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【その灯りを恐れなかったのは誰か?】 #3


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 酒場を出ると、肌寒い夜の空気がアルティナたちを出迎えた。この時間でも交易都市リディアの目抜き通りは賑わっており、人通りは絶えない。それを眺めるアルティナの横で、レイチェルは大きく伸びをした。

「んーっ……とっても気持ちいいお酒でした。アルティナさん、本当にごちそうさまです」

「喜んでくれたなら何よりだ。それにしても、あんな短時間で瓶をまるごと空けるとは恐れ入ったよ。私では敵わんな」

「うふふ」

「ふらついているようだが、大丈夫か? ひとりで帰れるか?」

「だーいじょぶですよぅ。いくら私が忘れっぽくても、大切な場所を忘れたりはしませんから……お、と、と」

「ああ、ほら」よろめいたレイチェルを受け止め、苦笑する。「私が心配してるのはその足だよ。仕方がない、君の宿を教えてくれ。送るから」

「うう、すみません」

 アルティナは彼女の手を取る。小さな炎霊珠を入れた角灯をもう片方の手にぶら下げ、歩きだした。

 人々の多くは、へべれけになった修道女と、それを支える女騎士に奇異の視線をすれ違わせる。多少むず痒かった。道を曲がるたびにその数は減り、三度目でなくなった。

「目抜き通りからずいぶん離れたところにあるんだな、《緋色の牝鹿亭》とやらは。こんな立地で大丈夫なのか?」

「大変ではあるみたいですねぇ。でも、いい宿なんですよー」レイチェルは酒精に染まった顔でへらへらと答えた。「あ、この坂道をのぼればすぐで……、あら?」

 半端な傾斜の石畳の道を見あげ、レイチェルは首を傾げた。アルティナも視線の先を追う。

 坂道の上から人影がふたつ、駆け下りてきていた。引き締まった体格の男性と、それ以上に筋骨たくましい女性だ。冒険者であろう。

「あ、あんた。確かレイチェルって言ったよな?」男の方が声をかけた。

「はぁい、どうもこんばんは。皆さんも、また《緋色の牝鹿亭》に?」

「ああ、そうだが、積もる話はあとだ。あんた、トビーの坊ちゃんとピンクの髪の女の子、見なかったか?」

「え? 見てませんけど」レイチェルからすっと笑みが消えた。「トビーさんと……アイリスちゃんですよね。ふたりがどうかしたのですか」

「行方知れずなんだよ」筋骨たくましい女が答えた。「そのアイリスって子を家まで送るって出たきり、帰らないんだ」

 レイチェルは目を見開いた。アルティナは彼女の頬から一瞬で朱が引くのを見て取った。

 言葉をなくした様子のレイチェルに代わり、彼女は口を開く。

「私は特任騎士のアルティナだ。詳しく話を聞かせてもらえるか」

「特任騎士?」女は目を細めてアルティナを見た。「ふん、都合よくいてくれたもんだね。聞いての通りさ。《緋色の牝鹿亭》って宿の息子と、その友達がいなくなっちまったんだ。年のころは十二くらい。あんたも見てないか?」

「見ていないな。私たちは《つぐみの枝亭》から来たが、子供の姿はなかった。そのアイリスという子の自宅はこっちなのか?」

「いや、反対方向の住宅地さ。そっちの方はもう探したけど見つからなかった。念のため、あたしらの仲間とかがまだ調べてるけどね。あたしらはこっち方面の捜索と」

「自警団への通報をな」男が言葉を継いだ。「あとの詳しい話は、その子の父親から聞いてくれ。宿にいるから」

「了解した。自警団には私の名前を……あ、おい!?」

 レイチェルが弾かれたように坂を駆け上がっていった。先ほどまでの千鳥足が嘘のような機敏さだ。「頼んだぞ!」と冒険者たちに残し、後を追う。

 坂を上りきると、背の高い三角屋根の建物が目に入った。三階か、四階建てくらいだろうか。その建物の前で、レイチェルと小太りな男性が向かい合っている。せわしなく挙動をさまよわせる様子から、件の子の父親だと分かった。

「ご主人、話は聞きました」レイチェルが酔いの抜けた口調で話しかけている。「私たちも手伝います。どうか気を確かに」

「いやあ、ははは……」男性は力なく笑った。「すみませんね、なんか、大事になってしまって。アイリスちゃんのお宅や、お客さんにまでご迷惑をおかけして、本当に申し訳ないです」

「ご主人が気にされる必要はありませんわ」

「きっとね、お喋りするのに夢中になってるんじゃないかって、アイリスちゃんのお母さんとも話したんですよ。私たちも、むかしそういうことがあったよねって……。だから……」

 彼の言葉はそこで途切れた。アルティナは彼の心情を察しきれないことを察した。レイチェルが励ますように続ける。

「ええ、きっとそうです。仲が良いふたりですものね。見つけたら、ご家族に心配かけちゃいけませんよって、お説教しておきます」

「よろしくお願いします。私はここで待機しておきますんで……」

 レイチェルは宿の主人に頷き、アルティナを見た。

「アルティナさん、すみませんが、お手伝いを」

「無論だ」アルティナは頷き返した。「手分けした方が良いだろうな。どちらを探す?」

「待ってください」

 レイチェルはそう言うと、両手を組んで目を閉じ、祈り始める。呼吸の仕方が変わった。アルティナが訝しんでいると、彼女はふいに地に伏せた。

「お、おい?」

 返事をしないまま、彼女は地面にこすりつけるほど鼻を近づけ、犬のように臭いをかぐ。その表情は真剣そのものだった。アルティナはこの集中を乱してはならぬと直感し、ただ待つことにする。

 レイチェルは両手で這って少しずつ場所を変え、臭いを探した。その動作はやがて一ヶ所で止まり、何度か確かめるように嗅ぎなおしてから、すっくと立ち上がった。

「あちらです。トビーさんの靴のにおいがしました」レイチェルは坂とは反対方向の道を示した。住宅街へつづく道である。「においを見失うまでは一緒に行った方が良いでしょう」

「鼻が利くのか」

「ええ。自信はあります。信じてください」

「分かった。行こう」

 アルティナはつべこべ聞かないことにした。縋るような目で見送る宿の主人に一礼し、早足で歩き出したレイチェルに続く。

 歩いてる最中も、レイチェルはじっと地面に視線を落とし、時おり止まっては臭いを嗅ぎ直した。ふにゃふにゃと酔っぱらっていた修道女の姿はもはや欠片もない。

「……」ある程度の距離を進んだところで、レイチェルは不審げな顔で立ち止まった。「これは……」

「どうした。臭いが途切れたか?」

「……いえ、途切れたわけではありません。別種の臭いが混じってきているんです」

「別種?」

「とても不快な……下水のような臭い。それと……」

 レイチェルは小刻みに鼻を鳴らし、臭いのもとを探す。その視線が、右手側に立ちならぶ木々の方を向いた。彼女はそちらへ近付き、膝をついた。

「アルティナさん、これを」

 レイチェルは地面を指さした。アルティナは彼女の背後から角灯で照らす。

 夜の闇と土くれに紛れて分かりづらかったが、濃い色合いの液体が点々と広がっている。アルティナがその正体に感づいたとき、最悪の事態を想起して、背筋がぞっとした。

「血か?」

「そのようです」レイチェルは淡々とした口調で答えた。何らかの感情を抑え込むように。「でも……、人間のものではないように思います。この臭いは、たぶん……」

 彼女はそう言って半腰になり、目の前の茂みをかきわける。角灯を追随させると、彼女は再び指をさした。その先にはばらばらになった猫の四肢が転がっていた。

「血の主はこの子ですね。かわいそうに」レイチェルは短く祈ってから立ち上がった。「おそらく、ここで猫を殺した犯人が、不快な臭いの持ち主です。そしてそいつが、トビーさんたちを拐かした」

「……確かか?」

「間違いないと思います。トビーさんたちのにおいは消えたのではなく、不快な臭いと合流したのでしょう。ここからはこの臭いを追跡します」

 二人は道に戻り、先へ進んだ。

 アルティナは治安維持を任じられた身でありながら、レイチェルに頼りきりになっている自分を不甲斐なく思った。だがこうしていても、アルティナの鼻腔には不快な臭いなど感じられない。彼女はこの清楚な装いの女性がどのようにしてこの力を得たのか、強く興味をいだいた。


 ……やがてふたりは石造りの橋の下、生活排水の流れ込むアーチ状の柵扉にたどり着いた。レイチェルが嗅ぎ取った臭いがどのようなものか、鈍感なアルティナの鼻も否応なく思い知らされていた。

「地下水路か」アルティナは顔をしかめて言った。「帝政の時代に造られて以来、ろくに整備されていない場所と聞く。……子供をさらうようなバカたれが潜むには似合いの場所だな」

 彼女は破壊された錠前を扉の取っ手から引き抜く。こうして近くで見なければ分からないような、小さくも的確な破壊だ。そのさり気なさが、破壊者の存在を明白にしている。

 レイチェルは黙って扉を開け、中に入ろうとした。アルティナはとっさに肩に手を置く。

「おい、待て」

「止めないでください」レイチェルは振り返らずに言った。「応援を待つべきだというのは分かっています。ですがトビーさんが……子供達がどんな目に遭っているかも知れないのにただ待つだけだなんて、私にはできません。私の役割はヒーラーですが、単独でも戦うすべは持っています。どうか行かせてほしいのです」

「認められないな」アルティナはきっぱりと言った。「君の言葉を信じたとしても、君ひとりを危険な場所へ送り、私ひとりが残るなどというのは、この傷よりもよほど恥だ。私が行く。君が残れ」

「ですが……」

「あぁンたたちィ。そンなとこで何をやってンだぁ?」

 上の方から降ってきた声に、ふたりは同時に顔を上げた。

 声の主は橋の上から上半身を乗り出し、視線を向けている。縮れ毛をあちこち跳ねさせた野暮ったい顔の男だった。アルティナは誰何すいかしようとしたが、今度はレイチェルが彼女の肩に手を置き、止めた。

「大丈夫。さっきの冒険者たちの仲間です」彼女はそう言って、野暮ったい男に声を上げた。「私です、レイチェルです! 《緋色の牝鹿亭》に連泊している者です!」

「ンあぁ、見覚えあると思ったら、あンたかぁ。そンなら聞いたか? 宿のお坊ちゃんのこと」

「聞いてます。あの、そのことでお願いがあるのです」

「何だべ?」

「子供たちはおそらく何者かによって誘拐されたと考えられます。潜伏場所はここから入れる地下水路と思われます。私……」彼女はそこでアルティナを見た。

「と、この特任騎士アルティナが先んじて調査する!」アルティナは言葉を継いだ。「貴殿にはその旨と、『例の件と関係する疑いが濃厚である』ことを自警団に伝えていただきたい! 私の名を出せば通じるはずだ!」

「ンわかった。特任騎士のアルティナさンだな」

 彼は何度か小刻みに頷くと、「無茶はすンでねえぞォ」と言い残し、駆け出して行った。

「例の件とは?」

「そうだな。君には話しておく」

 アルティナは後から来る者への目印代わりに角灯を置き、胸の前で拳を握って瞑目した。

 その拳が開かれると、小さくも眩い炎がそこにあった。その灯りは扉の奥、澱んだ闇へ続く階段を照らし出した。

「この都に来るまえ、私は教団よりひとつの情報を受け取った。『指名手配中の魔珠派の男がリディアに潜伏中の疑いあり』……とな」



【続く】

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