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【その灯りを恐れなかったのは誰か?】 #6
魔物たちが濁流のごとく押し寄せてくる。レイチェルの側は炎の壁が薄く、ゆえにその勢いも強い。
「チューッ!」
ジャイアント・ラットが顔面を目掛けて跳んでくる。レイチェルはかぎ手を構え、凄まじい速度で下から突き上げた。かぎ手は大鼠の下顎をつらぬいていた。彼女はそのまま腕を振り下ろし、死体を後続の鼠に叩きつけた。
「ヂューッ!?」
レイチェルは左足を踏み出した。石床に罅を走らせるほどの力強さを支えにして、折り重なる鼠どもを右足で蹴り上げた。吹っ飛んだ鼠どもの躰は不運なサハギンの頭蓋を巻き添えにし、衝撃で爆散した。
「ギチチチ……!」
それを隙と捉えたのかはさだかではないが、炎の影を縫うようにして、巨大なムカデがレイチェルの足元に迫っていた。鋼鉄のごとき大顎で左足首を切断せんとするが、彼女の嗅覚はそれを認識していた。鼠を蹴り上げた右足を鉄槌のごとく振り下ろし、床石とともに大ムカデの頭部を踏み砕いた。
「ギギッ!?」
死にぞこないの大ムカデは無数の脚をギチギチとわななかせる。レイチェルは両手でその躰を持ち上げ、近場のサハギンに投げつけた。
「シャギッ!?」「ギギギギ……!」
大ムカデは死にかけの本能に従って、サハギンの顔面に巻き付いた。サハギンは倒れた。
レイチェルはつかつかと歩み寄り、ムカデともどもその頭を踏み砕いた。その音はいやに大きく辺りに響いた。
獣のように喉を震わせ、息を吐く。
「死にたい奴は来い。死にたくないならこっちから行く」
彼女の言葉は波紋のように魔物どもを打ち据えた。言葉の意味は分からずとも、自分たちに向けられた殺意の大きさを彼らは十分に思い知った。彼らは怖れおののいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「シャハァァーッ!」「ハギャーッ!」
炎の壁を越えてくるサハギンが二体。アルティナは一体の攻撃を躱しつつ、もう一体を斜め下から斬り上げる。そのまま体をねじり、躱したサハギンに斬り下ろす。剣は頭蓋を割り、その熱によって脳を焼き溶かした。
これで斃したサハギンの数は五体。炎に巻き込まれて焼け死んだ鼠やムカデは、確認できたものが三体。見積もりの三十体にはまだまだ遠い。だが焦ってはならない。熱情を理性によって制御することは、アルティナがもっとも重視する炎珠派の教えである。
アルティナは左手を前方にかざし、炎の壁を操作する。延びた壁は後続の魔物たちを遮り、燃えさかる隘路を作り出した。彼女はかざした左手で挑発的に敵を招いた。
「どうした、バカたれども。人間一匹がそんなに怖ろしいか?」
尻込みしていたサハギンが唸った。自身の怒りと、《操魔の呪法》により増幅された悪意を以って、コントロールされた炎の道を突進してくる。
アルティナは剣先を正面の床に向け、攻撃をさそった。愚者の構え。
「せいっ!」
「ハギッ!?」
剣を跳ね上げ、その腕を落とす。
「やあーッ!」
「ギアーッ!?」
そこから振り下ろし、首を落とす。それで一匹。
続く連中にも、それを順に繰り返した。理性なき相手が正面からかかってくるなら、これで十分である。ブリュンヒルトが血脂に穢れることもない。熱で瞬時に蒸発するからだ。
両手を広げて襲い掛かってくるような相手には、喉元に剣を突きつける構えで対処する。怯えて止まるようならばそのまま突き殺す。稼いだ時間でふたたび愚者の構えへ移行。そうやって少しずつ前進していった。
「ぬうう……っ! 小癪な犬どもめ! 思った以上にやりおるわ……!」
魔物どもが次々と殺されていく様を、魔教徒は歯軋りしながら見守った。
もともと大して強力な魔物ではない。それをカバーするため、数だけはかなりのものを揃えてもらった。だがあの女騎士の戦い方は、そうした状況に慣れた者のそれだ。さすがに理性と叡智をつかさどる炎珠派の騎士。小賢しさを心得ている。
(そしてあの修道女……あれは……なんだ?)
炎の向こうに揺らめく殺戮の光景を、彼は困惑の目で見た。
光珠派の術師といえば、癒しや守りの術によって味方を支援する能無しか、忌々しい光によって攻撃する手段しか持たぬ惰弱者だ。だがあの女は、白い風のように俊敏に動きまわり、悪鬼のような暴力によって魔物たちを殺しつづけている。
全身に満ちる光の霊素がその力の源であろう。術の力だ。だがそれにしても……あれほどの力と意志。本当に人間なのか?
「レイチェルさん……!」
少年が声を漏らした。炎に照らされた童たちの顔は、驚愕と期待の色にそまりつつある。魔教徒は舌打ちした。
だがこれは好機だ。大いなる希望が反転したとき、人の魂は甘美なる闇に落ちる。あの女どもは何としても惨たらしく殺し、贄の味つけとせねば。
彼は背後の闇を……先祖から代々受け継いできた魔神をちらりと振りかえる。
それは古の時代、エルアズルより名を賜り、《堕天の魔王》と共に強大な力を振るった偉大なる神であった。しかし時とともに人々から忘却され、名を失った。もはや己自身ですら思い出せぬ体たらくだ。それすなわち、神としての力の喪失。神々にとって、至高神より賜った名とその霊力とは不可分のものなのである。
都市の地下に埋もれた古の暗黒祭壇を見いだし、闇に染まった十の魂をささげ、幾分かの力はよみがえった。だが未だ名を思い出すには至らぬ。不完全な神を戦に出すわけにはいかない。
「マティア……ダーヴァ……ギブル……!」
魔教徒は呪われし言霊をとなえた。
神の触手を移植した右手から黒い水があふれ、宙に浮く。黒い水の球体に霊力がそそがれ、肥大化させていく。
「な……なに……!?」
アイリスは邪悪な力をおそれた。トビーは瞬時に思考をめぐらせ、声をあげた。
「気を付けて! 術だ!」
「ヴィズリフ!」
詠唱は成った。球体から無数の黒い水飛沫が、矢のごとき速度で放たれた。
アルティナはトビーの警告のおかげで直撃をまぬがれたが、黒い水をあびた炎の壁が消えた。空間の闇のかさが増した。
(しまった……! 闇と水の混合霊術か!)
「シャハーッ!」「チュミーッ!」「ギキキキ!」
障壁がなくなり、三方から魔物たちが押し寄せてくる。
アルティナは引き絞るように躰をねじり、ブリュンヒルトに霊力をそそいだ。戦乙女が炎を纏った。
「《戦乙女よ、この者たちに猛炎たる抱擁を!》」
斬りはらい、炎の奔流を解きはなつ。
呑まれた魔物たちのいくつかは、悲鳴をあげることすらできずに炭と化した。しかし何体かはそれを超えてきた。まき散らされた闇と水の霊素がアルティナの術を相殺し、弱体化させている……!
「おのれ……ッ!」
アルティナは橙色の斬光を縦横無尽に閃かせた。火花とともに魔物の血飛沫が舞い、足元の黒い水に混ざってゆく。
抱きつくように襲ってきたサハギンを刺し殺す。剣を抜かずに霊力を込める。サハギンの全身が燃え上がった。彼女は蹴りたおし、さらに霊力を込めて火種にしようとした。しかし再び飛んできた黒い水飛沫の術が、呆気なくそれをかき消した。
「くそっ! このままでは……!」
アルティナは歯噛みした。魔物たちの第二波がくる。さっきよりも勢いが強い。サハギンだけならば剣で捌けるが、足元を駆ける鼠やムカデはそうもいかなかった。どうしても炎が必要だ。だが炎は黒い水や、あたりに満ちる霊気によって阻まれてしまう。
結論はひとつ。霊素の出力を上げ、黒い水を焼くほどの炎を放てばよい。アルティナならばできる。
問題はそれをコントロールできるかだ。子供たちにまで危険がおよぶ可能性は決して無視できない。
アルティナはほんの僅か、額の痕にふれる。
短い呼吸をひとつ。それで決断した。
躰をねじり、引き絞る構え。ブリュンヒルトが烈火を鎧う。彼女は咆えた。
「《戦乙女よ! この者たちに烈炎たる抱擁を!!》」
剣を振り払った。
炎の荒波が一瞬、闇のほとんどを照らした。魔教徒と子供たちは眩しさに目をそむけ、レイチェルも振り返るほどの閃光だった。
直撃を受けた者たちは消し炭すら残らなかった。ある意味では幸運だったかもしれぬ。残りの者たちは、死までの短い時間を苦痛でかざることとなった。炎の狂濤は断末魔をも抱きしめ、逃さなかった。
「ハァー……ハァー……ッ!」
アルティナは剣を杖にし、肩を上下させる。術のコンロールのために消耗した精神で、必死に状況を確認した。
(子供たちは無事……残りの魔物は……十、十五……そこまでは減らせたか。背後は……否、そこまで確認している余裕はない。壁はまた築けたが、どうせすぐ奴が消しにかかる。このまま一気に……押し切る……!)
彼女は疲弊していた。それゆえ、頭上から落下してくるそれに、直前まで気付くことができなかった。
見上げたときにはもはや躱しようがない位置にまで迫っていたそれは……しかし彼女には届かなかった。白い光が彼女を跳び越えて、それをさらっていった。
「レイチェル!?」
「……っ」
膝をついて着地したレイチェルは、顔を苦痛に歪ませた。
理由はその右腕に纏わりついていた不定形の粘液のかたまりだ。黒い核をもつそれは、強酸によって獲物を溶かし捕食する魔物、アシッドスライムであった。レイチェルはその気配を察していたのだ。
羞恥のような烈しい感情が瞬間的にアルティナを襲ったが、彼女はそれを律し、なすべきことをした。
「はああぁぁッ!」
天井に向けて剣を振るい、炎の壁を走らせる。やはり他にもスライムが潜んでいた。怒りを抑えつつ、すべて焼き払う。
危険を排除できたのを確認し、改めてレイチェルに向き直った。
「すまない! 私のために……!」
スライムは既に彼女の右肘までを覆っていた。このままでは一分たらずで彼女の腕を食い尽くし、それを糧に肥大化。やがて全身を呑み込んでいくだろう。
しかしレイチェルは天井の炎がスライムを簡単に殺したのを見ると、炎の荒波によって生じた壁に、躊躇うことなくその腕を突っ込んだ。
驚くアルティナを尻目に、彼女は耐える。悲鳴のような音をたててスライムが蒸発していく。彼女はアルティナを見た。
「私は平気。この腕の火も消さないでいい」
「消すなだと? だが」
「このくらい治せる」レイチェルは淡々と言った。「それより、交代して。あの術にあんたは不利。私がやる」
「……!」
アルティナの脳裏にさまざまな言葉がよぎった。彼女はそれらを抑えつけた。剣を構えなおし、レイチェルに背を向ける。
「すまない! 今度は私が背中を守る!」
「うん。お願い」
レイチェルが腕を引き抜くと、その腕には炎が燃え移っていた。彼女の腕は絶えず焼かれながらも、湧き上がる治癒力によってその傷を無効化した。炎と治癒の光が混ざり合った。
彼女は炎の壁の向こうを見る。
トビー。アイリス。視線だけで語り掛ける。
トビーは炎の揺らめきを映した瞳で受け止めた。彼はぎゅっと口をむすび、頷いた。
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