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【その灯りを恐れなかったのは誰か?】 #4


【総合目次】

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 気の遠くなるほど昔のことでも、読み取ろうとする者がいるかぎり、世界は覚えているものである。

 今や魂の残滓を残すだけとなった神々も、かつては姿形を持っていたらしいことは、各地の遺跡や伝承が物語っている。人類とは別の種族……英明なる長耳の森人だとか、炭鉱に住まう小人だとかが存在したことも。

 その時代について分かっていることは断片的だ。現代よりも遥かに優れた文明を持っていたこと、それでも摩擦や軋轢は少なからずあったこと。そしてその黄昏は穏やかな衰退などではなく、凄惨な争いによるものだったこと。

 それは《堕天の魔王》と呼ばれる存在によってもたらされた。魔王は光輝をつかさどる力を逆用してエルガルディアの空から光を奪い、闇に堕とした。神々と先史種族たちは魔王を討つべく結束したが、一枚岩となれないのは現世と同じで、互いの勢力は均衡を保ち続けた。

 戦局は朝と夜のごとく一進一退を繰り返し、最後にはどちらともが滅びた。聖も魔も、僅かな例外を除いてことごとくその御霊を世界に散らし、混ざり合い、同化していった。

 ……やがてそのうねりの中から新たな生物が産まれてきた。ヒトや動物、そして魔物。霊は肉に先んじて在り、古の記憶にもとづいて運命を決定しようとする。聖霊を宿したものは聖者となり、魔霊を宿したものは魔物となる。

 大半の魂はどちらでもあり、どちらでもない。だが己の存在をどこへ寄せていくべきなのか、選択する余地はある。

 そして人の身でありながら魔霊を崇拝し、近付こうとする者たちのことを、人々は俗に《魔珠派》と呼んでいる。

「つまり奴らは魔物と同じということだ。少なくとも教団にとってはな」

 湿気と腐臭の纏わりつく空間に、アルティナの声が反響した。

 前を行く彼女の斜め頭上には、彼女の術による灯火が浮遊し、導くように闇を照らす。左手側には汚れた石壁。右手側には人の生活により濁った水の川が流れている。

 地下水路。千年前にこの地を支配していた帝国により整備された広大なる地下迷宮。水と闇の霊素の濃い場所だ。二人にとって、肉体的な意味以上に息苦しい環境である。

「無論、奴らには奴らなりの事情があるだろう。だが社会に害をなそうとする以上、取り締まるのが私の務めだ。そういうわけで、私はここ数ヶ月、ある男を追っていた」

「……その者が、今回の犯人だと?」

 背中からのレイチェルの声に、アルティナは振り返らずに頷く。

「ある漁村で行方不明者が相次ぐ事件があってな。依頼を受けた冒険者が調べたところ、旧い魔神を崇拝する集団が下手人だった」

「目的は……生贄ですか」

「そうだ」アルティナは再度頷く。両者とも、その声は硬い。「そいつらは冒険者たちの手でほぼ壊滅できたが、一人だけ取り逃がしてしまったようでな。しかも魔神の魂を封じた神珠を持ち去って。……事件はまだ解決していないということだ」

 レイチェルは祈りの手を強く握った。かすかに骨の軋む音がした。

 アルティナの推測通り、件の魔珠派の男が子供たちを拐かしたとすれば、子供たちの命は今しばらく無事であろう。魔の神に捧げる供物には、魂まで魔に染め上げたものこそふさわしい。そのためにじっくりと仕込みをするはずだ。おぞましい仕込みを。

 だから最悪に至るまで、時間の余裕はある。

 当然、言い訳などではない。万が一そうなれば決して許してはおかないという意味だ。敵以上に、己を。

 ふたりの足は自然と動きを速める。しかしふいに、アルティナが立ち止まった。

「……何かいるぞ。構えろ」

「はい」

 アルティナは腰にさげた剣に手をかけた。灯火に霊気をそそぎ、明かりを強める。

 闇の向こうで小さな双眸が光を反射した。それは大きな四足獣の輪郭をともない、こちらに突っ込んできた。

 ジャイアント・ラット。魔の霊気が濃い環境で巨大化した鼠の魔物だ。このような場所では珍しくもない。

 アルティナは一気に長剣を引き抜いた。それは鍔に赤き霊珠を嵌め込み、白銀の刀身をもつ霊剣であった。エルアズルによる賜名しめいの祝福を受けた剣。彼女は振りかぶりながらその名を叫んだ。

「咆えろ、ブリュンヒルト!」

 霊珠は主の声に応えた。炎の霊気が刀身を撫で、銀に赤熱を纏わせる。そのまま叩きつけるように振り下ろすと、烈火が地面を駆けた。

「ヂューッ!?」

 烈火の刃は突進してきた大鼠を両断し、さらに奥まで走り抜け、奥の闇を照らす。そこからは怯えるような鼠の鳴き声が幾重にも響いてきた。

「やはり群れか……! 私は前方を殲滅する! 君は周囲の警戒を!」

「分かりまし……」

 レイチェルは頷きかけたところで、視界の端に僅かな違和感をおぼえた。排水の川面。何かが飛び出そうとしている。

「シャハーッ!」

 直後、予感は汚水の飛沫をあげ、実体となってレイチェルに飛びかかってきた。ぬめる鱗をもつ人型の魔物。サハギン。

 レイチェルは「なぜ」から始まる思考をいっさい浮かべなかった。害意に濡れた手を躱すように動きながら、祈りのために組んでいた手を振り上げ、サハギンの後頭部に振り下ろした。

 サハギンは「シャーッ!?」と呻き、うつ伏せに叩きつけられる。レイチェルは首を踏み砕こうと足を持ち上げかけたが、振り返ったアルティナの剣がサハギンの胸を突き刺すのが先だった。

「サハギンだと……!? なぜこんな場所に! 都市の下水に棲むような奴ではないはずだ!」

「貴方は前を!」

 レイチェルは邪魔なサハギンの死体を排水に蹴り落とし、中断された祈りを紡ぎなおす。下水の底から気泡が次々とあがっていた。追撃がくる。

 アルティナは心配そうな眼差しを向けたが、僅かな逡巡の後、大鼠どもの方へ向かった。

「「「シャァァァーッ!!」」」

 奇怪な雄たけびとともに三匹のサハギンが飛び出した。しかしそのとき、レイチェルの《光矢の祈り》は結実を見た。

 彼女の胸元から二対の光球が出現し、敵を認識する。光球に込められたレイチェルの殺意が鋭い矢と化し、放たれた。矢は二匹の額をあやまたず貫いた。

「シャハーッ!」

 もう一匹が正面から襲い掛かってくる。位置が高く、先ほどと同じようにはいかない。

 レイチェルは組んだ指をほどき、手首を交差する。左のすり足を前に。両肘を引き、背中を反らす。反動で右足を跳ね上げる。爪先が月の輪郭をなぞるようにしてサハギンの顎にめり込み、弾き飛ばした。

 そこへ光の矢の追撃。サハギンは頭と胸を刺し貫かれ、血をまき散らしながら排水へ沈んだ。二度と浮かんではこなかった。

「わ、と……とっ!?」レイチェルは滑る床に身体のバランスをとりそこね、尻餅をついた上に、後頭部を壁にぶつけた。悶絶は声にならなかった。「ぁい……~~~ッ」

 視界の中を星々がおよぐ。その端で、それをかき消すほどの鮮烈な光がほとばしった。レイチェルは涙目でそちらへ向き直った。

 それはアルティナが生み出した炎の閃きだった。

 彼女はブリュンヒルトを横に薙ぐ。剣先から炎が鞭のようにしなり、鼠どもの眼前に壁をつくる。手首を返し、もう一度薙いだ。今度は鼠どもの後方へ。壁は牢獄と化した。

「《戦乙女よ、この者たちに汝の抱擁を》」

 まごつき狼狽える鼠どもに対し、赤熱の戦乙女は無慈悲であった。アルティナが唱えた言葉に霊珠が呼応すると、炎の双璧は天井に達するほど大きくなり、津波のごとく獲物をとらえた。

「チューッ!?」「チュミ! チュミーッ!」

 鼠どもは断末魔をあげながら、炎の中を踊り狂った。何匹かは排水に逃れたが、もはや死は避けられまい。

「まあ……何という……」

 レイチェルは驚愕とともにその光景を見つめた。

 水の霊力の強い場所、ほとんど無造作な詠唱で、これほどの烈しい炎。それはアルティナの魂の顕現であった。彼女が額の痕を残している理由を実感できた気がした。

 アルティナはしばしその様を眺めたあと、剣を振り払った。赤熱の色が火花となって霧散し、炎も急激にその勢いを弱める。そして剣が鞘におさまるとともに消え去った。あとには灰塵だけが残された。

 アルティナはレイチェルを振り返った。

「無事か」

「ええ、何とか……あいたたた」レイチェルは腰と頭をさすりながら、難儀して立ち上がる。「コケちゃいましたけど……」

「ふふ。災難だったな」アルティナは微笑むが、すぐに表情を引き締めた。「ゆっくりはしていられない。今は先に進もう」

「ええ」

 ふたりは再び灯火を頼りに歩きだした。前後の闇だけでなく、排水の下にも気配がないか注意する。

「サハギンがいるなんて、驚きましたね」

「ああ。奴らの生息域は海や河だからな。汚水に棲めないわけではないと聞くが、奴らは望むまい。おそらく《操魔の呪法》によって連れてこられたのだ」

 《操魔の呪法》……魔物を操るという、魔珠派の忌まわしき秘術だ。レイチェルは噂でしか聞いたことがなかった。

「だが奴がその呪法の使い手とは聞いていない。殲滅した魔教徒たちも魔物は従えていなかったと聞く。となると、敵は私の追う相手ではないのか、あるいは……」

「別の魔珠派に支援され、呪法を授けられた、ということでしょうか」

「ありうるな。ここ最近、そのような手合いの動きが活発になっているとの報告もある。……思っていたより強大な相手かもしれないぞ」

「だから、引くべきだと?」

 アルティナは歩みを止めず、首だけを振り返らせる。レイチェルは険しい顔を浮かべ、祈りの手を組んでいた。決意をその手のなかに閉じ込めるかのように。

 そうしている内に、灯火は『それ』を照らし出した。

 崩落した壁。ぽっかりと口を空けた穴は、下方のさらなる闇の中へと腐敗した空気を吸いこみ、底冷えのする空気を吐き出している。

 割れた壁の様子からすると、最近になって穿たれた穴のようだ。しかし吐き出される空気は太古から封じられてきた闇の気配を孕み、人の生活が作りだした腐臭などよりも遥かに嫌悪感を湧き立たせる。

 都市によって蓋をされた古代遺跡。時たまあることだ。

 その入り口を前にして、アルティナは改めて考えた。

 自分の追う相手と、さらわれた子供たちがこの奥にいることを前提とする。不明なのは彼我の戦力差。明白なのは時間の経過による事態の悪化。引くべき理由と急ぐべき理由を秤にかける。

 彼女はレイチェルを見た。レイチェルも彼女を見た。

「……君は進むんだな」

「はい。私はそう決めています」

 レイチェルはそう言った。アルティナは頷き、灯火を闇の奥に向けた。



【続く】

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