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【君の安らぎは何処にあるのか?】 #4


【総合目次】

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「ギギッ!?」「ギギャーッ!」

 ゴブリンたちは馬に乗って向かってくる冒険者に慌てふためいた。武器を手になんとか迎え撃とうとする者もいれば、逃げ出そうとする者もいる。どちらにせよ連中のほとんどは酩酊し、思うように動けまい。ジルケは遠慮なく蹂躙した。

「ハッハァー!」

「グギャーッ!」

 まず一匹、槍で頭蓋をつらぬく。ぐるんと振り回し、その死体を別のゴブリンに投擲してぶつける。倒れ伏したそいつを馬の足で踏み潰し、ボロ巾と成り果てた死体を後方に蹴り飛ばした。

 愚かにも横並びになっている連中がいたので、風の刃で仲良く首を刎ね飛ばす。四匹のゴブリンが一斉に血の花を咲かせるのは、奴らにしては上等な光景だ。ジルケは昏い愉悦をおぼえた。

「ジルケ、お前は雑魚に構うな」後方からバルドが言った。「ここを抜けて逃げるにせよ、弓手が邪魔だ。お前が行け」

「はいよォ!」

 ジルケは馬を高らかにいななかせ、ゴブリンどもを踏み潰しながら疾駆していく。

「さて」

 バルドはそれを見送り、敵の様子を観察した。

 ゴブリンの突撃部隊はまだ途切れていない。《酔煙》を逃れた連中が左右に分かれ、馬車を挟撃しようとしている。右翼が六、左翼が八。

 バルドはまず右翼部隊に狙いを定めた。引き締まった筋肉と理想的な姿勢に支えられた健脚を発揮し、馬にも劣らぬ速度で走り抜ける。

「ぬうん!」

「ギギャーッ!?」

 すれ違いざまに一匹の顔面を太い右腕で殴りつけ、吹っ飛ばした。頭蓋が砕けた感触があった。残り五。

 踏みしめた足を軸に回し蹴りを放ち、斧を持ったゴブリンの腰骨を砕く。四。剣のゴブリンの脳天に手刀をうずめる。三。背後から短剣で襲おうとしていたゴブリンの顔面を、後ろ蹴りで潰す。二。

「ギ、ギ……」「グギギ」

 槍を持った残りの二匹は少し離れたところにいた。彼らは怖れ、後ずさった。

 バルドはそちらに向き直る。当然、逃がすつもりはない。彼は助走をつけ、高く跳んだ。

 狙われたゴブリンは、オーガの鉄槌のごとく降ってくる重量に恐怖しながら、しかしにやりと笑った。このまま槍を突き出せば殺せるぞ。そう思ったのだろう。

「ギキャーッ!」

 気合いの雄たけびとともに突き出された槍を、バルドは落下しつつ足で払いのけた。そのまま身体をねじり、背中から肘撃ちを叩きつける。

「アギャーッ!?」

 地面に挟まれ、ゴブリンの頭は爆散した。一。

 飛び出した眼球が最後の一匹の足元に転がった。彼はがたがたと震え、背を向けて逃げ出そうとした。

 バルドは死んだゴブリンから槍を奪い取り、後ろから胴体をつらぬいた。

「ゴガッ!? ガ……ギャ……ッ」

「これでゼロ」

 バルドは呟き、左翼部隊に目を向けた。馬車に迫っている。

 彼は左手を前に向け、死体が刺さったままの槍を大きく後ろに引き、構えた。

 左足の踏み込みと同時に左半身を引き、反動で右半身を前方へ。その勢いを乗せて、ぐうん、と槍を投擲した。

 槍は左翼部隊前方の地面に突き刺さった。

「ギャッ!?」「ギギギッ!?」

 左翼部隊は仲間の死体を串刺しにした槍に恐慌し、足を止めた。その側面に、おそるべき速さでバルドは迫った。淡々と、やるべきことをするために。

「ぬううん!」

「グギャーッ!」「ギギャーッ!」「ゲギャギャーッ!」

 暴力が吹き荒れ、血飛沫が舞う。右翼部隊と同じ結末に至るまで一分とかからなかった。


 一方、ジルケは疾風のごとく馬を駆り、クロスボウ部隊の眼前にまで迫っていた。

「ギゲーッ!」

 部隊長らしき個体の掛け声と同時に、ジルケに向けて一斉に矢が射かけられた。

 ゴブリンにしてはよく狙えている。ジルケは口の端を歪めてそう思った。そのままなら命中したであろう矢は、しかし、自ずからことごとく逸れていった。まるで風に流されるかのように。

「ムダだよ、ムダムダ……! 《矢避けの風》がある限り、あたしらは止められないよォ!」

 祝福された馬が走ることで生み出される《矢避けの風》。この霊術があるかぎり、たとえ至近距離で放たれた矢でも逸らしてしまう。

 彼女は思うままに愛馬を駆り、ゴブリンどもを斬獲した。

「ほぉら、どうしたどうしたァ! 集まらなきゃ何にもできない木偶の坊ども! ちったぁ歯ごたえ……なにッ?」

 高揚するジルケの正面から一瞬、黒いものが飛来し、すれ違っていった。彼女は振り返った。

 左翼部隊を全滅させたバルドも、《酔煙》を吐き出しつづけていたアッペルバリも、それを見た。それは黒炎の矢だった。飛んでゆく方向には……先頭馬車。

「会長おおぉーッ!!」

 バルドは咆哮した。幕の隙間から外を窺っていたクリスは、その声と飛来する矢とを同時に認識した。

「まずい……!」

 クリスは反射的に身を躱す。霊術により生み出された矢は《守護壁》をすり抜け、馬車の床に突き立った。

「ひ、ひいいっ!?」「なんだ、なんだァ!?」

 避難していた四人の御者が怯え、騒ぎ立てる。黒炎は木材に燃え移り、急速に広がろうとしていた。尋常ではない。クリスは瞬時に判断し、声をあげた。

「みんな、外へ! 急げッ!」

 御者たちは慌てふためきながら、馬車の外へまろび出ていく。

 クリスはレイチェルを見た。祈りに集中していたためか、彼女は反応が遅れていた。

 彼はさらうように彼女を抱え、全力で飛び出した。その直後、馬車全体が燃え上がった。

 左半身から地面に落ちる。クリスは痛みに堪えつつ、状況を確認する。

「ゲキャキャーッ!」「ゲゲッ! ゲゲッ!」「ギヒヒヒーッ!」

 霧の向こうから武装したゴブリンの群れが殺到していた。まだこれほどいたのか、と驚くほどの数だった。いくつかはバルドやアッペルバリの牽制に向かっている。そしてその間に、本隊がこちらにくる。荷馬車を奪うため。自分たちを殺すために。

「ケヒャーッ!!」

 魔物らしい愉悦に涎をまき散らしながら、一匹のゴブリンが斧を構え、クリスに襲いかかった。

 クリスはレイチェルを守るように半身を起こし、右手に握っていたものをゴブリンに向けた。木材に金属部品がついた筒のようなもの……フリントロック・ピストルだった。

 装填は馬車で済ませている。撃鉄を起こし、引き金をひく。

 BANG! 火薬が弾け、弾丸が飛んだ。ゴブリンは何が起きたか分からぬまま、頭が爆ぜて死んだ。

 だが、それだけだ。向かってくる奴らは何匹もいる。込められる弾は一発のみ。再装填にも時間がかかる。それでもクリスは怖れず、正面を睨んだ。

 そのとき彼の意識が、背後でうずくまるレイチェルに向いた。彼女は祈りを紡いでいた。その髪が白く変じ始めている。

「やめろレイチェル!」

 彼女の手をつかみ、祈りを中断させる。髪が美しい金糸雀色を取りもどす。レイチェルは泣き出す寸前の子供のような視線に、「なぜ」と言葉を込めた。

「もうよすんだ。これ以上、君の大事なものを失わせたくない」

「でも、クリス……!」

 そうしている間にも、ゴブリンたちは二人を取り囲んでいた。クリスは向き直り、彼らを睨みつける。

 ゴブリンたちが一斉に武器を振りかぶった。

 クリスは大きく目を見開いた。鈍色の双眸にアメジストの光が灯り、妖しく閃いた。

 魔物の群れは武器を振り下ろす……振り下ろす……振り下ろすことが、できなかった。彼らは全身をわななかせ、抗うように動きを止めていた。なぜそうしているのか、彼ら自身も分かっていないようだった。

 唖然とするレイチェルの前で、ゴブリンたちが吹っ飛んだ。アッペルバリの馬だ。さらにバルドが到着し、残りを薙ぎ払った。

「ぬううおおーッ!」

「ゲギャギャーッ!?」

 クリスらを取り囲んでいたゴブリンたちはあっという間に全滅した。血の気を引かせた顔のアッペルバリが馬首を返す。

「会長、ご無事で……」

「僕のことはいい!」クリスは叫んだ。その瞳はすでに鈍色に返っている。「それより御者たちを! 彼らは……」

 馬車の反対側で悲鳴があがった。

「ひいい……た、たすけ、たすけて……」

「ギギギ」「グギャギャッ! ギャギャッ!」

 涙を流して失禁する二人の御者を、ゴブリンたちが急かすように槍で小突く。もう二人は既に物言わぬ屍と化していた。

 ゴブリンは何事かを喚きながら、荷馬車を指さしていた。正確には、燃え上がる黒炎に怯える二頭の馬を。御者たちは察した。

「わ、分かった、乗るよ。乗りゃあいいんだろぉ。だから命だけは……」

「ギギャーッ!」

 痺れを切らしたゴブリンが槍を振り上げた。御者たちはしどろもどろになりながらも、死にたくない一心で従った。

 馬に乗り、鞭をあて、走り出す。荷馬車の上に乗ったゴブリンが示す方へ。

「くそったれッ! あいつら、食糧を……!」

「ぬうう……っ」

 アッペルバリとバルドは追おうとするが、ゴブリンどもが次々に群がってきて邪魔をする。

 バルドが鬼神のような戦いぶりで全滅させたが、そのころには馬車は濃霧の向こうへ消えていた。クリスは険しい顔でそれを見送るしかなかった。


「畜生……ッ! 味な真似をしてくれるじゃないか!」

 ジルケは忌々しさに顔を歪める。彼女はクロスボウ部隊への攻撃を中断し、火の矢を放った主を探していた。

 馬車を瞬時に燃え上がらせるほどの霊術。それなりの使い手だ。これから自分たちがどんな行動をするにしても邪魔になる。彼女はクリスたちのもとへ戻りたい気持ちをおさえ、気配を探るのに集中した。

(矢が飛んできたのは北東……馬の蹄の音がする……移動しているのか? 逃がすものか……ッ!)

 彼女は周囲に風を起こし、霧を吹き払いながら走った。《矢避けの風》は解除せざるを得ないが、もはや構わない。

 左前方。霧のなかで、走る馬の影がにじんだ。

「そこだァーッ!!」

 ジルケは槍に風を纏わせ、突きを放った。烈風が螺旋をえがき、駆けた。

 ほぼ同時、霧のなかで黒炎が躍り、尾をたなびかせてこちらへ飛んできた。彼女は首を大きく傾かせ、ギリギリでそれを躱した。頬と首の表面がこそぎ取られ、焼き焦げた。

「うぐ、おお……ッ!?」

 螺旋の風が霧を飛ばし、敵の正体を暴き出す。黒いローブを纏った男だ。ゴブリンではない。男は暴れいななく馬を抑えきれず、振り落とされた。

 ジルケは馬を全速で走らせた。

「降伏するならあたしがそこに行くまでに両手を上げろッ! しないなら殺すッ!」

 男は顔をあげ、ジルケを見た。それは憎悪の表情だった。男は胸のまえで両手の平を向かい合わせ、その狭間に炎を練り上げようとした。

 ジルケは槍を振り上げ、風の刃を放った。

 刃は男の胸から肩口にかけて深く切り裂いた。血を噴き出しながら、男はなおも術を唱えようとしたが、果たせず倒れた。

「ハァーッ……ハァーッ……」

 ジルケは馬の足をゆるめ、肩を上下させる。霊力を消費しすぎた。今の風の刃が最後の一撃だ。奪われた荷馬車を追撃する余力はない……。

「ちっくしょ……なんてザマだい。情けないね……」

 彼女は己に毒づいた。後ろを振り返ると、残ったゴブリンどもの半分は撤退を始め、もう半分はアッペルバリたちに掃討されているようだった。ジルケにやれることはないだろう。

 彼女は地面に下りた。男はまだ死んではいない。その身体をかつぎ上げると、重さがずしりとのしかかった。




【続く】

【総合目次】


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