」
「ッ!?」

 イエス様が悪魔サタンの誘惑を退けられた時の言葉。それは聖なる被膜となってわたしを覆い、いかずちの如く淫魔を弾いた。
 わたしはしなるように床に崩れた。目の前に銃があった。無意識の内にそれを拾い、振り返り、撃った。祝福されし9mmパラベラム弾が、サキュバスの脇腹を吹き飛ばした。

「うっ」
「あ」

 サキュバスはよろめき、コンテナに背をつけた。血がべっとりついた手のひらを見る。
 それからわたしを見て、微笑んだ。
 わたしは絶句し、ただそれを見返す。

 サキュバスは走った。ドアを開け、倉庫の外へ。

「待て……まって!」

 ふらつきそうになる足を無理やり立たせ、追った。
 外に出る。サキュバスは……お姉は血の跡を残しながら、廃工場のゲートに向かっている。
 わたしは追いかけた。

 ゲートを出て、木々に囲まれたアスファルトの道をひた走る。
 灯りのない夜道は、火照った体をよく冷やしてくれた。心臓を締め付けるくらいに。

 全身が痛い。
 冷たさのせいか。戦いの反動だろうか。それとも、痛がっているのは心なのか。

 もし、ここで足を止めたら、どうなるだろう?
 お姉は命に関わるほどの傷を負っている。それを癒すため、男の精気を必要とするはずだ。また誰かが犠牲になるかもしれない。
 それだけは止めなくちゃ。

 わたしは駆ける。アスファルトには血の痕が点々と続いている。
 わたしが流させた、お姉の血。

 街が近付いた。ぽつぽつと電灯があらわれる。
 その中のひとつに、人影が寄りかかって座っていた。
 お姉ではない。乱れたスーツ姿の男性だ。汗をかき、惚けたように宙を見上げている。

「大丈夫ですか!」

 わたしは声をかけた。男性はゆっくりとわたしを見上げた。

「ああ……ミナ……ちゃんか」
「どうして、わたしの名前……」

 言いかけて、気付く。この人は浦野さんだ。チュパカブラの夜、白塗りオールバックのドラキュラコスをしていたお姉の同級生。前髪が下りて、印象がまったく違うから気付かなかった。

「浦野さん。お姉に会ったんですか」
「ああ。『悪いわね』って、唇を貪られた。すげえテクだったよ。相変わらず……いや、昔以上だ」

 当時もそこまでは行ってたのか。いや、そんなことはどうでもいい。浦野さんは殺されずに済んだみたいだけれど、他の人はどうなるか、まだわからないのだ。

「ごめんなさい、浦野さん。わたしがきっちり責任をとらせます。エクソシストとして……いえ、妹としても」

 わたしは駆け出そうとした。

「待ってくれ。オレの話を聞いてくれ」

 浦野さんが手を伸ばした。憔悴しているけど、瞳には強い意志の光がある。

「オレ、君達を探してたんだ。それらしい二人組が廃工場の方へ行ったって聞いて、追いかけてきた。君に伝えなきゃいけないことがあると思ったから」
「わたしに?」
「あいつが殺したのは及川だ」

 及川。数秒の時間をかけて、わたしの脳は引っ張り出す。首からカメラをぶら下げたミイラ男の姿を。

「覚えてるか。オレの会社の後輩。でも、マリアがあいつを殺したのは私欲じゃない。君のためなんだよ」



 血の跡は、三階建ての廃ビルの中へと続いていた。
 わたしは割れたガラスドアから入っていく。砕けたコンクリートの破片を踏み、砂にする。

(及川のやつ、あの夜から様子がおかしかったんだ。心ここにあらずって感じでさ。そのうち職場にも来なくなっちまって。何度かあいつのマンションにも行ったけど、反応はなかった)

 階段をのぼる。血の跡は途中で消えていた。それでもわたしに迷いはなかった。こういう時、お姉は絶対にいちばん高いところに行くはずだ。

(心配だったから、管理人さんに事情を話して、部屋を開けてもらった。そうしたら……部屋中、ドン引きするくらい君の写真だらけだったんだ。すぐにわかった。あいつは抱いちゃいけないタイプの愛情を、君に向けてたんだって)

 思い出す。ジャック・オ・ランタンとの戦いの時に感じた気配。いつの間にか冷蔵庫から消えていた飲みかけのミネラルウォーター。ラヴ・クラフターとの戦いで、いきなり背後から抱きついてきた誰か。
 わたしは色恋だとかに興味がないし、自己評価も高い方じゃない。だから自分がそういう対象として見られることなんか、これっぽっちも想像していなかった。
 でも、お姉は違ったんだ。

(オレはさらに調べた。あいつが君たちの家の近くにわざわざ別のマンションを借りてたことがわかった。一昨日の夜、オレはそこに行った。そうしたら……あいつは既に死んでいて。マリアがノートパソコンを叩き壊してた。君の家を隠し撮りしたデータが、そこに入ってるって)

 あの日、わたしが気絶している間に、家を掃除したとお姉は言った。おそらくその時、盗撮されていることに気が付いたのだろう。
 わたしの部屋のカーテンを開けさせようとしなかったのも、視線を感じていたからだ。
 そしてそのまま、視線の主のもとへ向かった。

(マリアは何も誤魔化さなかった。ただひとつ、『ミナには秘密にして』とだけオレに願った。ストーカーされてたなんて知ったら気分を悪くするだろうからって。オレは同意した。でも、考えたんだ。もしエクソシストである君がこの事件を知ったら……君たち姉妹に、何が起こるのかって)

 わたしが問い詰めても、お姉は言い訳しなかった。もし、わたしが真実を知ったなら、きっとお姉を見逃していた。お姉はそれを望んでいなかった。魔族に味方したことを教会に知られたら、わたしの立場が危うくなる。わたしが「エクソシストを続ける」と言った時、お姉は本当に嬉しそうにしていた。だから自分がそれを阻んではいけないと……そう考えたのだろう。
 お姉は、宇宙一のお姉なのだから。

(ミナちゃん、まだ間に合う。マリアとしっかり向き合うんだ。オレは、君たち姉妹が殺し合うとこなんか、見たくねえんだよ……)

 階段をのぼりきった。
 わたしは屋上のドアを開けた。

 風が出迎えた。ひしゃげたフェンスの傍に、お姉が立っていた。

「くるのが早いなあ。まだ治りきってないのに」
「ここから飛んで逃げるつもりだったんでしょ。そうはいかないよ」

 お姉は観念したふうに薄く笑い、頭を振った。

「浦野っちには、会った?」
「うん。ぜんぶ聞いた」
「あんにゃろめ。昔っから口が軽いんだから」

 お姉はフェンスに背中を預け、天を仰いだ。

 わたしは、言葉に迷っていた。ごめんなさいって謝るべきだと思ったし、事情はちゃんと教えてよって怒るべきだと思った。人を殺すのはやっぱりダメだよって言うべきだと思ったし、いつもいつもわたしのためにありがとうって言うべきだと思った。
 色々な思いがいっぺんに湧き出て、どれも決められなかった。

 もういいや。思いついた端から口に出していこう。姉妹喧嘩って、たぶんそういうものだ。


 そう思った時だった。
 あいつはいつも、わたしたち姉妹を引き裂くために、地獄からやってくる。


『マリアよ。吾輩は怒り心頭である』

 夜に響く、どっしりと貫録のある低い声。
 お姉がフェンスから背を放した。ほぼ同時、フェンスの向こう側に、巨大な二本の触手がそそり立った。五年前のあの日と同じ触手が。

 お姉にサキュバスの力を与えた上級魔族。地獄の女衒、男爵

 触手がしなり、フェンスを上から超えてきた。そしてお姉の両腕を拘束した。お姉はもがいた。

「ちょっと! 何すんのよ、セクハラ上司!」
『吾輩のもとに苦情が殺到しておるのだ。貴様と思しき淫魔が、祓魔士と組んで魔族を殺しているとな。聖職者に与することは大罪である。よって就業規則四十九条に基づき貴様を処断し、その様をアップロードすることで謝罪動画とする』

 触手が引っ張る。お姉がフェンスに叩きつけられる。触手は物凄い力でべきべきとフェンスを引き倒して、そのままお姉ごとビルの下方へ消えていった。あっという間だった。

「お姉ッ!!」

 わたしは慌てて駆け寄った。こじ開けられたビルの縁から下を覗き込んだ。
 地面に黒い渦が巻いている。地獄の門だ。触手も、お姉の姿もなかった。すでに地獄に引きずり込まれたらしい。

「お姉……お姉……!」

 せっかく整理した心の中が、ひっくり返されたようにグチャグチャだった。
 どうしよう。まただ。またお姉が地獄にさらわれてしまった。しかも今度はお姉の意志じゃない。男爵は処断すると言った。理性的に思えても奴は魔族だ。本当に殺されてしまう。わたしの仕事を手伝ったせいで!

 いやだ。いやだ! グチャグチャになった頭の中で、その声だけは確かだった。
 わたしはまだ、お姉に何も返せていないんだ!

 考えろ。五年前のわたしとは違う。
 お姉は立派だって褒めてくれた。きっとそれは、わたしが自分自身の意志で生き方を決められるようになっていたからだ。
 だから、自分で考えて、自分で決めるんだ。



 ──無理だ、娘よ。生者と聖者に地獄の門をくぐることは叶わぬ。

 ──覚悟があるならば、自分の手で拾え。

 ──ありがとう、おねえちゃん。



 わたしは決断する。

「神様。神父様。ごめんなさい。赦しはいりません」

 振り返る。ビルの縁ぎりぎりを背にして立つ。

 首にかけていたロザリオを引きちぎり、捨てる。

 そして呼吸をひとつして、


 顎の下に、銃を押しつけた。


「これでわたしも地獄行きだ!!」

 わたしは自分の頭を撃ち抜いた。




 落ちる。
 堕ちる。
 わたしの死体が墜ちていく。
 人としての命が消えゆく中、その感覚だけがある。

 周囲には、この世の悪徳の全てを混ぜたような赤黒い血の奔流が荒れ狂っている。
 地獄の門の中だ。
 鼓膜が潰れそうな轟音の中から、いくつもの不快な囁き声が聞こえた。
 英語だかイタリア語だか、よくわからないけれど、たぶんアレだ。「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」。

 うっさいな。わたしはお姉を必ず助ける。これは希望じゃない。

 わたしは奔流に手を伸ばし、血を引き寄せた。
 地獄の血の生命力は、撃ち抜いた顎の下の傷をふさいでくれた。さらに修道服も赤黒く染め直した。

 どうやらわたし、吸血鬼になったみたいだ。
 ドラキュラ伯爵がキスしてくれたお陰かな。

 うなじがひりつく。出口の気配。
 わたしは堕ちながら振り返る。

 赤みがかった闇の大地。遺跡のような場所がみえる。
 真下には、お姉の姿。四本の長い触手に四肢を拘束され、高く掲げられている。さらにカメラを構えたもう一本が、その様を撮影していた。

 わたしは両手を伸ばし、いつものように二丁の銃を握った。
 銃も生まれ変わっていた。銀色だった装飾が赤黒い。グロック地獄ヘルカスタムといったところか。

 引き金をひく。
 ダダダン、ダダダンと、血染めの三点バースト射撃が二本の触手に突き刺さり、穴を開けた。

「ぬうッ!? 何事……ッ!?」

 男爵が呻く。
 わたしは残りの二本とカメラにも撃った。触手が四本とも千切れ、お姉は解放された。

 わたしは膝を折って着地。立ち上がる。まっすぐ前をみる。

 数十メートルは離れた場所で、黒いローブを着たタコ怪人がわなわな震えていた。異様に長い触手に対して本体は小さく見えるけど、三メートルは超える長身だ。これが男爵の本体か。

 男爵は真っ赤な頭に埋め込まれた黒い瞳で、わたしを睨みつけた。

「地獄に堕ちてまで何用だ、祓魔士よ! 配信中の凸はマナー違反であるぞ!」
「知らないよ。お姉を害するもの、わたしの名においてみんな死ね」

 わたしは銃を男爵に向けた。ダダダン、ダダダン。両目を貫くはずだった血染めの弾丸は、触手にガードされた。

「不届き者め! 部外者だが、地獄安衛法第十三条の事由に該当すると判断! 吾輩が直々に処断してくれようぞーッ!!」

 千切ったはずの触手が、一斉にずるりと再生した。男爵は七本の触手を凄まじい速度で振るった。

 わたしは前進しつつ、向かってくる触手のうち二本を撃つ。魔族となったわたしの眼は触手の弱い部分を正確に見抜き、地獄の血がみなぎる両腕は三点バーストの反動に耐えて狙いを正確に撃ち抜く。触手がまた千切れる。撃ち抜けなかった触手は舞うように躱し、すれ違いざまにブーツの仕込みナイフで断ち切る。

 なんか皮肉だ。魔族を殺すために磨いた技が、魔族となったことでより研ぎ澄まされている。身も心も、今こそが最高のコンディションだと歓び叫んでいる。わたしは銃も足も止めることなく前進し続けた。

 男爵の触手は撃っても切っても次から次へ再生し、まるで無限だ。でもわたしの銃も、わたし自身の血を弾丸に変えて撃っている。つまり死ぬまで無限だ。だから負けない。

 撃つ。舞う。切る。撃つ。舞う。切る。ひたすら繰り返す。やがて不純物が混じった。撃ち千切った触手から散った粘液が、わたしの目に入ったのだ。

「う……ッ」
「貰ったぞ!」

 すかさず触手が襲い来た。わたしは直感で躱そうとしたけれど、まず右腕に、次に左腕、胴体と、触手に絡めとられてしまった。

「このまま圧殺してくれる!」

 ぎゅう、と、締め付けられる。骨が軋む。

 わたしは動けない。
 そして、動じてもいなかった。
 こんな時、必ず来てくれるって、確信していたから。

「うちの妹にィィィ! 何してくれとんじゃこのボゲェェェッ!!」

 お姉の絶叫が、わたしを飛び越えていった。

 猛禽のように飛ぶサキュバスの手には、ドスではなく、紫色の刀が握られていた。ソウル・日本刀ポントウだ。

 紫の軌跡が縦横無尽に閃いた。わたしを拘束していた触手はすべて斬り落とされた。

 わたしはお姉と並び立つ。わたしは銃を。お姉はポントウを構える。

「お姉。二人であいつヤっちゃおうよ」
「そうね。ヤっちまおう。二人でね!」

 わたしたちは駆け出した。行く手を阻む触手を撃ち、斬り伏せながら、ただ前に向かって突き進む!

「ぬううーッ! 理法の通じぬ野蛮姉妹め! かくなる上はッ!」

 男爵から紫色のオーラがほとばしった。お姉のそれとよく似ているけど、もっと濃密なエネルギーだ。それは男爵自身の体を作り変え、さらに大量の触手をローブの下から湧き出させた!

触手八倍拳である! 五十六本の我が拳で、姉妹ともども塵と化すがよいわーッ!」

 さっきの八倍もの量の触手が向かってきた。

 知ったこっちゃない。わたしたちはひたすら進んだ。撃って撃って撃って撃って、斬って斬って斬って斬って、ただただ道をこじ開けた。無数の肉片が、粘液が、わたしたちに降りそそいだ。青色の血も降ってきた。グロック地獄ヘルカスタムはそれを吸い、弾丸にして撃ち返した。わたしはハチャメチャに笑いたくなった。全能感の、さらに向こう側の感覚が、わたしに満ちていた。

 わたしは叫んだ。

「お姉、行ってッ!」
「あいよォ!」

 お姉は跳んだ。放たれた矢のように。
 男爵の触手が追いかける。わたしは全ての弾丸を、お姉を守るために撃ち尽くした。血染めの三点バースト射撃は触手を貫き、その奥の触手も貫き、その奥の触手も貫いた。一撃三殺。その乱射。五十六本、皆殺し!

「捕まえたァ!」
「ぬうッ!?」

 お姉はついに男爵の本体に跳びかかり、押し倒した。
 サキュバスの馬乗りだ。

「知ってるわよぉ。タコの触手って一本だけナニになってて、あんた服の下にソレ仕舞ってんのよね」
「き……貴様……」
「八倍ってことは、ナニも八倍よね。ってことは八倍吸えるわね? んふふ、素敵」
「や、やめ」

 やめるはずがなかった。お姉は鮮やかにローブを脱がせると、せっせとおッ始めた。男爵の嬌声と、グチュグチュとした水音があたりに響いた。

「わーお。触手怪人陵辱……」

 わたしは五年ぶりのお姉の艶姿をしっかりと見つめ、目に焼きつけた。
 うっとりしちゃうくらい、素敵だ。






 コトが済み、べとべとになったお姉が立ち上がる。男爵は陸揚げされたみたいにピクピクしている。

「あー、スッキリした。さすがサキュバスの元締め、ずいぶん溜め込んでたわね」
「おの、れ……何たる屈辱……いっそ殺せ……」
「殺さないわ。あんたには一応感謝してるのよ。復讐に手を貸してくれたんだもの。だからこれくらいで済ませてあげたいの」

 お姉は振り返り、許可を求めるようにわたしをみた。
 わたしは肩をすくめた。お姉が無事なら何でもいいや。

「ぬうう……よかろう。吾輩は契約を重んじるが、地獄では力こそが至上である。自由にするがよい……」
「今までお世話になりました。退職届、あとでちゃんと出すからね」

 わたしたちはその場を後にした。

 遺跡は小高い丘に建っていたようだ。わたしは地獄の大地を見回した。乾いた血のような砂、枯れた木々。空には闇と雷鳴。黒い暴風が吹き荒れて、かすかに混じった亡霊たちの嘆きを運んでくる。

「すっごい所だね。地獄って」
「当たり前でしょ。あんた、本当によかったの? 後悔してももう遅いのよ」
「後悔なんてしないよ」

 わたしは首を振った。

「お姉はずっとわたしを守ってくれた。だからわたしもお姉を守りたかった。そのためにやれることをやった。それだけだよ。後悔なんて、するわけない」
「うーん……」

 お姉は困ったように眉をさげた。
 ずいぶん長く、その顔をしていた。わたしはだんだん不安になった。それでも最後には、いつものように、パッと笑ってくれた。

「ま、ミナが自分で選んだことなら、姉として大事にしないとね。なっちゃったからには、魔族の先輩として、いろいろ教授してやろう」
「お願いね」

 わたしも笑った。
 そして言うべきことを言った。

「お姉、さっきはごめんなさい。わたしのためにしてくれたことなのに」
「ああ。うん」

 お姉はポリポリと頬をかく。

「あたしもごめん。あの、及川くんだっけ。本当は殺すつもりなかったんだけどさ。でもなんか、本人を前にしたらカッとなっちゃって。お腹が空いてたのも事実だし。だから100%あんたのためってわけじゃないの」
「それでも、ごめん。そして、ありがとね」
「ん。こっちこそ、ね」

 お姉は照れくさそうにした。こんな顔は初めてだった。

 わたしたちは揃って地獄の空を見上げた。

「現世は、もう日付変わったかな」
「そうねぇ。十一月か。ハロウィン、終わっちゃったわね」
「来年は、二人で現世を出歩こうね。そんで近所のガキども片っ端から精通させよ」
「あらま。言うじゃない、この淫猥シスターめ。神への信仰を捨てて吹っ切れたってわけね」
「信仰か。……そうでもないけどね」

 お姉は不思議そうに首を傾げた。わたしは含み笑いで誤魔化した。そして両手を組み、心の中で、遥か遠くなってしまった天に言葉を捧げた。



 神よ、感謝いたします。わたしの隣にお姉がいる。一年中ハロウィンだ!




(了)


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