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【静けき森は罪人を許したもうのか?】 #20


【総合目次】

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 有角ゴブリンが目の前で斧を振り上げた。ヒースにとっては遅すぎる動きだ。彼はわずかに足を動かし、地面を走る風を操った。《風の靴》。有角ゴブリンの足首に纏わりついたそれは、斧が振り下ろされる瞬間、躰の向きを反転させた。

「ギッ!?」

 有角ゴブリンの斧は雪のなかに埋もれた。ヒースはさらけ出された背中、防具の隙間を縫って、長剣を心臓に突き刺した。引き抜くと、大量の血が溢れだした。

 返り血を浴びてなお、ヒースの表情は平坦だ。彼の目はつぎの敵に向けられている。

「ギギーッ!」「グキャーッ!」「ゴブルァァーッ!」

 剣、槍、斧を手にした有角ゴブリンたち。ヒースは自分自身に《風の靴》を履かせた。残像をひくほどのステップを織り交ぜながら、彼らの攻撃を躱し、いなし、弾いていく。反撃はあえてしない。微細な動きでおのれの位置を調整し、ただ機を待つ。

 やがてゴブリンたちがいっせいに武器を構えた瞬間、ヒースは左手を雪面にたたきつけた。妖精のいたずらめいたそよ風が広い範囲を駆けめぐり、有角ゴブリンたちの足を躍らせた。《風の靴》を範囲化させた術、《風の絨毯》!

「ギゲーッ!?」「グギャーッ!?」「ゴバァァーッ!?」

 有角ゴブリンたちはヒースを肉塊にすべく振るった武器を、仲間たちに振り下ろした。ヒースは平坦な目でそれを観察する。死に至ったのは半数ほど。残りの半数も、腕を斬られ、胸を貫かれ、肩を割られ……通常のゴブリンなら恐れをなして逃走するほどの深手ばかりだ。

 だが……ヒースは眉をひそめた。魔物たちの流血が驚くべき速度で止まっていく。妖しい紫光が傷口でうごめき、塞いでいるのだ。

 彼らは恐れをなすどころか、いっそう深き憤怒の目でヒースを睨んだ。一瞬、彼の脳裏に、白髪の修道女の姿がよぎった。

「……なるほど。これが黒角の力か」ヒースは考える。彼はちらと後ろを振り返り、そこにいる男に声をかけた。「任せていいか、ヨーナス」

「ンああ、いいぞォ」

 間の抜けた声を返すと、ヨーナスは両手の指にいくつも挟んだパイプのうち、一本を喫った。吐き出された煙は緩慢に宙をおよぎ、ヒースを追い越して、魔物たちに忍び寄った。

「ギ……ィ……?」「グヒッ!? ギギィーッ!?」

 傷も癒えていまにも突撃を再開しようとしていたゴブリンたちが、突然に錯乱しはじめた。なにかを払い落そうとするかのような仕草だ。

 毒霊術、《薬草煙》。パイプに詰めた霊薬草から効能を喫い、肺からのせた霊力によってあやつる術である。たったひと喫いで効果を発揮するうえ、草の種類と配合によって種々様々に使い分けられる。

「蟲喰み草と墓百合をまぜた煙だァ。やつら、冥界の蟲に全身を喰われる幻でも見てンだべな。今のうちだぞォ、ヒース」

「ああ……」

 ヒースは今度こそはっきりと眉をひそめた。事前に術除けの印マーキングを施されていなければ、ヒースも巻き添えになるところだったのだ。有角ゴブリンたちの有様を見ると、正直いって恐ろしかった。

 とはいえ、仕事は楽になった。ヒースは淡々と、錯乱する魔物たちにとどめを刺していった。おかげで余力をもって第二波を迎えられる……。

「キュキューッ!」

「!」

 そこへ雷撃による怯みから解放された有角ナイトラビットが襲撃! 巨大凍結ニンジンランスを手に跳びかかってくる! ヒースはステップを風に運ばせ、回避する!

「キュキューッ!」「キュキュキュィィィヤッ!」

 絶え間ない連続攻撃! ヒースはこれも回避するが、反撃する隙がない。さらに有角ゴブリンの第二波が!

「「「ゴブーッ!」」」

「「「キュキューッ!」」」

「……!」

 ヒースは奥歯を噛みながら、必死に攻撃を捌きつづける。《風の絨毯》を敷く隙もない。有角ナイトラビットの回復が想定よりも早すぎた。ヨーナスの援護があるとはいえ、二部隊を同時に相手するのは……!

 連続バックステップでなんとか距離をとる。とん。背中がなにかにぶつかった。振り向くと、サイラスのしかめつらが間近にあった。

「よお……お互い同じような状況かよ」

「らしいな」

「マッハの《サンダービット》は再詠唱まで時間がいるらしいぜ。クソどもは俺たちだけで凌いでくれとのお達しだ。どうするよ?」

「……考えはある」ヒースは言った。たったいま、サイラスを見て思いついたことだ。「あんたの得意技を全力でばら撒け。俺が広げる」

「なるほどな。面白いじゃねえの」

 サイラスはすぐに察した。男たちは互いから視線をはずし、前を向いた。

 サイラスは槍を構える。氷霊銀の穂先が蒼くかがやく。狂奔する黒角の魔物どもが眼前に迫ろうと、震えることなく霊力を高めていく……!

「いくぜ、ヒースッ!」

「ああ!」

 サイラスが《凍て薙ぎ》を解き放つ! ほぼ同時、ヒースは雪に手をたたきつけ、《風の絨毯》を敷く! 二人の冒険者が力を合わせて放つ交錯霊技……《凍てつく風の絨毯》である!

「ギュウッ!?」「ギギーッ!?」

 風は冷気と手をとりあい、踊り、魔物たちの足を凍りつかせながら、駆け抜けていった。戸惑いの声が遠くからも響いてくる。それを確かめ、男たちは同時に呼吸を再開した。

「うまくいったな」

「ああ」

「もしかして、俺らっていいコンビ?」

「かもな」

 サイラスの軽口に、ヒースは頷く。だが彼らの息は荒い。どちらも全霊力を注いでの合わせ技だ。精神が消耗しているのだ。

 しかし敵はまだ残っている。彼らは額を汗で濡らしながらも、武器を構え、駈け出そうとした……そのとき!

「カッカカカ! 無茶したのう、若人よ! あとは爺に任せて、すこし休んどれ!」

 黒いコートを翻し、老兵ウィップが飛び込んできた。彼の手にする得物、己自身の名を冠した《七代目のチェーンウィップ》は、すでに数多の血肉にまみれていた。ヒースたちが必死に凌いでいるあいだに、老人は自分の持ち場を喰らいつくしていたのだ。

「さあさ、魔物ども! 八代かけて鍛え上げたいくさ屋の技、とくと見るがよいわ!」

 獰猛な笑み! 老兵は《七代目のチェーンウィップ》を振るった! 吹き荒れる鎖鞭の暴風! まるで猛り狂う竜の尾がごとし! 足の凍りついた魔物たちはなすすべなく首を刎ね飛ばされ、頭蓋を砕かれていく!

 しかし黒角の軍勢もやられるばかりではない。素早く近付いてくる影が二つ……有角竜人兵リザードマンである。

 植え付けられた憎悪の紫を瞳に燃え上らせながらも、彼らは至極冷静だった。戦慣れしているのだ。姿勢を極限まで低くし、立ち尽くしたまま死んでいる仲間を盾にしながら、着実に鞭をかいくぐっていく。そしてついに、一匹が曲刀で斬りかかった!

「シャアァーッ!」

「ほ! やりおる!」

 ウィップはすぐさま対応した。《七代目のチェーンウィップ》に霊力をこめ、内に込められた一族の記憶を呼び覚ます。《八代目のガントレット》の記憶を。

 クルトウェポンは鎖鞭より姿を変じ、一対の籠手となり、老兵の両腕に装着された。振り下ろされたリザードマンの曲刀を、左腕で弾くパリング。がら空きになった胴体へ、すかさず右腕を叩き込む!

「カァーッ!」

「クハッ!?」

 心臓部へ強烈な一撃! だが終わりではない! 八代目クルトウェポンは己の分身にさまざまな機構を備えていた! そのひとつ、手甲部に仕込まれた隠し爪が飛び出した!

「カハッ……カ……」

 竜人兵は吐血した。隠し爪は心臓から背中までをつらぬいていた。ウィップは振り払うように死体を放り、もう一匹に意識を集中する!

「シィィアアァァァーッ!!」

 裂帛の咆哮とともに近付いてきたその個体は、竜人大剣兵リザードグレートソードマン! 自身の背丈よりも巨大な剣を横に振り回し、老兵を両断せんとする!

 受けるのは不可能と判断し、ウィップは大きく後方へ飛びのいた。そして空中でクルトウェポンを《五代目のクナイ》に変じ、着地する前に投擲した!

 竜人大剣兵は首めがけて飛来するクナイを認識し、腕で防御した。しようとした。だがクナイは……空中で《三代目のランス》に姿を変えた。投げ放つ瞬間、ウィップはさらなる変形を念じていたのだ。伸長した間合いは、竜人大剣兵の腕ごと首をつらぬいた!

「ガッ!? コカ、カッ」

 竜人大剣兵はよろめき……しかし倒れなかった。驚愕に剥き出された眼は、それでもなお戦意と憎悪を消していなかった。ウィップは嬉しくなった。

「敵ながら天晴れ。なら四代目トドメじゃ」

 ウィップは跳びかかりながら、クルトウェポンに念じた。突き刺さった槍は、ぐん、と宙を引っ張られ、老兵の手にもどり、その姿を《四代目のウォーハンマー》へと変じた。

 着地とともに振り下ろされた戦槌は、竜人大剣兵の頭を容赦なくたたき潰した。

 ウィップは血を引く戦槌を持ち上げて、肩にかついだ。心地よい汗と返り血をあび、その笑みはさらに猛っていた。彼は未だ尽きぬ軍勢を眺め、呵々と笑った。

「良いぞ、良いぞお。儂にいくさの記憶を持ってこい。ぜえんぶ孫への土産にしてやるわい!」


◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 一方、ミーティスの東側にも有角の軍勢は到達していた。

 十数匹の有角ゴブリンを先陣とし、憤怒のままに突き進む。開けた雪原にかれらを邪魔する影はない。ただひとつ……剣を杖にして直立不動の女をのぞいて。

 その女、孔雀緑の髪の騎士アルティナは、閉じていた眼をゆっくりと開き、近付いてくる魔物たちを見据えた。

「……来てしまったな。レイチェル」

 ちいさな声で、友を慮る。

 悲壮な顔のレイチェルから相談をうけて、およそ二週間。アルティナは彼女の願いに全力で応えた。神珠教団への要請、冒険者たちへの依頼。好かぬ相手だが、ハドルストンへも自衛をうながした。そして彼女自身も盾となるべく、ここに立っている。

 すべてが徒労に終わることを、アルティナは願っていた。レイチェルの危惧したとおりに魔物が来たということは、彼女も動きだしているはずだ。魔物たちの統率者を……彼女の古い友を殺すために。

(君がそうすると決めたなら、最後までつらぬきとおすのだろう。だが、本当にそれで……)

 アルティナはつづく言葉を飲み込んだ。心を乱せば犠牲になるのは無辜の民たちだ。いまはただ、騎士のつとめを果たすのみ。

 敵の軍勢がせまる。アルティナは突き立てていた剣を抜いた。賜名の剣ブリュンヒルト。戦乙女の名を賜りし聖剣に炎の霊力を走らせつつ、体をねじり、構える。

 守るべきものは背後。前方には敵あるのみ。彼女の全力をさまたげるものはない。ブリュンヒルトの炎は静謐を纏いながら、その裡で尋常ならざる熱を高め始めた。女騎士の周囲の雪が、怯えたように溶けだした。

 やがて彼女は……それを解き放った!

「《戦乙女よ! この者たちに灼火業炎たる抱擁を!》」

 ブリュンヒルトを振るう! 刀身からほとばしる炎が、荒波となって魔物たちに襲い掛かる!

 烈しい炎は有角ゴブリンの集団を一瞬で焼き尽くし、後続の有角竜人兵たちでさえも灰燼に帰した! 伝承に謳われし金色竜バラウルの息吹がごとき威力! 

 数十もの命を消滅せしめてなお炎は踊り、雪原を陽色に染めあげる。無数の炎の壁が交錯し、燃えさかる迷宮が現出した。安易に踏み入ったものには、戦乙女の死の抱擁が待ち受けていよう。

 しかし、憤怒に支配された魔物たちに怖れはない。迷宮にはわずかな隙間もあり、それはアルティナへと至る道筋だ。火傷の痛みなど委細かまわず、彼らはその道を突き進んだ。それがアルティナによって導かれた道程とも知らずに。

 アルティナは炎の壁を操作し、魔物たちの歩みを巧みにあやつった。隙がなさすぎると敵は引くが、隙を見せればそこを突こうとする。そうやって誘い出し、一対一の状況に持ち込んで、ひたすら斬り伏せる。戦乙女の抱擁からのいつもの流れだ。これで着実に数を……。

 ズン。ズン。地面が揺れる。巨大な質量が近付いてくる。アルティナは目をすがめ、正面を睨んだ。現れたのは、炎の壁をものともせず突進してきた、有角の岩肌巨人ロックトロール

「ゴオオオオオン!」

 岩石の巨躯が振り下ろす剛腕! アルティナは後ろに跳んで躱す。岩肌巨人の拳はそれを追い、雪混じりの土を次々と砕き、あたりにまき散らした。

 岩肌の種族は炎につよい。加えて黒角による治癒もある。たった一匹でもミーティスを蹂躙するに足る魔物だ。迅速に斬り殺すべし。アルティナは胸の前でブリュンヒルトを構えた。

「《戦乙女よ! 汝、赤熱の鎧を身にまとえ!》」

 刀身を走る陽色の炎! ブリュンヒルトを鋼鉄をも溶かし斬る刃と化すエンハンスメント・スペルである! アルティナは岩肌巨人の重い一撃を躱し、その腕に飛び乗ると、頭に向かって走った!

「ゴオオオオオン!?」

 有角の岩肌巨人は不快な虫を振り落とそうと、激しく己の躰を揺する。だがすでに遅い。アルティナは均衡を崩すまえに岩肌巨人の肩を蹴り、高く跳び上がった。

「せえええい、やああーッ!!」

 兜割り! 陽色の直線が、岩肌巨人の頭頂から股までを裂いた。左右対称に分割された巨人の躰が、ゆっくりと倒れていった。

 アルティナは立ち上がる。冷たい空気で燃える炎が、騎士のシルエットを夜にきざむ。炎の盾フラムシルトの血族ここにありと。




【続く】

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